第九の歌詞の音訳
1985年2月17日の「5000人の第九」(国技館すみだ第九を歌う会)の参加者が歌詞の暗記用に考案し、朝日新聞などで紹介されて有名になった、第九の合唱テクストの「音訳」。作者は当時、上智大学文学部ドイツ文学科の2年生だった、吉井実奈子さん。
合唱テクスト音訳 
〔Wem der ... はソロのみ〕
〔Freude trinken ... はソロのみ〕
〔中間部は音訳なし…以下、Andante maestoso〕
〔Adagio ma non troppo ma divoto〕
背景 
「すみだ第九を歌う会」は本番を暗譜で歌うこととしており、このため参加者はドイツ語の歌詞を覚えるべくそれぞれが工夫していた。この音訳も、暗譜の手段として考案されたものだ。1986年2月20日の朝日新聞の記事で、吉井さんは次のように語っている。
母も私も「すみだ第九を歌う会」にはいっていましてね。会員の方は片仮名を譜面に書き込んでいたんですが、母の譜面には、遊び半分に思いついた漢字まじりの日本語を書いたんです、去年。そしたら、他の人はなかなか覚えられないのに、母はしっかり覚えられたんです。向島のねえさんたちにもコピーして渡しました。
一方、第九を歌う会がハイデルベルクに遠征することを受けて、前日の朝日新聞「ひと」欄は吉井さんの叔母をとりあげており、そこでは次のように記述されている。
料亭のおかみと芸者衆から成る向島チームは、週1回の「おけいこ」を重ねたが、ドイツ語の歌詞をどうしても覚えられなかった。
フロイデ シェーネル
ゲッテル フンケン
トホテル ………
などと仮名書きした歌詞はあまりにそっけない。この悩みを解決してくれたのは、大学生のメイの発案による「漢字入り歌詞」だった。
…この落語的発想によって、記憶力は大飛躍した。 お座敷にドイツ人のお客を迎えたとき、この歌詞を披露したら「すばらしい発音」とほめられた思い出もある。
かくして、この音訳は「向島の芸者さん達が使ったとらの巻」として知られることとなり、いろいろな形で引用されたり、変形版が流布したりしていく。
《第九》はこんなにしてまでも歌われるという、日本における受容史の一面ではある。
補遺
『歌った! 5000人の「第九」の記録』(石井貞光編著,1986)には、「吉井実奈子の場合」という節で、背景が次のように紹介されている。
実奈子は、母のテープを借りて、練習不足を補いながら、手こずっている母の言語の詩にカタカナで発音を記入。これが芸者さんたちにも伝わって、ドイツ文学専攻の“功徳”となるが、やがて、とてつもないウルトラDに発達する。
手こずり続ける母の“カタカナ翻訳”詩を漢字に書き改めたのだ。シラーの「歓喜」が以下の如く、粋な日本語に“翻案”された。「5000人の第九」のなかで、人気を博した向島芸者連のそのまた「ヒロイン」を、吉井実奈子は演じる。
ひろがりと異版 
この音訳は私的な練習用につくられたもので、「すみだ第九を歌う会」の公式のテクストではない(第九を歌う会は、邦訳としては小松雄一郎訳をレファレンスにしている模様。ドイツ語の発音は、もちろん各レッスンで専門家が指導している。公式資料には、調べた限りではこの音訳は見あたらない)。世間一般には、朝日新聞での紹介をきっかけとして認知されるようになったと思われる。
粉健と糞犬
公開された一次資料がなく、取材や引用といった形で紹介されて作品が伝播するとき、聞き違いや写し間違い(あるいは変換ミス)、もしくは理解不足によって微妙な差を持つ異版が流通することがある。たとえば、鈴木淑弘著『〈第九〉と日本人』は、すみだのイベントを取り上げた章の注釈としてこの音訳(同書は“翻案”と呼んでいる)を紹介しているが、なぜか「月輝る 粉健」の部分が「月照る 糞犬」となっている。
入れ替わった原因は不明だが、同書の出版に先立つ朝日「ひと」欄においても、同様のぶれが見られるので、関連があるかも知れない。「ひと」欄では、「月輝る 粉健」という音訳文を紹介した直後に、《さらにフンケンは「糞犬」などと、あやしげな対応も交じっている》とも書いてあり、混乱している(この音訳を批判したり揶揄する言説には、意図的かどうかはさておき、「月照る 糞犬」を引用しているケースが多いような印象)。
しかし、吉井さんは記者の質問に答えて、「一応、ストーリーは考えましたから…ボーイフレンドの健さんとホテルで会ったら、その結果として理事が生まれた、とか。でも思うような文章にはなりませんでした。不満だらけです」と述べている。「健と、ホテル会う。末、理事生む。」というわけだから、「犬」では話が合わないのだ。
微妙な変容
1990年2月15日の朝日新聞にも《向島芸者達が練習に使った「歓喜の歌」のとらの巻》として、Allegro assaiの部分(最初の三節)が紹介されているが、auf dem Erdenrund の箇所が「会う夫」ではなく「合う夫」とされている。この点に関しては、『歌った! 5000人の「第九」の記録』『〈第九〉と日本人』も同様で、それ以降の紹介はほとんどが「合う夫」になっているようだ。
第8回(1992年)の「感動の記録」という冊子には、バス出演者の「第九中毒という名の不治の病」と題する投稿の中に《「風呂出で 詩へ寝る 月輝る 粉健 徒歩照る 青す 襟字うむ」で始まる日本語訛りのドイツ語のように聞こえるが…》という一節がある。襟字とは半纏の襟に染め抜かれる文字のことだが、ここでは単なる音合わせか。
その他、インターネットで《こんなのあったよ》という感じで紹介される断片には、「風呂出でシェー寝る」「月照る粉剣」「下駄踏むけん」「風呂出でし絵寝る月照る振る剣」などと、記憶違いや誤変換からふざけて改編したものまで、さまざまなバリエーションが見られる。まぁ、これは、こうして変容しながら伝播していく方が本来の姿なのだろうという気もするが。
言葉遊びうた
川崎洋著『言葉遊びうた』所収の「師走」という作品の中に、次のような一節がある。
ベートーヴェンの第九 ♪オー フロイデン の中に<風呂> 入浴中のきれいどころ 暮れに歌う第九の歌詞を口ずさむ どうやら暗記できた ゴロ合わせの歌詞のおかげ台寝 津会うベル ビン出ん 黴出る バス出ぃ 詣で 酒取れん 下駄いると
『言葉遊びうた』は、「年忘れ」の中に<しわす>がある、といった具合に、言葉と言葉のかさなり(あるいは文字の中の文字)を捉えて、思わぬものを結びつけながらイメージを拡げたり固定観念をすり抜けていく詩集。詩人の目にもとまったように、「フロイデ」を「風呂出で」にした感覚は、なかなか秀逸ではないか、という気がする。
また、安野光雅著『散語拾語』には、この音訳を紹介しつつ、寺田寅彦の「GODをさかさにすればDOGだ」といった言葉と戯れる話題につながっていく部分がある。言葉で分節されて構築されているはずの世界は、記号に支えられているに過ぎないわけでもあるので、そのあたりを刺激する遊びは、楽しい。
なお、『言葉遊びうた』の「師走」では特に出典も示されずにさらりと書かれているので、この語呂合わせを川崎氏の「作詞」と思った読者もいるようだが、この作品の初出時期(1998年12月20日)からして、また「きれいどころ」という伏線があることからも、すみだの音訳を材料にしていることは明らかだろう。ちなみに、この作品でも「微出る」が「黴出る」になるなど、微妙な変容が見られる。
舞台「芸者と第九交響曲」
1988年7月には、明治座において「芸者と第九交響曲」と題する舞台公演が行われた。第九を歌う会の会報「月刊Freude!」で、次のように紹介されている。
ドイツに行った若き青年がドイツ娘と知り合いその彼女を想いつつ帰国しその友人の指導のもと大変歌の上手な芸者千代乃達に(風呂出で)と例の訳で指導する稽古風景が見ものでしょう。但し最後は日本語で歌いあげます。
会の公式訳ではないけれども、メンバーには「例の訳」で通じていたことも分かる。
空耳
2006年1月21日の毎日新聞「余録」は、流行の“空耳ソング”という切り口でこの音訳を取り上げている。
「ノマ、ノマ、イェイ」を「飲ま、飲ま、イェイ」と聞く“空耳(そらみみ)ソング”として昨年大ヒットした「恋のマイアヒ」の歌詞はルーマニア語だった。外国語を日本語に見立てて盛り上がる“空耳”は、ダジャレが大ウケする日本人の言葉遊び好きの伝統を継ぐものだろう▲「風呂出で(フロイデ) 詩へ(シェー)寝る(ネル) 月輝る(ゲッテル) 粉健(フンケン) とホテル(トホテル) 会う末(アウスエ) 理事(リージ)生む(ウム)」とは、80年代に上智大独文学科の女子大生によって“音訳”されたベートーベンの第九の歌詞の一部だ。市民による合唱のための暗記用に作られ、その後広く歌われるようになった“名空耳”である▲“空耳”という言葉は、深夜テレビ番組「タモリ倶楽部」で日本語のように聞こえる外国語の歌詞の投稿コーナーから広まったようだ。(以下略)
このコラムの本題は、大学入試センター試験でICプレイヤーを用いたリスニングが課されることを取り上げて、「空耳」ではない聞き取り能力を、という話だが、今までにない扱い方なのでメモしておく。
調査メモ 
ここで紹介した音訳詞は、いろいろ流布している断片を集めて再構築を試みてきたものだが、最終的には、1986年2月20日の朝日新聞に掲載された「上智大二年『半玉待遇』です」という記事を掘り出し、これに基づいて編集・整理した。
以下、その他いくつかの覚え書き。
新聞で紹介された音訳は、合唱パートの練習用だから、「台寝 津会うベル」が最初に置かれていて、繰り返しも指示されている。また、女声合唱だけを念頭に置いているので、ソロのみの歌詞や、男声合唱のみの中間部(Laufet...)は訳されていない模様。
- 『歌った! 5000人の「第九」の記録』『〈第九〉と日本人』や1990年の朝日新聞などがAllegro assaiの部分しか紹介していないため、ほとんどの流布版もそこで終わっている(実際、1986年の記事を読むまでは、Andante以降の音訳は存在しないのかも知れないと思っていた)。
最後の部分で überm が「二位ベル無(ニーベルム)」と訳されているが、前の ihn とつながって発音されるということかな?
原詩から遠くかけ離れたでたらめな語呂合わせと揶揄するのも、ジョークの種にするのも良かろう。それでも、多くの俗説が第九のもっとも感動的な要素と力説する「人類みな兄弟」の部分を、「ああ冷麺支援ベル出ん鰤うでる」と「超訳」しているのは、それこそ感動的ですらある。それに、意味が全く違うという点では、「晴れたる青空 ただよう雲よ…」(岩佐東一郎=作詞)とか「たたえよ太陽 かがやく春よ…」(野良圭彦=作詩)あたりだって、五十歩百歩なのだ。
〔補足〕2006年12月24日の日経朝刊コラム春秋は、クリスマスイブだが「街の風景がどこか寂しげに映る」として、内籠もりの心の扉を開こうとシラーの詩を取り上げ、「原意とはかけ離れているが人生を明るく楽しむ気持ちが伝わってくる」この音訳を引用している。そう、吉井音訳は、何となくそういう感じなのだ。
参考資料 
- 1986-02-19, 朝日新聞朝刊「ひと」:訳者の叔母とハイデルベルク遠征
- 1986-02-20, 朝日新聞夕刊「上智大二年『半玉待遇』です」:訳者本人のインタビューと音訳詞全文
- 1990-02-15, 朝日新聞朝刊「ベートーベンをもっと知りたい」:“日本ベートーヴェン協会”設立の話と合わせて音訳の一部を紹介
- 1998-03-25, 朝日新聞朝刊「天声人語」:石丸寛氏追悼
- 2006-01-21, 毎日新聞朝刊「余録」:「受験英語」という言葉を返上できるか
- 2006-12-24, 日経新聞朝刊「春秋」:シラーの詩は、自殺や虐めが増える今の日本でこそ響かせたい
- 1988-07-11,「月刊Freude!」No.33, 国技館すみだ第九を歌う会会報
- 石井貞光編著『歌った! 5000人の「第九」の記録』, 1986-03-03, いかだ社, ISBN:4-87051-030-8
- 鈴木淑弘著『〈第九〉と日本人』, 1989-11-30, 春秋社, ISBN:4-393-93406-7
- 川崎洋著『言葉遊びうた』, 2000-03-25, 思潮社, ISBN:4-7837-1193-3(「師走」の初出は1998-12-20朝日新聞)
- 安野光雅著『散語拾語』, 1996-10-01, 朝日新聞社, ISBN:4-02-257030-X
- 国技館すみだ第九を歌う会編『国技館5000人の第九コンサート感動の記録』, 1985〜2004
- 明治座 過去の公演一覧 <http://www.meijiza.co.jp/thea/thea_06h.html>