幻想交響曲の演奏ノート
Berlioz - Symphonie fantastique
ベルリオーズは、その大胆不敵で直截的なところから、しばしば後期ロマン派の作曲家と間違われています。しかし、もちろんのこと、「幻想」はベートーベンの死後数年のうちに始められたものであり、その劇的なスタイルは、ベルリオーズが1828年以降パリでベートーベンの交響曲の初演を経験したことから直接の影響を受けています。この録音において私たちは160年前の楽器や演奏法に取り組みました。そのスタイルは今日のいわゆる「伝統」とは大きく異なっています。そこでは、ベルリオーズの音楽と同じく、「ロマン派風の」アプローチは「古典的」アプローチと均衡を保っています。幸いなことに、そのスタイルは〔当時〕新しくできたパリ音楽院にあわせた楽器指導法にきちんと書き留められており、そして言うまでもなく、この音楽に手袋のようにぴったりと合っているのです。
まず第一に、私たちは「楽譜」を(もちろん全ての繰り返しも含め)演奏するようにつとめました。というのも、そこにはとても細かく指示が書き込まれており、しかも作品は天才のものですから、それ以上にスピードを変えてみたりベルリオーズの処方箋を変更したりする必要は見あたりません。今日でもしばしば耳にする、甘ったるい演奏になりがちなやり方を始めたのはワーグナーでした。ベルリオーズはずっと古典的なアプローチをとっていました。かれはワーグナーの指揮について「テンポが分からない」とコメントしています。その「テンポ」は、ベートーベンがしたように、ベルリオーズも各楽章にきちんと書き込んでいます。彼の示すスピードによれば、交響曲の冒頭は大袈裟にゆっくりしたものではなく、この曲の源である若者の歌のように素朴で自然なもののはずです。「緩徐」楽章は古典的交響曲のアダージオと同様に、決して遅いものではなく、行進曲はまさに行進曲で、狂気の疾走ではありません。最終楽章は、最後の数小節に至るまでは、酒神祭の踊りのように安定したものなのです。
もし、これらすべての要素が交響曲の情緒的な世界に完璧にあてはまるなら、音符の長さ、フレージング、ダイナミックスなどの数え切れない厳密な細かい部分についても同じに違いありません。後者についてみてみると、例えば<舞踏会>の楽章に注目してみてください、ベルリオーズは木管楽器の「固定楽想」の入りをピアノに指定していますが、ワルツを奏でる弦楽器は、その思いをほとんどかき消すかのように、メゾフォルテのままになっています。あるいは、<野の情景>の楽章の最後の部分では、コールアングレの呼び声に対して舞台裏のオーボエから応えがないので、だんだんその音が大きくなっていきます。私たちは、そうしたわずかな変化を正確に表現すればするほど、音楽がより良くなっていくことに気がつくのです。
もちろん、私たちはこの演奏で音そのものに対しても同様の試みを行っています。そして、ベルリオーズの演奏で19世紀初期の楽器を使うことは、後期バロック時代の楽器をバッハで使うのと同じくらい革命的であることが分かりました。全てが変わってしまうのです。たぶん、モーツァルトやベートーベンの後では、弦楽器の音はそれほど衝撃的ではなかったでしょう。しかし、バイヨーの素晴らしいバイオリン教本(1834)がドイツのシュポアや、もっと早い時代のレオポルド・モーツァルトのものとぴったり一致しているというのは驚くべきことです。これらの全てが、弓を弦にきちんとつけ、飛ばしたりビブラートをかけたりすることを最小限にする古典的なスタイルの教授法なのです。ベルリオーズがパリの演奏スタイルをしっかり意識していたことは、彼の細かい楽譜への書き込みと、第1楽章に見られる新しいmartelle(マルトレ−弓を弦につけてのスタカート)とかa punta d'arco(弓の先端で)のような、コンセルバトワール独特の効果を求めていることからも明らかです。みなさんは、基本的に「よろめかない」テクニックが、恋に落ちた若者の音楽にいかにぴったり合うかを、交響曲の冒頭や緩徐楽章で確かめることができるでしょう。
木管の響きは私たちのベートーベンの録音に非常に似ています。もっとも、初演の時の奏者(アンリ・ブロー)の制作によるコールアングレの音はちょっと乙なものでしょうけれど。ところで、パリのオーケストラは通常バスーンを倍管にしており、そのためベルリオーズはそのパートを4本のために書きました。しかし、彼は大編成の弦楽器を求めましたが、ベートーベンがときおり行ったような、ほかの木管楽器の倍管は行いませんでした。
<舞踏会>の小さなハープは喜ばしい驚きを与えてくれます。1830年代のエラール社の楽器は、近代のものよりずっと小型ですが、この音楽にぴったりの明るく透明な音を生み出します。私たちはハープを4台使用しました:近代の演奏は、ほとんどが、ベルリオーズが求めていたよりも少なすぎるのです。
もっと大きな発見は、ベルリオーズの金管群の音色です。彼は古典的なハンド・テクニックを受け継いだにストップ(bouche)音に注意深くこだわってホルンを使っただけではなく、古いスタイルのバルブのないトランペットを一対、最新型のコルネットと並べて使用しました(より古い時代の楽器とも今日のものともずいぶん異なる音が生まれています)。さらに、彼は古い細管のトロンボーンと新登場のオフィクレイドとを一緒に使いました。この楽器は今では(この演奏までは!)消滅していますが。これらの素晴らしく多彩な音によって、いつものベルリオーズの金管の「音響」は色彩の万華鏡への道を開いたのです。
金管に限らず、オーケストラ全体でも同様で、ベルリオーズがなぜ個々の楽器にどのような書き方をするかにこだわったかを理解できます。優れた耳と聴覚のイマジネーションで、 彼はヴィルトゥオーゾが楽器を奏でるのと同じようにオーケストラを演奏したのでした。そして歴史的オーケストラによって、そうした「楽器」がどのようなものであったかをより明快に知ることができます。彼はいつも特定のオーケストラの配置を用いていたので、私たちもこの録音のために革新的な座席配置を採用しました(プロデューサーノート参照)。木管と金管の位置は少し手を加えていますが、弦楽器はコンセルバトワールの配置と正確に同じになるようにしています。ピッチはA=435で、ベルリオーズが好み、数年後にはフランスで標準的となったもので演奏しています。
ベルリオーズを「歴史的」に演奏することの喜び(と困難)はこのように全ての面に影響しています:楽譜、楽器、スタイル、そしてステージの配置までも。しかし、最も実りの多かったことは、それによって彼を改めて聞き直し、きわめて創造的な方法でそれぞれの作品の再評価をするようになったことです。そうしてみると、この驚くべき第1交響曲の独創性は、一層偉大さを増したように思われます。おそらく、この曲は以前よりも若々しく、スリムに響くことでしょう。明らかに、この曲は古典主義と明快さを持っており、それは私たちがベルリオーズについて知っていることとうまく調和します。パリの演奏家の技術は安定しており、信頼できるものでした。これに支えられて、ベルリオーズは目を見張る新しい発想を表現し、新しい楽器を導入し、新しい情緒的な率直さを採り入れ、彼の音楽を文学的、演劇的な表現の理想に結びつけたのです。
ロジャー・ノリントン, 1989
プロデューサーノート
この録音におけるオーケストラの配置は、ベルリオーズ自身によるオーケストラの座席図に基づいています。第1、第2バイオリンは(19世紀には通例であったように)お互い向かい合って指揮者の左側と右側に座っています。ビオラは指揮者の正面中央に一列に並び、チェロとベースはその後ろの4段になった中央の雛壇に乗っています。木管とホルンは指揮者の左手、第1バイオリンの後ろにしつらえた別の雛壇に配置されます。トランペット、トロンボーン、オフィクレイドは同様にして、オーケストラの右側に位置します。2組のティンパニと打楽器はステレオ効果が出るように別れてオーケストラの後ろの高い段に、ベースの側面を固めるように置かれます。4台のハープは、ベルリオーズが推薦したように、オーケストラの前に、2台ずつ左右に配置しています。