バーンスタイン:交響曲第1番「エレミア」の歌詞と音楽

バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」を演奏した機会に、その曲の構成と歌詞について調べたことをまとめたものです。

曲の概要

曲名
交響曲第1番「エレミア」
Symphony No. 1 "Jeremiah"
作曲時期
1939/42
初演
1944-01-28@ピッツバーグ
楽章構成
  1. 第1楽章: Prophecy(預言)
  2. 第2楽章: Profanation(冒涜)
  3. 第3楽章: Lamentation(哀歌)
編成
Fl:2; Picc:1; Ob:2; Ehr:1; Cl:2; Ecl:(1); Bcl:1; Fg:2; Cfg:1; Hr:4; Tp:3; Trb:3; Tub:1; Timp:1; Perc (SD, BD, Cymb, Trgl, Wood block, Maracas); Pf; Str; Mezzo-soprano
ノート

バーンスタインが「ソプラノと管弦楽のための哀歌」をスケッチしたのは1939年の夏、ハーバードを卒業してカーティス音楽院に進む間のことでした。その後、音楽院での研鑽を終えてニューヨークで編曲などの仕事をしつつ夏のタングルウッドでクーセビツキーらに指揮を学んでいた彼は、42年の春に初の本格的作品として交響曲の作曲に着手します。この時、以前のスケッチがこの曲とぴったりつながることに思い至り、ソプラノをメゾ・ソプラノにするなど大きく手を加えた上で終楽章に据え、3楽章の交響曲としました。バーンスタインはこの曲をニューイングランド音楽院の作曲コンペティションに出すことにし、締め切りの同年12月31日までに完成させます。

入賞はしませんでしたが、批評を仰いだフリッツ・ライナーに気に入られ、1944年1月にピッツバーグ響で作曲者自身の指揮による初演が実現。さらに3月には、前年11月に病気のワルターの代役として劇的な指揮者デビューを飾ったニューヨーク・フィルでも演奏し、ニューヨーク音楽批評家サークルから同シーズンの最優秀米国作品賞を受けました。曲は父サミュエル・バーンスタインに捧げられています。

各曲の詳細

神の怒りによるエルサレム陥落と民の捕囚を嘆く旧約聖書の「エレミヤ書」「哀歌」を題材にした交響曲で、預言者による訴え、それに耳を貸さずに神の冒涜を続ける民、そして陥落と捕囚を嘆き救いを求める、という3つの楽章で構成されます。バーンスタインが1977年に「私が書いた作品はすべて、私たちの世紀に生まれた危機、信仰(信じること)の危機についてなのです。ずっと戻って、エレミアを書いた時にも、私はその問題と格闘していました」と語ったとおり、ここで提示されているのはさまざまな矛盾と難題を抱えた現代への警鐘としても捉えられるでしょう[1]

以下3つの楽章について、歌詞の対訳と訳注(第3楽章)、および楽曲説明を示します。

第1楽章:Prophecy(預言)

Largamente:「預言」と題されたこの楽章は、預言者エレミヤ[2]が人々に正しい道に戻るよう呼びかけるといった、訴えの表現と捉えられるでしょう。弦楽器とTimpが8分音符を2つずつ打ち付けるホ音の上の重苦しい和音[3]に続いて、Hrが遠くに呼びかけるような変ホの主題を奏します。

旋律の基本モチーフである四度下降+二度下降の音形(A)は、ユダヤ教の立禱での朗唱のカデンツに基づいています[4]。旋律の後半は、Aの最初の音をオクターブ下げて四度下降を五度上昇に変えたバリエーション(A')と考えられるでしょう。これらの動機は、全曲を通して重要な役割を果すことになります。

木管が受け継いで小休止した後、少しテンポを速めて主部となり、ホ調となった主題を弦楽器がユニゾンで奏します。さらに続いて鋭く短三度下降する3音の動機(B)が現れます。

主題はいろいろな形に展開されて行きます。例えば下のように、Aの順序をを入れ替えて二度下降から始まり跳躍が五度に拡大された形とBを鏡像にして音価を拡大したもの(B')の組み合わせや、さらにAの二度下降が8分音符になったものなど。

いったん激しさが収まったところで、ややテンポを上げて金管のコラール[5]が奏されます(この付点の下降は、B'をさらに反転したものです)。Ehrがこのテーマを受け継ぐ裏では、低音楽器が“預言の主題”を変奏しています。

とても穏やかなテンポの中間部となり、FlAを反転したテーマを歌い始めます。跳躍は六度にまで拡大。内声はシンコペーションになった8分音符の対を刻み続けています。

コラールの主題を全合奏がfffで奏でた後、主部が戻ってきます。変ホ調に転じて音域も高くなっており、金管の8分音符の連打がいっそう厳しく打ち込まれます。しかし再現はすぐに勢いを失い、最後にClが冒頭と同じAの四度+二度下降を消え入るように奏で、低弦が変ホ短調の和音[6]pppで響かせたまま休みなく次に続きます。

第2楽章:Profanation(冒涜)

Vivace con brio:「冒涜」と題されたスケルツォが描くのは、エレミヤの警鐘に耳を貸さず行いを改めなかった人々のような、正しいこと(信じること)から外れた姿でしょうか。「しかし彼らは聞き従わず、耳を傾けず、自分の悪い心の計りごとと強情にしたがって歩み、悪くなるばかりで、よくはならなかった」(エレミヤ書7:24)。そして他の神々に「香をたき、酒をその前に注ぐ」(同44章)のだと。ただし「宴会をする家」(16:8)はあっても、陽気な騒ぎというわけではなく、リズムは不安定で落ち着くことがありません。イ短調に始まる旋律には、常に下向きの圧力が働いています。

バーンスタインは、安息日の聖書、特にハフタラ朗唱のモチーフに基づくと述べているそうです[7]。同時に、8分音符の三つ組はAあるいはA'の反行形や逆行形になっています(跳躍は五度に拡大されています)。ラテン・パーカッションを交えた変奏はもちろんのこと、不安な半音上昇の導入もAの変形によっていることが分かるでしょう。

8分音符三つ組と二つ組を組み合わせたさまざまな変則リズム[8]、7/8拍子の順次下降と、8分音符を刻む線は休む間もなく姿を変えながら饗宴が繰り広げられます。8分音符7つがフリギア旋法的に順次上昇するようになると、Aが息の長いデフォルメされた旋律となって姿を見せます。

荒々しいHrの雄叫びのあと、中間部は4分音符2つ+3/8拍子のパターンが現れ、8分音符には付点が加わって跳びはねるようなリズムに。よく見るとこれは、第1楽章のコラールの主題そのものです。

喧騒の中で、コラール主題が拡大されて流麗な(バーンスタインのミュージカルを思わせる)旋律も奏でられます。これは他の神々を仰いだ時の「わたしたちは糧食には飽き、しあわせで、災に会いませんでした」(エレミヤ書44:17)という束の間の安らぎなのでしょうか、それとも冒涜の世界に輝く一条の光なのでしょうか。

Hrが第1楽章の“預言の主題”を回想すると、管弦の4分音符とTimpの付点リズムの激しい応酬を経て、最初のパターンが戻ってきます。

第3楽章:Lamentation(哀歌)

Ēcha哀歌
Ēcha yashva vadad ha-irどうして座っているのか、一人でこの街は
Rabati am多くの民がいたのに
Hay’ta k’almana;彼女はなってしまったのか、寡婦に;
Rabati vagoyim大いなるものだった、諸国民の間で
Sarati bam’dinot女王であった、諸地域の中で
Hay’ta lamas,その彼女がなってしまったのか、屈服するものに、
hay’ta lamas.彼女がなってしまったのか、屈服するものに。
Bacho tivkeh balaila,彼女は泣きに泣く、夜の間に、
V’dim’ata al lecheya;涙がその頬にある;
Ēn la m’nachēm誰もいない、彼女を慰めてくれるものは
Mikol ohaveha;全ての彼女を愛したものの中には;
Kol rēeha bag’du va,全ての友が裏切ったのだ、彼女を、
Hayu la l’oy’vim.なりはてたのだ、彼女の敵に。
Galta Y’huda mēoni,捕囚となった、ユダは苦悩のゆえに、
Umērov avoda;そして厳しい苦役のゆえに;
Hi yashva vagoyim彼女は座る、諸国民の間に
Lo matsa mano-ach;何も見いだせない、安らぎとなるものを;
Kol rod’feha hisiguha全ての追求者が彼女を捉えると
Bēn ham’tsarim.苦難の中にあった。
哀歌1:1-3
Chēt chata Y’rushalayim...罪を、罪を犯したのだ、エルサレムは…
Ēcha yashva vadad ha-irどうして座っているのか、一人でこの街は
k’almana.寡婦になって。
哀歌1:8
Na-u ivrim bachutsotさまよっている、盲になって巷を
N’go-alu badam,汚れている、血によって、
B’lo yuchlu何ものも許されない
Yig’u bilvushēhem.触れることは、彼らの衣に。
Suru tamē kar’u lamo,去れ、汚れたものよ、と彼らは叫ぶ、
Suru, suru al tiga-u...去れ、去れ、何にも触れるな…
哀歌4:14-15
Lama lanetsach tishkachēnu...なぜいつまでも私たちを忘れ…
Lanetsach taazvēnu...いつまでも見捨てておくのですか…
Hashivēnu Adonai ēlecha...帰らせてください私たちを、主よ、あなたのもとに…
哀歌5:20-21
  • Ēcha : אֵיכָ֣ה 間投詞 ek (how, what)=いかにして、なんと
    yashva : יָשְׁבָ֣ה 動詞 yashab (to sit, remain, dwell)のパアル態完了形3人称女性単数=座している
    vadad : בָדָ֗ד 男性名詞 badad (alone, isolation)の単数=独り
    ha-ir : הָעִיר֙ 冠詞+女性名詞 iyr (city)の単数=その街が
  • Rabati : רַבָּ֣תִי 形容詞 rab (abundance, much, many, great)の女性単数連語形=多い
    am : עָ֔ם 男性名詞 am (folk, people)の単数=民の
  • Hay’ta : הָיְתָ֖ה 動詞 hayah (to fall out, come to pass, become, be)のパアル態完了形3人称女性単数=なった
    k’almana : כְּאַלְמָנָ֑ה 前置詞(~のごとく)+女性名詞 almanah (widow)の単数=寡婦のように
  • Rabati : רַבָּ֣תִי 形容詞 rab (abundance, much, many, great)の女性単数連語形=大いなるものは
    vagoyim : בַגּוֹיִ֗ם 前置詞(~の中で)、冠詞+男性名詞 goy (nation, people)の複数=諸国民の中の
  • Sarati : שָׂרָ֙תִי֙ 女性名詞 sarah (princess, noble lady)の単数連語形=王妃は
    bam’dinot : בַּמְּדִינ֔וֹת 前置詞(~の中で)、冠詞+女性名詞 medinah (province)の複数=諸国の中の
  • Hay’ta : הָיְתָ֖ה 動詞 hayah (to fall out, come to pass, become, be)のパアル態完了形3人称女性単数=なった
    lamas : לָמַֽס׃ 前置詞(~に)+男性名詞 mas (labor , body of forced laborers)の単数=強制労働に
  • Bacho : בָּכ֨וֹ 動詞 bakah (to weep, bewail)のパアル態不定詞=泣く
    tivkeh : תִבְכֶּ֜ה 動詞 bakah (to weep, bewail)のパアル態未完了形3人称女性単数=彼女は泣く
    balaila : בַּלַּ֗יְלָה 前置詞(~の中で)、冠詞+男性名詞 layil (night)の単数=夜に
  • V’dim’ata : וְדִמְעָתָהּ֙ 接続詞+女性名詞 dimah (tears)の単数+接尾辞=そして彼女の涙は
    al : עַ֣ל 前置詞 al (over, upon, above)=の上に
    lecheya : לֶֽחֱיָ֔הּ 女性名詞 lechi (jaw, cheek)の単数+接尾辞=彼女の頬
  • Ēn : אֵֽין־ 副詞 ayin (nothing, nought)=いない
    la : לָ֥הּ 前置詞(~を)+接尾辞=彼女を
    m’nachēm : מְנַחֵ֖ם 動詞 nacham (comfort, to be sorry, console oneself)のピエル態分詞男性単数=慰めるものは
  • Mikol : מִכָּל־ 前置詞(~から)+男性名詞 kol (the whole, all)の単数連語形=全てのうちに
    ohaveha : אֹהֲבֶ֑יהָ 動詞 aheb (love, beloved)のパアル態分詞男性複数+接尾辞=彼女を愛する者たちの
  • Kol : כָּל־ 男性名詞 kol (the whole, all)の単数連語形=全ての
    rēeha : רֵעֶ֙יהָ֙ 男性名詞 rea (friend, companion, fellow)の複数+接尾辞=彼女の友だちは
    bag’du : בָּ֣גְדוּ 動詞 bagad (to act or deal treacherously)のパアル態完了形3人称複数=裏切った
    va : בָ֔הּ 前置詞+接尾辞=彼女を
  • Hayu : הָ֥יוּ 動詞 hayah (to fall out, come to pass, become, be)のパアル態完了形3人称複数=なった
    la : לָ֖הּ 前置詞(~に)+接尾辞=彼女に
    l’oy’vim : לְאֹיְבִֽים׃ 前置詞(~に)+男性名詞 oyeb (enemy, foe)の複数=敵達に
  • Galta : גָּֽלְתָ֨ה 動詞 galah (to uncover, remove)のパアル態完了形3人称女性単数=離れ去った
    Y’huda : יְהוּדָ֤ה 固有名詞 Yehudah (Judah)=ユダは
    mēoni : מֵעֹ֙נִי֙ 前置詞(~から)+男性名詞 oniy (misery, affliction, poverty)の単数停止形=苦悩から
  • Umērov : וּמֵרֹ֣ב 接続詞、前置詞(~から)+男性名詞 rob (multitude, abundance, greatness)の単数連語形=そして多くの~から
    avoda : עֲבֹדָ֔ה 女性名詞 abodah (labor, service)の単数=労働
  • Hi : הִ֚יא 代名詞 hi (he, she, it)=彼女は
    yashva : יָשְׁבָ֣ה 動詞 yashab (to sit, remain, dwell)のパアル態完了形3人称女性単数=座している
    vagoyim : בַגּוֹיִ֔ם 前置詞(~の中で)、冠詞+男性名詞 goy (nation, people)の複数=諸国民のうちに
  • Lo : לֹ֥א 副詞 lo (not)=~しない
    matsa : מָצְאָ֖ה 動詞 matsa (to attain to, find)のパアル態完了形3人称女性単数=見出す
    mano-ach : מָנ֑וֹחַ 男性名詞 manoach (a resting place, state or condition of rest)の単数=安らぎを
  • Kol : כָּל־ 男性名詞 kol (the whole, all)の単数連語形=全ての
    rod’feha : רֹדְפֶ֥יהָ 動詞 radaph (to pursue, chase, persecute)のパアル態分詞男性複数+接尾辞=彼女を追うものたちは
    hisiguha : הִשִּׂיג֖וּהָ 動詞 nasag (to reach, overtake)のヒフイル態完了形3人称複数+接尾辞=彼女に追いつく
  • Bēn : בֵּ֥ין 前置詞 bayin (an interval, space between)=~の間で
    ham’tsarim : הַמְּצָרִֽים׃ 冠詞+男性名詞 metsar (straits, distress)の複数=苦難
  • Chēt : חֵ֤טְא 男性名詞 chet (a sin)の単数=罪を
    chata : חָֽטְאָה֙ 動詞 chata (to miss, go wrong, sin)のパアル態完了形3人称女性単数=罪を犯した
    Y’rushalayim : יְר֣וּשָׁלִַ֔ם 固有名詞 Yerushalayim (Jerusalem)=イェルサレムは
  • 1行目の繰り返し
  • 3行目後半の繰り返し
  • Na-u : נָע֤וּ 動詞 nua (to quiver, wave, waver, tremble, totter)のパアル態完了形3人称複数=さまよった
    ivrim : עִוְרִים֙ 形容詞 ivver (blind)の男性複数=盲人たちは
    bachutsot : בַּֽחוּצ֔וֹת 前置詞(~の中で)、冠詞+男性名詞 chuts (the outside, a street)の複数=巷で
  • N’go-alu : נְגֹֽאֲל֖וּ 動詞 gaal (to defile)のニフアル態完了形3人称複数=彼らは汚れている
    badam : בַּדָּ֑ם 前置詞(~の中で)、冠詞+男性名詞 dam (blood)の単数=血で
  • B’lo : בְּלֹ֣א 前置詞(~の中で)+副詞 lo (not)=~でないほどに
    yuchlu : יֽוּכְל֔וּ 動詞 yakol (to be able, have power)のパアル態未完了形3人称男性複数=彼らはできる
  • Yig’u : יִגְּע֖וּ 動詞 naga (to touch, reach, strike)のパアル態未完了形3人称男性複数=触れることが
    bilvushēhem : בִּלְבֻשֵׁיהֶֽם׃ 前置詞(~の中で)+男性名詞 lebush (a garment, clothing, raiment)の複数+接尾辞=彼らの衣に
  • Suru : ס֣וּרוּ 動詞 sur (depart, to turn aside)のパアル態命令形男性複数=お前たちは去れ
    tamē : טָמֵ֞א 形容詞 tame (unclean)の男性単数=汚れている
    kar’u : קָ֣רְאוּ 動詞 qara (to call, proclaim, read)のパアル態完了形3人称複数=彼らは呼ばわった
    lamo : לָ֗מוֹ 前置詞(~に)+接尾辞=彼らに
  • Suru : ס֤וּרוּ 動詞 sur (depart, to turn aside)のパアル態命令形男性複数=お前たちは去れ
    suru : ס֙וּרוּ֙ 動詞 sur (depart, to turn aside)のパアル態命令形男性複数=お前たちは去れ
    al : אַל־ 副詞 al (not)=~しない
    tiga-u : תִּגָּ֔עוּ 動詞 naga (to touch, reach, strike)のパアル態未完了形2人称男性複数停止形=お前たちは触れる
  • Lama : לָ֤מָּה 前置詞(~のために)+疑問詞 mah (what? how? anything)=なぜ
    lanetsach : לָנֶ֙צַח֙ 前置詞(~に)+男性名詞 netsach (eminence, enduring, everlastingness, perpetuity)の単数=永遠に
    tishkachēnu : תִּשְׁכָּחֵ֔נוּ 動詞 shakach (to forget)のパアル態未完了形2人称男性単数+接尾辞=あなたは私たちを忘れる
  • Lanetsach : לָנֶ֙צַח֙ 前置詞(~に)+男性名詞 netsach (eminence, enduring, everlastingness, perpetuity)の単数=永遠に
    taazvēnu : תַּֽעַזְבֵ֖נוּ 動詞 azab (leave, with accusative , abandon, forsake)のパアル態未完了形2人称男性単数+接尾辞=あなたは私たちを見捨てる
  • Hashivēnu : הֲשִׁיבֵ֨נוּ 動詞 shub (to turn back, return)のヒフイル態命令形男性単数+接尾辞=私たちを帰してください
    Adonai : יְהוָ֤ה ׀ 固有名詞 Adonay (LORD)=主よ
    ēlecha : אֵלֶ֙יךָ֙ 前置詞 el (to, into, towards)+接尾辞=あなたのもとに

Lento:変ホ、そして変トと動いて無垢な短三度和音を構成するHrの導入を受け、MS独唱が旧約聖書「哀歌」のテキストを歌い始めます。

作曲家は、ティシュアー・ベ=アーブで歌われる悲歌からモチーフを取ったと述べているそうです[9]。旋律には第1楽章のA'Bの形が含まれますが、ルービンはこれらをまさにこの悲歌の特徴的要素として挙げています。

弦楽器が付点リズムのアウフタクトをもつ静かなコラール(A'の逆行形が含まれます)を奏でると、歌は哀歌第1章の第8節に進みます。破壊と捕囚は罪を犯した結果であることを静かに、そしてだんだん熱を帯びながら歌います。旋律にはBの拡大版とも言える下降音階が目立つようになってきます。

冒頭の第1節が少し変形されて戻ってくると、木管がAを長六度+短二度に拡大した寂しげな調べ[10]を奏で(第1楽章中間部のFlに現れた動機の逆行形のようでもあります)、しばらく管弦楽による間奏となります。

テキストは哀歌第4章14節に進み、罪を犯したものが非難されます。管弦楽の間奏後半で現れてきた短六度の付点跳躍をもつ音形(A'')が強い印象を与えます。

第4章15節の「去れ、汚れたものよ」をMS独唱が鋭く叫び、「何にも触れるな…」でクライマックスが築かれます。激しいB音形からCbfffで持続する重低音Dの上で、第5章20節の「なぜ永遠に忘れてしまうのですか」が悲痛に響きます。

第5章21節に至って「帰らせてください私たちを、主よ」と救いを求めます。Adonai(主よ)に短三度下降が充てられているのは、もしかすると動機Bは神を表していたということなのかもしれません。静かに歌われる「あなたのもとに…」には全曲の冒頭と同じAが回帰し、最後に平安、あるいは作曲者の言葉で言えば慰め(comfort)が訪れます。

間奏で聞こえた長六度下降の旋律による澄み透ったエピローグ[11]を弦楽四重奏、そして管弦楽が奏で、ホ短調とト長調を重ねた、苦悩と希望が入り混じったような和音で曲を閉じます[12]

試訳について

テキストはBoosey & Hawks版スコアの声楽パート歌詞に従っています。訳注で示した単語の基本形はストロングのコンコーダンスの表記に準拠しているので、音写アルファベットの記法が少し異なります。

ストロングのコンコーダンス、ヘブライ語聖書対訳シリーズの文法注記を参照しながら、できるだけ原語の語順に近く歌詞と音楽の対応がわかるよう試訳しましたが、ヘブライ語はにわか勉強なので、正確ではない部分があるかもしれません。訳注は、これらの参考資料を自分用にまとめたものです。

なおスコアのテキストに添えられた発音ガイドでは、chはドイツ語のachのように、ēは英語のweighのように発音するとなっています。したがって、冒頭のĒchaは「エイハー」といった感じになるでしょう。

ヘブライ語の動詞

ヘブライ語の動詞には7つの態(ビニヤン)があり、次のように能動/受動が対になっています。下記に再帰形あるいは相互動作を表す「ヒトパエル態」を加えて7態になります。

能受動 ╲ 働き標準的な形他動詞/使役/激しい使役/他動詞
能動の態パアル態ピエル態ヒフイル態
受動の態ニフアル態プアル態フフアル態

ひとつの動詞が7つの態を持つというより、同じ語根から使い途の異なる動詞が派生するというもので、たとえばパアル態の「大きくなる」がピエル態では「育てる」、ヒフイル態では「大きくする」になるという具合です。パアル態が存在しない動詞もあります。

また、現代ヘブライ語では現在、過去、未来の時制がありますが、聖書ヘブライ語ではこれらをそれぞれ完了形、未完了形、分詞と呼ぶのだそうで、訳注でもこの用語を用いています。

補足

  1. 現代の危機 ^: バーンスタインがエレミアを作曲したのは、第2次世界大戦が始まり、ナチスのホロコーストによる虐殺が行なわれていた時期であることも忘れられません。現代の信仰の危機について、彼はカスティリオーネとの対話で

    人間に欠けてしまっているのは、単に信仰だけではなく、一連の本質的な価値なのです。…彼らは愛が何たるかを知らないのです。それで彼らは絶えず愛を否定してしまうのです。もし愛が人間に欠けてしまえば、信仰も遅からず人間から欠け落ちてしまうでしょう。

    と述べ、さらに

    『エレミア』では、ひとりの人間のドラマが繰り広げられます。彼は、自分の生きる社会の頽廃や堕落を悟り、自分の民族を、彼らが陥ってしまった道徳の崩壊から救い出そうとします。けれども、その人間はたったひとりで、絶望しているのです。つまり、だからこそ、私たちは互いに結ばれていると感じ、音楽を崇高な友愛歌として体験することが不可欠だと、私は思うのです。

    と語っています[カスティリオーネ, pp.162-164]。

  2. 預言者エレミヤ ^: 旧約聖書の預言者 יִרְמְיָה はストロングのコンコーダンスによれば発音はyir-meh-yaw'で、日本語訳聖書でもずっと「エレミヤ」と表記されてきました。一方でバーンスタインの交響曲は英語のJeremiahが副題となっており、こちらは(綴りからか)通常「エレミア」と表記されます。本稿でも慣例に従い、預言者の場合は「ヤ」、曲名の場合は「ア」と使い分けておくことにします(とはいえ英語のJeremiahの発音はむしろ“ジェレマイァ”という感じなのですが)。

  3. 導入の和音 ^: 第1楽章はVnVaが低い音域で奏でる変ホ長調(G-B-Es)に、VcCbTimpのホ短調(E-Hに上声のGが響いて)がぶつかるという、不気味な不協和音で始まります。続くHrの主題が変ホを中心とするため上声部の調が主導権を握ることになりますが、ホ調も何度も低音に戻ってきます。ホと変ホの対立は、この曲の基調であるように思われます。

  4. アミダーの動機 ^: バーンスタインは初演のプログラムノートで「具体的なヘブライ主題素材はさして用いていない」と述べていますが、ゴットリーブをはじめ多くの研究者が、ユダヤ教の大祭日などで行なわれるアミダー(amidah、立禱)の朗唱のカデンツによると指摘しています。ルービンは[Idelsohn]から次のような朗唱の例を引いて、カデンツと動機Aが一致することを示しています[Lubin, p.19]。

    この四度+二度下降の音形は、バーンスタインの第2交響曲(エピローグ)、第3交響曲(終楽章)、チチェスター詩篇(1、3楽章)、ミサ(最終章PaxでのLaudaにA'の形で)などにも用いられ、ゴットリーブは「信仰」(Faith)を象徴するモチーフだとしています[Gottlieb80, pp.292-295]。

  5. コラールの主題 ^: グラデンヴィッツによると、1940年頃にバーンスタインが作った「2本のクラリネット、2本のバスーンとピアノのための4つの習作(Four Studies)」の第3楽章が「コラール」と題されていて、このエレミアのコラールの原型になっているということです。もっともこの曲は出版されておらず、音源もなさそうなので、実際のところは未確認ですが[グラデンヴィッツ, p.200]。

  6. 1楽章末尾の和音 ^: 楽章の結末では、CbVcVaが変ホ短調(Es-B-Ges)で、Vnがニ長調(D-A、さらにVaのGesをFisに読み替え)と、冒頭より半音低くなって同じ組み合わせの和音が奏でられます。最後は逆にVnが先に消えることで信仰の主題の調であった変ホが残ります。

  7. ハフタラの動機 ^: [Gottlieb92]によります。ハフタラ(Haftara)とは、安息日や祭日にシナゴーグでモーセ五書に続いて読み上げられる、預言書の一部分のこと。ルービンはアシュケナージ(東欧系ユダヤ人)の朗唱に非常によく似たモチーフがあるとして、やはり[Idelsohn]から次の例を引いています[Lubin, p.20]。

    ゴットリーブはバル・ミツワー(Bar Mitzvah、男児が13歳になったことを祝う「成人式」)でよく知られているモチーフだとしています(確かにバル・ミツワーでのハフタラ朗唱を聴いてみると、テンポはゆっくりながらそれらしい感じです)。

  8. ジャズの要素 ^: バーンスタインはハーバードの卒業論文で、アメリカ音楽に影響を与えたものとしてニューイングランドの入植者たちの音楽(賛美歌、バラッド、ジグなど)とジャズを挙げ、これらの受け入れには「素材的」な段階と「精神的」な段階があると論じました。たとえばヨーロッパ音楽でのジャズ導入は前者にすぎないが真のアメリカ音楽は後者の形でジャズが組み込まれたものだというわけです。またジャズの影響に関しては音階とリズム、とりわけリズムを重視して、ルンバの3+3+2パターンから発展していくアクセントのずれを「拍群の歪み(beat group distortion)」と呼んで、ガーシュウィン、コープランドなどを例に検討しています[バーンスタイン]。

    エレミアにジャズ的なものを感じるかどうかは人によって異なると思いますが、ヘルゲールトによると、バーンスタインは1947年のエスクァイア誌に掲載された"Jazz Forum: How Jazz Influenced the Symphony?"という記事で「私の交響曲エレミアのスケルツォ楽章は確かにジャズを心に想起させるようなものではありませんが、それでもその楽章は、もしジャズが私の人生の一部に組み込まれているのでなければ決して書かれなかったであろうものなのです」と述べています。3+2によるリズムをはじめとするジャズの要素が「精神的」な段階においてこの楽章に深く埋め込まれているということでしょう[Helgert, pp.33-46]。

  9. 悲歌の動機 ^: 同じく[Gottlieb92]によります。ティシュアー・ベ=アーブ(Tisha B'Av)とはユダヤ暦第5月の9日で、最も悲しい日とされており、失われた神殿を嘆く儀式が行なわれます。ルービンが[Idelsohn]から引いている悲歌の朗唱の例から一部を示します。

    この日にシナゴーグで歌われるという哀歌の朗唱を聴いてみると、確かに節の末尾がBとなるのが印象的です。

  10. トゥナイト ^: 六度下降+二度下降の旋律というと、『ウェスト・サイド物語』の「トゥナイト」と比較する誘惑に抗うことができません。トゥナイトの場合は短六度+長二度であり音の長さの比率も逆ではありますが、とても近いものが感じられないでしょうか。更に大胆に言えば、Aの動機を逆にすると「マリア」の主題が思い浮かびますし、第2楽章でラテン・パーカッションが入る前に単二度上昇してクレッシェンドする長い音は「クール」にそっくりに思われます。

    『ウェスト・サイド物語』がエレミアを引用しているというわけではないでしょうが、バーンスタインの主題はいろいろな曲で共通性が感じられることも確かです。

  11. ナタリー・クーセヴィツキーの思い出に ^: バーンスタインはこのエピローグを、1943年のピアノ曲集『7つの記念』の第5曲「ナタリー・クーセヴィツキーの思い出に」にほぼそのまま転用しています。ナタリーはタングルウッド時代の師であり大きな影響を受けた指揮者クーセヴィツキーの夫人で、夫妻でバーンスタインを暖かく見守っていました。バーンスタイン自身のピアノによる1947年の演奏をNaxosで聴くことができます。

  12. 慰め、解決ではなく ^: バーンスタインは、この曲の最後で見出されるのは「慰めではあっても解決ではない。慰めは平安を得る一つの方法ではあっても、新しい始まりの感覚を得るものではない」と述べています[Gottlieb92]。最後にたどりつく和音は、高音部がト長調(D-G-H)、低音部が第1楽章冒頭と同じホ短調(E-H-Eと高音のG)、そして両者をClVaが中間のイ音でつなぐというものです。イ音がなければホを根音とした短七(あるいは配置を変えればト長調の付加六度和音)で、これだけでも明暗が入り混じった両義的な響きですが、長調と短調(希望と悲嘆)を上下の音域に分け、さらに皮肉にも「冒涜」の主調であったイ音を微かに響かせて両者を結びつけるという組み立てで、こういう微妙なところを表現しているのかもしれません。

参考文献

主に参考にした文献: