rdf:type | <https://jpsearch.go.jp/term/type/地図資料> |
rdfs:label | "五稜郭初度設計図" |
schema:name 3 | "Draft blueprint of the Goryokaku fort" @en |
schema:name | "五稜郭初度設計図" @ja |
schema:name | "ごりょうかくしょどせっけいず" @ja-kana |
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schema:description 2 | "This early blueprint of the Goryokaku fort was drawn by the Rangaku scholar Ayasaburo Takeda. It was kept by the Kojima family in Hakodate. Modeled after a fortified city in Europe, it differs from the completed structure....(more)" |
schema:description | "この設計図は、箱館奉行支配下の諸術調所教授役で蘭学者の武田斐三郎成章(たけだあやさぶろうしげあき)が設計した五稜郭築造に係わる初期の計画平面図である。図面に描かれているBastion(バスチオン)と呼ばれる稜堡式土塁と、Ravelin(ラヴェラン)と呼ばれる稜堡間を補完する半月堡塁(はんげつほるい)を有する形態は、16世紀から17世紀のヨーロッパで発達した城塞都市の外郭の特徴と共通するものである。この平面図と築造された五稜郭の形態を比較すると半月堡塁の数量をはじめとして相違点が多くみられることから、計画初期の段階における草稿の設計図面であった可能性が高い。武田斐三郎が西洋式土塁を設計するに至った経緯は、1855(安政2)年、箱館に入港したフランス軍艦コンスタンティーン号の将官からフランスの城塞築城書を提供され、箱館奉行の命によりこの図面を写し取り、その後に修飾を加えて設計図を完成させたことが記録から読み取ることができる。この設計図は、1854(安政元)年のペリー来航時の箱館の名主であった四代目小島又次郎が所持していたと伝えられるもので、小島又次郎と武田斐三郎が姻戚関係にあったことから、武田斐三郎の直筆の図面と判断された。五稜郭築造の変還を物語る第一級の重要資料である。2008年(平成20)年、函館市有形文化財に指定されている。...(more)" |
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