rdf:type | <https://jpsearch.go.jp/term/type/博物資料> |
rdfs:label | "片倉景光農着" |
schema:name 2 | "Kagemitsu Katakura's agricultural work clothes" @en |
schema:name | "片倉景光農着" @ja |
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schema:description 2 | "These are work clothes worn for farmwork in Horobetsu-gun (today’s Noboribetsu City) by the head of the Katakura family, who was a retainer of the Sendai Domain. The Katakura family had relocated to Hokkaido following the transfer of power from the Edo shogunate to the new Meiji Government....(more)" |
schema:description | " 片倉景光は、安政6年(1859) に白石城内に生まれました。12 歳で父景範に伴われ幌別郡(現在の登別市)に渡り、白石に戻る明治40 年(1907) まで生涯のほとんどをこの地で送りました。 父 景範が札幌郡へ移住した翌年の明治11 年(1878)、旧家臣らが開村十ヵ年の記念として景光の財産へ畑地を寄贈したいと申し出ましたが固辞、明治22 年(1889) の札幌郡の旧家臣による同様の申し出も固辞しています。明治13 年10 月には景範から片倉家を相続し、同月室蘭病院初代院長の赤城信一の長女タケと結婚しました。この頃、居住地は室蘭にあったようですが、生活のため幌別郡の戸長役場の臨時雇い人となって働いています。 また、室蘭で牛飼いの仕事もしました。タケの残した記録や長女光(コウ)の談話では、質素倹約に努めた生活だったようです。 片倉家から寄託されている景光とタケの農着は、タケが刺し子で作ったと言います。景光使用の山刀・煙草入れと共に、片倉家の苦労が偲ばれます。...(more)" |
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