コディアック・アリュート3人乗皮舟 - Japan Search model RDF

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コディアック・アリュート...
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コディアック・アリュート3人乗皮舟

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schema:description"18世紀中頃、ロシアのアリューシャン列島発見以後、同国毛皮商人などはラッコを中心とする海獣毛皮獲得を目的とした同列島への進出を本格化させた。伝統的で高度な海獣狩猟技術をもつアリュート(アレウト)民族(自称ウナンガン)は、プリビロフ諸島、コマンドル諸島などへの強制移住を強いられながら使役されていった。それ以来、アリュートの海獣狩猟はラッコ猟が中心となり、ロシア語で「バイダルカ」と呼ばれる海獣皮製の皮舟を巧みに操作しながら投げ銛(もり)などの猟具で行われた。軽量で船脚の早い皮舟は、本来1人乗り、2人乗りが用いられていたが、ロシア人によるラッコ毛皮の獲得が本格化すると、多量の荷物の積載と長旅に適した3人乗りの皮舟も使用されるようになった。この3人乗り皮舟は、1875(明治8)年、千島樺太交換条約の批准に際し千島へ巡航した開拓長官黒田清隆一行が中部千島の新知(しむしる)島から収集したもので世界に現存する数少ないアリュート民族のラッコ猟用の皮舟である。ラッコ毛皮獲得のために千島列島進出を果たした露米会社が、1826年、アリュート民族をアラスカ湾のコディアック島より得撫(うるっぷ)島、新知島へ強制移住させ、ラッコ猟に従事させた。開拓使が収集した皮舟などに関する顛末は、開拓使が報告書として「千島州巡視概記」等にまとめている。1979(昭和54)年には、函館市有形文化財に指定されている。市立函館博物館の所蔵ではあるが、現在は函館市北方民族資料館(函館市末広町21-7)で常設展示している。...(more)"
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10 triples ()
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