ノリントンのワーグナー管弦楽曲集
英グラモフォン誌のCD評から

新生ニュー・クィーンズ・ホール管弦楽団とバリー・ワーズワースが、オリジナル楽器によるワーグナーの最初のディスクだった(95年6月)。ロンドン・クラシカル・プレイヤーズとノリントンは、もちろん、ずっと長いことコンビを組んでおり、その成果は至る所に見られる。LCPの最終成果がさらに艶と正確さを増すのにどれほど編集に負うているかというのは、私は知らないし関心もない(注意を払うのは、「ジークフリート牧歌」の15'16"に1カ所見られるように、編集者のテクニックが押しつけがましいときだけだ)。ノリントンがはるかに舞台の人であるということは、「リエンツィ」の最初の小節の期待に満ちた抑制を耳にしただけでもすぐ分かる。そしてテンポとダイナミックスの対比(さらには特別な金管の咆吼と輝かしさ)を聞けばよりよく分かるだろう。ノリントンのグループは、更にテクスチュア(チューバは別として)と音色がより明らかになっている。彼らに欠けているのは、弦楽器の自然なポルタメントだ:少し音をスライドさせてはいるが、かなり控えめである(NQHOの場合はもっとたくさん、はっきり使われている。そして、議論の余地はあるが、もっとそうあるべきだ)。

テンポに関して言えば、ノリントンのディスクは、例によって、おたおたした鳩の群の中に猫を放り込んだという感じだ。「マイスタージンガー」前奏曲は平均よりもほとんど2分も短い(8分20秒というのは、ワーグナー自身が1871年に前奏曲を指揮したとき「8分と少し」かかったという報告に最も近い)。おそらく(細身の親方に馴染んだら)最も刺激的な部分は5分55秒の箇所で突然スピードが速くなるところだろう。ここは、アーネスト・ニューマンが、「親方たちは徒弟たちを脇に押しやり、[親方の主題が]トランペットとトロンボーンで鳴り響く」と指摘たところだ。ノリントンがとった方法は、親方たちは単に喜んで仲間に加わっているだけだと提唱しているように思える。さらに論議を呼びそうなのが「トリスタン」の前奏曲である。この6/8拍子において、ノリントンは1小節をゆっくりした2拍で捉え(他の全ての指揮者は、中庸な6拍)、フェリックス・モットルのクライマックスまでイン・テンポに保てという指令を無視しているのだ。私はこれをエキサイティングでかつ感動的だと感じた;切迫して劇的な愛の死におけるジェイン・イーグレンの透明な歌声もそれに劣らない。

「パルジファル」前奏曲は人間的で、直感的で、音楽的な体験である(神秘的輝きや長く持続する崇高さといったものなら他の演奏を探すべき)。そして「ジークフリート牧歌」は本当の室内楽である;伝統的な暖炉のわきの暖かさ(子守歌がほとんど踊りだしそう)はそれほどない代わりに、森の国の魔法(オリジナルの木管が本領を発揮する)はとても豊かだ。一言でいえば、ヴィンテージもののノリントンである。

by Jonathan Swain
Gramophone - November 1995

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