rdf:type | <https://jpsearch.go.jp/term/type/博物資料> |
rdfs:label | "アイヌ絵巻" |
schema:name 3 | "Picture Scroll of Ainu People" @en |
schema:name | "アイヌえまき" @ja-kana |
schema:name | "アイヌ絵巻" @ja |
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schema:description 2 | "This picture scroll depicting indigenous Ainu people was painted by Tessai Tomioka. He excelled in learning and painting, and his interactions with the explorer Takeshiro Matsuura inspired him to travel in Hokkaido in 1874....(more)" |
schema:description | "この作品は富岡鉄斎(1836年~1924年)がアイヌを描いた絵巻である。鉄斎は京都の法衣商の家に生まれる。国学、漢学、神学などを修めた学者としても知られ、40歳代から神社の宮司も務めた。はじめ大和絵、のちに南画を学び、1896(明治29)年に日本南画協会を組織している。京都市美術工芸学校教員を務め、1917(大正6)年に帝室技芸員、1919年には帝国美術院会員となる。鉄斎は1918(明治7)年に京都を発ち、東京で松浦武四郎らを訪ねた後、7月に函館に到着した。まず、函館で薬師山や五稜郭、弁天台場などを巡覧し、森から船で室蘭に渡り、苫小牧へと海岸沿いを進み、千歳・札幌方面に北上し、小樽・余市・積丹を回って岩内へ南下し、黒松内を抜けて長万部から森、函館と20日間かけて一周している。その後、函館で10日間を過ごし、帰途についている。 鉄斎の「北遊日記」には、絵巻の「土人逢雨於欵冬葉代傘」の場面と対応するような「(札幌)此辺款冬(ふき)の大」や「(ワシベツ)此辺夷家あり」などの記述がある。巻末には1885(明治18)年に詩人の鱸松塘(すずきしょうとう)が、この巻物は鉄斎が描いた「蝦夷群聚(ぐんしゅう)図」であり、6、7年前に鉄斎が彼の地で目撃したものだと記している。しかし、すべてが実際に見聞したものではなく、「蝦夷土人拝礼」などのように蝦夷地に関する書画の写しを基にしていると考えられる場面もある。1964(昭和39)年に函館市有形文化財に指定されている。...(more)" |
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