久しぶりにペンデレツキのCDを取りだして聴いた。「ヒロシマの犠牲者に捧げる哀歌」のトーン・クラスタが、今年はいっそう悲痛に響く。広島の平和宣言は、現状をこう指弾した。

問題は核兵器だけではありません。国連憲章や日本国憲法さえ存在しないかのような言動が世を覆い、時代は正に戦後から戦前へと大きく舵を切っているからです。また、米英軍主導のイラク戦争が明らかにしたように、「戦争が平和」だとの主張があたかも真理であるかのように喧伝されています。しかし、この戦争は、国連査察の継続による平和的解決を望んだ、世界の声をよそに始められ、罪のない多くの女性や子ども、老人を殺し、自然を破壊し、何十億年も拭えぬ放射能汚染をもたらしました。開戦の口実だった大量破壊兵器も未だに見つかっていません。

長崎の平和宣言では、愚かな行為を阻止できなかったことを「無念でなりません」と表現した。「終結宣言」をしても悲劇は一向に収まらず、開戦理由のでっち上げがつぎつぎにほころびていくなかで、理不尽さに憤りながら何もできなかった虚しさと腹立たしさがつのる。ペンデレツキの音は、自分自身の心象風景でもある。

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