Czeching it out
サー・ロジャー・ノリントンの挑戦に後込みしてはいけない。彼は、比喩的に言えば、「石炭をニューキャスルに届けた(余計なことをした)」のだ。けれども、いつものように、それを極めて斬新な方法でやってのけた。
勇敢な男、それはロジャー・ノリントンのことだ。プラハの春フェスティバルのオープニング・コンサートは、伝統的に国家の誇りを示すときである。ファンファーレと花、大統領の入場、そしてスメタナの『我が祖国』によって。そして、それは単なる1曲の音楽でなく、世襲の財産なのだ。もちろん、これら全てのキーワードは「伝統」である。 ノリントンといえばすぐに思い浮かぶ、公然の背教者、受け売りの不倶戴天の敵、不愉快な事実の探求者、最初の体験、古さの衝撃などといった言葉とは全然違うものだ。 「マイスタージンガー」の第2幕でハンス・ザックスがヴァルターの賞を受けた歌について言った「それはかくも古く響き、なおかくも新しかった」とは何だったのか? それこそは、あなたにとってのノリントン−−疲れを知らぬ好奇心を持つ、言葉ののあらゆる意味においての開拓者−−なのである。 「きっと危険があるに違いありません」と彼は言う。 「あなたは、水なしでその平原を越えていくことができるでしょうか? 私を見てください!」
それは、彼の「歴史的考察に基づいた」演奏の世界的なインパクトについて雄弁に語っている。プラハの春の当局が、決して息絶えることのない(die-hard)伝統主義者の激怒をかうことを覚悟のうえで、彼を招待することによって、彼らの国宝の埃を拭い、生き生きと蘇らせ、保存袋から取り出すという試みだ。 そして、そのためには、楽曲のいわゆる『解釈の伝統』をしりぞけ、創始者であるヴァーツラフ・ターリッヒについても数え切れないレタッチをしなければならないということも分かっていた。 もちろん、それは異端に等しいものだ。 しかし、それはゼロ地点へ、つまりスメタナに戻る唯一の道なのである。 1983年のシュプラフォン版のスコアも(それはさかのぼって1966年の原典版に基づいている)ターリッヒによるこの曲の仰々しい解釈を、よかれと思って受け入れて味付けされている。 その結果、テクスチュアの中央に置かれたトランペット・ソロのラインは、ホルンとピッコロ、2本のフルート、クラリネットに置き換えられる。あるいは、ホルンは「より良い音域」に配置される−−しばしば音が低く、興味深い書法に対する誤った対応−−賢明で、荒っぽくて、ごつごつした形に。 多分、それはスメタナが望んだこととは違うのではないか?、ノリントンはこう疑問を呈する。自筆楽譜は、「辛子のようにきりっと明白」なのだ。
だが、これは何も新しいことではない。 モーツァルトがヘンデル対して、あるいはマーラーがシューマンに対してしたことを見ればいい。このパターンは、時代をさかのぼって、また下ってたどることができる。 『創造的な解釈』−−19世紀後期/20世紀初期に特有な文化的現象−−は変更を必要とした、と我々は教えられてきた。 ヒロイックなスコアへのヒロイックな反応。 そして、それがわずかな美容整形を意味するならば、それはその通りである。 しかし、マーラーは本当に彼が行った変更を正しいものと信じていたのだろうか? そして、スメタナは、どのように反応しただろうか?
チェコスロバキアの伝統主義者たちは、ノリントンが彼の音楽を「脱国家化」しているというかも知れない。 おそらく彼らは、正しいだろう。 ある意味では、彼はそれを−−チェコの国境を越えた視点で−−「国‘際’化」しているのだ。 そして、ヴァーツラフ・ハベルの新しいチェコ共和国とのパラレルな関係は、不可避のものだ。 『我が祖国』の最後の大絵画「ブラニーク」には、特別なパッセージがある。そこでは、オーケストラの管楽器が−−近代のギリシャの合唱にも見られるように−−回想を行っている。国家は過去を回想し、そしてまた新しい夜明けを見るために生き続けるのだ。
さらに、1870-1910年頃の時代の楽器のオープンな、柔らかい粒だちの音色によって、全てのパッセージは、深く心に染み渡る純粋無垢な姿を示す。そのことと、それに加えて外部からの視点。
もちろん、この音楽を耳で聞くことと、あなたの心の中にそれを持つことはまったく別のことだ。しかし、ノリントンは普遍的な言語としての音楽の力を信じている。言葉としての音楽。それは決して「どんな音がするか」という問題ではなく、「何を語っているのか」という問題なのだ。
「もちろん、何事を行うにも、方法はただ一つではありません。それは、全く主観的なことです。だから私たちは決して『正当な(authentic)』という言葉を使いません。私たちがこれらの作品や作曲家を通して本当に目指しているのは、−−それは明らかに時代がさかのぼる方がやりやすいのですが、−−少なくとも正しい方向に進むということ、そして、運が良ければ、彼らと同じ空間にたどり着くということなのです。
もしエスキモー人の暮らしを知りたければ、南に向かって進んだりはしないでしょう。それがまさに私たちの取り組んでいることです。この音楽に少しでも近づくこと。それに向かって、手に入る限りの内部の情報、知識そして情熱をもってアプローチするということなのです。」
いや、彼は『我が祖国』の全ての場所を訪問したわけではない。 いや、彼はブラニークに行ったことはない。 しかし、彼は「他の丘を見て」きた。そして、彼はスメタナが葬られるヴィシェフラドの共同墓地の遠いコーナー−−詩人のコーナー−−で彼の敬意を表したのだった。
スメタナのこの第1曲を導く2台のハープは、ミューズの神に付き従うように送られた竪琴のようだ。 「私の祖国」の物語はここで始まる。 ノリントンはハープを互いに応答するように配置し(注意して欲しい、これは楽譜に書かれているのだ)、バイオリンも続いて(当然のことながら)対になって並び、トランペットやホルンも同様に配置した。 ロンドン・クラシカル・プレイヤーズは、ここでマーラーの時代のウィーン・フィルにできる限り正確に対応するように編成されている:ほぼ同数のガット弦のバイオリン、ウィンナ・ホルン、ロータリー・ヴァルブ・トランペットというように。借り集めた楽器もあれば、購入したものもある(ノリントンのフルーティストは9本の楽器を持っており、クラリネット吹きは新旧のC管に金をつぎ込み、第2バスーン奏者はヘンケルの楽器をシカゴで調達し、ステファン・ウィックの新しいチューバのように、特別に制作したものもあるという具合だ)。 ノリントン自身は、彼の要求を伝える以外は、楽器の詳細については口を挟まなかった。 それはすべて、LCP(あるいは、その企業活動の名称であるHistoric Arts Ltd)の舞台裏の仕事であった。
そして、私が訪れたプラハのRudolfinumの舞台裏で、ノリントンと彼の陽気な(そう、明敏な)楽団が大事な一夜のために準備をしていた。 私は、この世界で、ノリントンのリハーサルに匹敵するものは無いのではないかと思う。少くともこれ以上『音楽を作る』というコンセプトに、熱心に取り組んでいるものは無いだろう。 「目が見えなくて混乱してるやつ(Blind panic)をお願いします」というのは、リハーサル時間のおしまい頃に出てきた、ブラニークのとてもうまい語呂合わせだ。〔訳注:ブラインド・パニク≒ブラニーク〕 彼は、求める音とキャラクタを精密に表すために、「ヒュー、グサッ、ブルルーン」というような戯画的な感嘆詞を好んで用いる。
彼は、あらゆることにジェスチャーや比喩を使う。 出だしの張りつめたた、神秘的なtremolandoの部分では、バイオリンに向かって: 「それじゃ明らさま過ぎます。偏頭痛が始まったところだと思って下さい。」 彼は、「ターボル」の全編に出現する主要テーマに歌詞をつけてしまった:
「フス教の、軍隊の、衛兵の、仕事、さえない天気だ、そろそろ昼飯か?」
ノリントンの奏者には、彼の求めているものが分かる。 音楽が踊るなら、彼も踊る−−夢中になって、ぎこちなく、操り人形のようにくるくる回って。クライマックスが繰り返されると、まさに「山積みの薪」がもたらされるようだ。 うまくいったときは、友情溢れるサム・アップ(親指を立てたOKサイン)である。
彼は、ゴールポストが移動しつつあり、我々はまさしく『豪華な音』文化の終わりの始まりを目にしているかもしれないのだと、本当に信じている。 「音楽は音に『従事する』ものではなく、音によって『作られる』ものなのです。それは、ジェスチャー、表現、動き、ドラマをするものなのです。」
彼はもう一度カラヤンを引き合いに出して(「彼の初期の頃ではなく−−彼はそれをメルセデスのように、彼のまわりに、いわば育てたのです」)、もう一度叫ぶ:
「贈物用リボン付きの音楽はやめだ。それは贅沢品なんかじゃなく、食べ物なんです。これは食品の包み...そしてこの音楽を非神話化しましょう。どうして『荘厳ミサ』のような作品に、登ることができない山としてアプローチするのですか? それは、誰でも入ったり周りから見たりすることができる大聖堂なのです。それは人間の記録なのですよ。」
さて、ノリントンがウィーン・フィルをベートーベンに「糞=夢中(彼のことば)」にさせることができた−−彼がちょうど最近したように−−とすれば、ゴールポストは確かに動いたことになる。しかし、どれくらい遠くに? そして、彼は時代楽器(オリジナル楽器)でどこまで進もうとしているのだろう?
今のところ、LCPは後期ロマン派の作品の「小さな蓄積」がある: ブラームスのレクイエムと交響曲、ワグナー、ブルックナー3番、そして今回のスメタナだ。 ドボルザークは、自然な流れだろう(ノリントンも同意する)。それから、チャイコフスキーも確かだ。 そして、マーラー(多分第1と第4交響曲)は、「入口でノックしている」といえそうだ。 しかし、ここに至って、我々はマーラーが「実際に」聞いたものと、聞くことが「できる」と考えていたことの間の、重大な二分法に足を踏み入れることになる。 彼の欲求不満は、はっきりと記録されている。 彼は、5本のトランペットと8本のホルンからもっと多くの音が欲しかった。 彼は、シカゴ交響楽団が欲しかったのだ。違うだろうか? ごもっとも。 「そう、多分、ここらへんが撤退の潮時でしょうね!」
by Edward Seckerson Gramophone−−November 1997