ベートーベン交響曲の演奏ノート
Performance note


このCDについて

ベートーベンを古楽器で演奏するに当たってのポイントは、もちろん、彼の音楽を新しく響かせることであり、彼の音楽がその当時確かに作り出していた喜びと軽い不安感を再現してみることにあります。

それぞれの楽器は皆現在のものと少しずつちがっており、それらは完璧に古典派音楽の世界に適応していました。弦楽器はもっとクリーンではあるけれども訴えかけるようであり、もっと容易にかつ表現力豊かに発音することができました。木管楽器はそれぞれが独自の特色を持ち、木管セクションの中において個性的で明晰なアンサンブルを生み出していました。ホルンのハンド・ストップの音は生き生きとした劇的な変化のある音をつくり、ティンパニは、小型のものを堅いスティックで叩くことで、まるでワーテルローの戦場からそのまま聞こえてくるような響きをしていました。これらの明快な音のバラエティはベートーベンにとって無くてはならないもので、彼はハイドンとモーツアルトの手によってようやく成熟してきたばかりのフルオーケストラを駆使したのです。これらのさまざまな要素の相互作用は、単なる美しい音というばかりではなく、エキサイティングで個性あふれる対話でもなければなりません。

音楽は19世紀初頭に急速な変化の途上にありました。新しい演奏会の条件、より広い範囲にわたる聴衆、そして新しいロマン主義、これらの全てが楽器とオーケストラの発展を必要としました。しかし、この時代の特徴のポイントは、こうした「新しい動き」が全体にわたる「伝統的なもの」の支配のもとに成し遂げられたということです。ベートーベンのウィットとドラマの大部分は、彼の中に予期できるものと予期できないものが並存するということに起因しています。そして、音楽家達は新しいスタイルをしっかり掴みながらも、一方で彼らが使ったもの(そして取り戻そうとしたもの)は多くの先達によって受け継がれてきた演奏の伝統なのでした。

オーケストラのサイズは決定的な要因ではありません。非常に小さなオーケストラも非常に大きな編成のものも同じように演奏していました(もっとも第1バイオリンが10人以上いるような場合は木管を倍に増やすのがふつうでしたが)。ピッチも同じくそれほど重要ではありません。ヨーロッパ各地で異なっていましたし、同じ町の中でさえそういうことがありました。私たちはA=430で演奏していますが、これも数ある歴史的可能性のうちの一つです。絶対的に重要であったは、スピードであり、音の長さであり、弓使いであり、フレージングなのです。

ベートーベンは伝統的な速度指標をそっくり受け継いでいました。そこではアレグロは非常に速くということではなく、アンダンテは決してゆっくりということを意味していません。彼はメトロノームの使用を一貫して重視していました(一つには、疑いなく、耳が不自由で指揮ができなかったことがその理由でしょう)。ほとんどあらゆる場合において彼のメトロノーム指示は18世紀におけるテンポ指示の考え方に一致しています。

どの様なオーケストラにおいても弦楽器が中心となるので、バイオリンに関する出版された論文は非常にいろいろなことを教えてくれます。1750年のレオポルド・モーツアルト論文と1830年のベロー論文のいずれもが今日とは大きく異なる、弦に吸いつくようなボウイングについて記述しています。音の長さは少なくとも5通りのはっきりとした方法がみられますが、今日世界中に広まっている弾むような「スピッカート」は「ごくごくまれ」にしか用いられませんでした。ベートーベンの自筆譜の研究からもわかることがありますが、それよりも彼と当時の演奏家達がわかっていた「書かれていない」フレージングを理解することがおそらくもっと重要です。何十もの演奏のスタイルに関する「ルール」が彼の楽譜のあらゆるページから読み取れるのです。

私たちの目指すところはこれらの偉大な名曲を再発見することにあります。それも、こうした証拠を無視するのでなく、それらに対して、われわれ自身の音楽家魂や解釈能力に対してと同じだけの信頼をおくことによって成し遂げなければなりません。そうすることによって、高まっていくロマン主義の先駆者としてと同時に、18世紀音楽のスリリングな頂点としても、これらの音楽を聞くことができるのようになるです。

Roger Norringtonロジャー・ノリントン

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