ノリントンの「マーラー体験」

2001年10月7日にロンドンのクィーン・エリザベス・ホールで開かれた「マーラー体験」に行ってきました。6日の夕方に着いて8日の朝に帰って来るという強行軍でしたが、それだけの価値はありました。オーケストラはOAE(エイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団)です。説明などで繰り返し登場し、演奏を貫いたキーワードは「透明でクリア」。プログラムの順に概要を報告します。

公開リハーサル

「体験」は例によって14:30の公開リハーサルから始まりました。ノリントンはワイヤレスマイクを身につけていて、オーケストラへのコメントが拡声されて聞こえます。ときどき聴衆に向かって「これまでの体験シリーズに全部来た人はどれくらいいますか?」などと語りかけ、リラックスした雰囲気です。

リラックスした服装と雰囲気でリハーサル。舞台が狭いのでぎっしり

オーケストラの編成は、弦が12-12-10-8-6、HrとTrpがアシスト付きでそれぞれ8、5、あとは楽譜通り。ノリントンによれば、1890年代のウィーン・フィルの最大サイズということです。もちろんバイオリンは対向配置、HrとTrpもそれぞれ下手と上手で対応し、ベースが後ろに並びます。弦楽器はガット弦を使っている以外はほぼ現代と同じ、ホルンもウィンナホルンですが、木管はまだ古いタイプのもので、ノリントンが「モダンオケで演奏するときに同じ楽器を使いますか?」と質問したら、全員一斉に「まさか」という顔で首を横に振っていました。

リハーサルは終楽章から。ステージのセッティングを調整したり、主要な箇所の流れを確かめたりしていきます。次は第1楽章戻って冒頭から。「延々と続くビブラートがないと、どんなに違うかが分かると思います」とノリントンは客席に向かって言います。2楽章ではいろいろな遊びの要素を強調したり(タラッ、ターというリズムはnorring-toonと弾いてください、とか)、3楽章では奏者のリクエストに応えて確認したり。

リハーサルの最後には、ノリントンが団員にお礼の言葉を述べていました。プログラムにあるように、これが「体験」シリーズの締めくくりになるということでしょうか。

リハーサル終了後は、熱心な聴衆の質問に、スコアを開いて示しながら答えていました。

レクチャー

少し休憩した後、4時からはマーラーの基礎研究のパイオニアとして知られるドナルド・ミッチェルによるレクチャー。話好きのお爺さんという感じで、ステージを歩き回りながら熱弁を振るっていました。

彼の話は、Blumine(花の章)の位置づけに関する問題から始まって、音楽の中で「旅」をするというマーラーの作曲の捉え方と標題(筋書き)の関係、シューマンから受けた影響、第1交響曲の第3楽章に見られる「グロテスク」なさまざまな要素に関する解説と進んでいきます。Blumineの楽譜はミッチェル氏が発見したとかで、そのときの話もいろいろ語ってくれました。

第1交響曲のフィナーレは「地獄から天国へ」という標題があって、たぶん通常は“闘争の結果勝利に至る”といった音楽として捉えられるのだと思いますが、ミッチェル氏はここで「英雄が死ぬ」という説明をしていたのが印象的でした。その英雄の葬送が、第2交響曲の第1楽章になるのだと。ノリントンはあとでフィナーレについて「英雄は死ぬのだけれど、その(自然への)畏敬の念が勝利する」と補足して説明していました。

リサイタル

5時からは、マーラーの室内楽の小リサイタル。まず、マーラーが学生時代に書いたピアノ四重奏曲の第1楽章が、Michael DussekのピアノとOAEのVn,Va,Vcの首席奏者によって演奏されました。若くて、情熱的という感じの溢れるイ短調の曲です。

後半は、「子供の魔法の角笛」から「歩哨の夜の歌」「ラインの伝説」「死せる鼓手」の3曲がピアノ伴奏版で演奏されました。バリトンはChristopher Maltmanで、ピアノは同じくMichael Dussek。Maltmanはどこかの新聞で8月のリサイタルを酷評されていたのですが、しっかりした張りのある声で、いい演奏でした。

コンサート

7時からいよいよ待望のオーケストラ演奏会です。普通のコンサートとは趣が違って、それぞれの曲の前にノリントンがユーモアを交えて長い解説を行います。客の半分ぐらいはリハーサルから来ているので、なんとも和気藹々とした雰囲気なのです。

花の章

1曲目は問題の「花の章」です。第1交響曲の初演当時は第2楽章として置かれていて、1894年ごろに削除されてしまったこの曲を、ノリントンはどう扱うんだろうと思っていたところ、演奏会の序曲に持って来るといううまい解決法をとったわけです。

演奏前にノリントンは「マーラーについてはすでに多くのことが語られているので、そんなに極端に違うことはない」と前置きした上で、楽器の違いやテンポの問題などについて解説しました。特にテンポについては、マーラーの義理の弟でもあったロゼ某というチェロ奏者(※)の1932年の録音があって、それが示唆的だということを話していました。1932年の時点でも、その演奏は素直でビブラートも少ないということをあげ、「透明」「イノセンス」という視点でマーラーを捉えるのだと。そう、マーラーを20世紀の作曲家としてではなく、19世紀の作曲家として演奏するというようなことを述べていました。

この曲は、聴いたことがある方ならご存知の通り、トランペットが甘いメロディを奏でるメロドラマみたいな音楽なんですが、シンプルに、素直に演奏されていました。

※ロゼといえば、マーラーの妹ユスティーネと結婚したアルノルト・ロゼー(VPOのコンサートマスター、ロゼ四重奏団など)が有名ですが、その兄のエドゥアルトはチェロ奏者でマーラーの末妹エンマと結婚しているので、彼のことを言っていたのでしょう。アルノルトの方は、ワルターが録音したマーラーでソロを弾いていたという話もあります。

さすらう若人の歌

二番目は、Maltmanのバリトンで「さすらう若人の歌」です。言うまでもなく第1交響曲と深い関係のある曲で、プログラムとしても分かりやすいです。

このような曲の伴奏において、弦楽器がビブラートのない素直な音を出すと、音楽がとても透明に聞こえます。第2曲の冒頭も、木のフルートならではの音色で新鮮でした。そして終曲の美しかったこと。Maltmanにはブラボーが飛んでいました。

交響曲第1番

そしてシンフォニー。この曲についてノリントンは言いたいことがたくさんあるらしく、最初はオーケストラを舞台にあげず、彼一人が出てきて話し始めました。楽譜にはたくさんの指示があるので、指揮者にとってあまりやることはないのだけれど、といいつつ、ピアノロールに残されているマーラーの演奏などがヒントになることをあげて、この曲を「自然でクリア」に演奏するということを述べました。また、標題(筋書き)をどうとらえるかという問題については、プラハの春音楽祭のインタビューでも言及していたウォルトンの「何かとんでもないことが彼に生じるのでない限り、何人も交響曲のような難しいものを書くことなどできない」という言葉を引用したりしながら、純粋音楽であっても何らかのプログラムを持っており、指揮をするときにも"my story board"に従って曲を構成していく、と言い、第1交響曲のストーリーを解説してくれたのでした。オーケストラのメンバーが入場すると、ノリントンは「お気に召したら1楽章、2楽章の後でもどうぞ拍手をしてください」といって演奏を始めます。

第1楽章は、最初のAのハーモニックスはもちろん、4度下降のモチーフも低音の上昇音もノンビブラートで、「自然」の音を表現していきます。再現部の直前、ホルンが三連符で分散和音を3回強奏する部分で、スラーではなく音をはっきり切っていたのが印象的でした。当然のように、楽章が終わったところで盛んな拍手。(約15分15秒)

第2楽章は一つ振り。例のnorring-toonのリズムは思いっきり弾け、木管は派手にベルアップして、とても楽しい踊りの音楽です。中間部はポルタメントを駆使し、効果的な対比をつけていました。この楽章も、終わった後で大きな拍手があり、1分弱の間合いを取ります。(約5分10秒)

第3楽章は、ベース奏者としては目が離せないところ。初稿ではチェロ(ソロ)とのユニゾンになっていたり、後にはベース全員で弾くという指示になったりする冒頭の旋律ですが、今回はノーマルにソロで弾いていました。しかし、フレーズは1小節単位ではっきり区切られ、いっそうぎこちない感じを醸し出しています。中間部は、トランペットのソロをはじめ敢えて大きなビブラートをかけ、ジプシーの音楽など異質な要素を強調します。「さすらう若人」からの引用がノンビブラートでこの上なく透明に歌われるのと強いコントラストをなしています。(約9分50秒)

フィナーレは怒濤の勢い。第2主題のバイオリンとチェロのユニゾンは、ビブラートなしの抑制した弾き方が少々固い感じもしましたが、全体に金管も木管もよく鳴り響いて爽快です(演奏会後の公開ディスカッションで、ホルン奏者が「編成が小さいので、ffでも余裕があっていい音を出せる」という意味のことを言うのを聞いて、なるほどなと思いました)。最後はどうするのかなと思っていたら、やはりホルンは立ち上がりました。立ったままでも俯かずに済むよう譜面を縦に置き換えていたのには感心。ノリントンらしくドラマチックに曲を閉じました。もちろん、大拍手、ブラボーの嵐です。(約20分)

熱烈なアンコールの拍手に応えて、各セクションのメンバーを立たせて賞賛していた

ディスカッション他

演奏終了後、ホルン、第2バイオリン、チェロ、クラリネットの各トップ奏者とノリントンが、(あの司会は誰?)ステージ上でパネルディスカッションのようなことを行いました。かなり早口で、マイクの調子が悪いときもあったため十分に聞き取れなかったのですが、奏者としてはテクスチュアがはっきりしてクリアな演奏ができるということを異口同音に言っていたように思います。

ところで、プログラムには以下のようなノリントンの短いメッセージが載っていました。

長い体験シリーズの最新版にお越し頂き、ありがとうございます。他の試みと同じく、これも同様に「実験」の日と呼ぶことができます。なぜなら、私たちが行おうとしているのは、マーラーの音楽が、そう、第1交響曲の最終版が出版された1899年にはどんな風に響いたかを見出そうという試みだからです。

私はここで、このプロジェクトについて、長い航海のあとで船が港にたどり着いたような不思議な感じがしていることを告白しなければなりません。30年にわたって、私たちの何人かは、シュッツとモンティヴェルディから始まり、バッハとヘンデル、それからハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、そして19世紀の作曲家たち全体という発見の旅をしてきました。マーラーは、どうやら、この航海の終点にあたるように思えるのです。

今私は、我々がとても多くのテストをパスし、多くのことを学び、そして自らに課した義務を今まさに終えんとしているという、ほとんど安堵にも似た気持ちを感じています。それと同時に、船がドックに入ってしまう - 凝縮され、喜ばしい再発見の時が終わるということに寂しさも覚えます。ひとは新しい世界を二度発見することはできません。私たちの音楽の財産を顕微鏡のもとに置き、このような驚きと刺激的な成果を得られたことは、この上ない特権でした。

みなさんが、私たちの最新の試みを楽しんでくださることを期待します。いつもと同じように、この仕事は困難でまた虜になるものでした。

Sir Roger Norrington

体験シリーズはこれで終わってしまうということなんでしょうか。ノリントンの言うことはよく分かりますが、もっといろいろな挑戦を聴いてみたかった。ディスカッションの最後に出ていた、「じゃあ今度はマーラーの1番と2番をまとめて演奏するか」という冗談が、実現するといいなと思いつつ。

§ノリントンのページへ