時代の音を求めて
音楽現代のノリントン・インタビューから

「音楽現代」91年3月号に、おそらく日本の音楽雑誌としては唯一のロジャー・ノリントンのインタビューが掲載された。ちょうど彼がニューヨークでセント・リュークス管弦楽団(Orchestra of St. Luke's = OSL)の指揮を行っていた頃の記事なので、ボストンのヘンデル・ハイドン協会に携わっていたホグウッドを引き合いに出して、「アメリカでの好敵手」という切り口になっている。

彼の音楽づくりや古楽器をどう位置づけるかという話は様々なインタビューで語られているが、このインタビューは教育やコンクールについて、他では見られない、面白い質問が登場している。

まず、ノリントンとLCPのコンビを売り出したのがEMIレコードのカローニア副社長であることが紹介され、彼自身の音楽教育について質問した後、指揮についての話に移っていく。

Q: あなたが指揮棒一本で生活しているな、と最初に感じたのはいつ頃でしょうか。

(ニヤリと笑って)難しい質問だなァ。そんなことをきかれるのは初めてだ。えーと、そうだなァ、1970年ごろですかねぇ。そうです、その辺りですよ。

Q: こんなハイテクの世の中に、何故あなたは「Period Instrument」によるオーケストラを編成したのですか。

これはいい質問だ。(笑)パラドックスです。つまりハイテクの世の中だからこそ必要だ、と思ったのですよ。こういった機械文明の産物で溢れる時代に住む人々は自分たち人間のしていること、あるいは何ができるのか、ということを実感できない。何でもすべて我々人間のかわりに機械がやってくれるからです。

しかし「Period Instrument」はまさしく、人間の臭いで充満した音を出すことができます。もちろん現代の大オーケストラの音がハイテクの産物で、非人間的だ、といっているわけではありませんよ。それはそれでいいのです。しかし「Period Instrument」には、それより人間が作った音らしい音が出せる、と考えているのです。

ノリントンは(彼に限らずオリジナル楽器に関わるひとはみなそうだろうが)どんなインタビューを見ても現代の楽器やオーケストラを否定したりすることはない。むしろそれぞれの面白さや発見が相互作用するという点を強調する。しかし、「人間の臭い」という表現は、このインタビューで初めて目にした。

このあと、他のオリジナル楽器オーケストラや東洋人の音楽家について質問した後、ふたたび指揮についての話題になる。

Q: 良い指揮者を育てるためには、教育機関が必要でしょうか。

まあ必要だと思いますね。何しろこういう競争の激しい世の中ですから。一定の教育を受けることによって、指揮者に課せられた義務その他を理解した方が得策です。セイジ(小澤征爾のこと)などはそのよい例だと思いますよ。彼はすばらしい教育を受けている。しかし私の場合は、特に指揮者としての教育は受けていません。すべて独学です。まあ世の中には教育を受けなくても、指揮者になれる人がいますからね。ボストン響のシェフを務めたヘンシェルなどもそうです。

教育についての質問というのは珍しいのでなかなか興味深いやりとりだが、このインタビューの最後ではコンクールについても尋ねている。

Q: 若い人々が参加する指揮コンクールについてどう思われますか。

大へん重要だと思います。キャリアのない若者たちが、それを作る足がかりにするわけですからね。しかし一方では、大きな危険もあると思います。コンクールで勝ち、あまりにも早く指揮活動を始めると、学ぶ時間がなくなるからです。それにコンクール出身の人々は、早くから聴衆と批評家にいつもさらされるわけですから、双方に気に入られようと安全な演奏を心がける傾向があります。それでカラヤンをまねし、ショルティと同じようにやりたがるのです。彼らをまねておけば、より安全ですからね。

私の場合は、安全な演奏を心がけようとしたことはありません。安全ではなく、自分自身をより興味深い存在にするよう努力してきました。私はそういう意味で、大へん幸運だったと思います。コンクール出身者とは違う形で、指揮のキャリアを作ってきましたから。私はコンクールとは一切無関係に、まず初めは古典派の作品を、そしてそれから後の時代の作品をと、ゆっくり指揮のキャリアをつみながら学びました。

Q: 最近の若い演奏家たちは一様にメカニカル、かつ同じ音色で演奏するとよくいわれますが、そのことについてはどう考えますか。

もちろん危惧しています。何故なら音楽とは「個有の表現」であり、決して「他の模倣」であってはならないからです。しかしあなたのいわれたことは、今に始まったことではありません。昔からそのような形はあったのです。今と同じように昔の人達も、それに気付いていました。演奏者にテクニックは不可欠ですから、どうしてもメカニカルになる危険性はありますね。

コンクール出身者は「安全な演奏を心がける傾向」があるというのは、本質的な厳しい指摘である。日本に限らず、現在の商業主義的な音楽産業の支配下においては、この傾向はますます顕著になっていると言えるだろう。ノリントンは遅咲きの指揮者だが、彼が「大へん幸運だった」と語っているのは、聴く側の立場からいってもその通りかも知れない。

インタビューの順序は前後するが、彼が現代の作曲家について話している部分を最後に引用しておく。

Q: 現在特に親しくつき合っている作曲家はいますか。

ニコラス・モアです。ワシントンDCに住んでいる人ですが、OSLでも彼に1993年の完成をめどに、新作を委嘱しました。

Q: 交響曲という観点から言うと、現役作曲家の中で特に注目している人は誰ですか。

ロバート・シンプソン、もちろんニコラス・モア、そしてハリスン・バテルソンかな。あと二、三人ほどいますけど。交響曲の作り手というのは最近あまりいないですよね。おっと、それからマイケル・ティペット。僕はイギリス人だから、つい自分の国の作曲家だけに目を向けてしまうんですよ。

ノリントンは実際、現代作品にも意欲的に取り組んでおり、(LCPはともかく)モダン・オケとの演奏会では必ず現代作品もプログラムに取り入れている。ニコラス・モア(Nicholas Maw。綴りからするとニコラス・モーかとも思う)の作品は、最近もプロムスで取り上げており、かなり気に入っているのだろう。ロンドン・フィルとヴォーン=ウィリアムズの交響曲を録音する計画もあるということで、こちらの分野でもノリントンの活躍からは目が離せない。

(インタビューは上地隆裕氏による)

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