Only Poetry Played Here
Roger Norrington leads a bold "Berlioz Experience" in London

(タイム88年3月21日号)

ロジャー・ノリントンは、今にも空中に跳び上がらんと身構えている。
「危険だ!」と彼は怒鳴る。
高度を上げていく飛行機のように、高い鼻が空に向かって突き出される;両手は空を打って飛翔の準備だ。
「早すぎる!」彼は叫ぶ。
修道僧の禿上がった頭、学者の赤髭、ハーフバックの広い肩が上昇していく。
「振り回せ!」彼は唸る。
喜びの光で顔をしわくちゃにして、その指揮者は、重力の束縛を解き放つ。
「踊れ!」彼は命じる。
そして、80人のロンドン最高の音楽家たちは、一体となって、狂乱のワルツを踊るのだ。

それは、音楽の正統性の旗印の下にスリリングに復活した時代楽器で完全武装した、1830年代のコンサート生命の生き生きしたジオラマであった。先週、ロンドンのクイーン・エリザベス・ホールのステージに集まったのは、ガット弦の弦楽器、木製のフルート、ヴァルブレス・ホルン、革製のティンパニ、さらには2本のオフィクレイド(チューバにとって代わられた、キー付きのビューグルのバス)という面々だった。そして彼らの前に立っていたのが、足は地上にあるが、しかしその魂は空を駆けめぐっている、古楽運動の恐るべきリーダーとして新たに登場した54歳のノリントンなのだ。

これは、ノリントンの名馬ロンドン・クラシカル・プレイヤーズがこれまで冒険してきたバッハ、モーツァルト、ベートーベンのような、よく踏みならされた芝生ではない。そうではなくて、幻覚の音楽「幻想交響曲」や燃えるような合唱交響曲「ロメオとジュリエット」などの作品で交響音楽に革命を起こしたフランスの巨匠作曲家、エクトール・ベルリオーズの知られざる大地なのだ。「我々のゴールは、近代の一般に認められた意見とは非常に異なるベルリオーズのとらえ方を提示することなのです」とノリントンは演奏の前に聴衆に話しかけた。「私たちは、音譜を弾くオーケストラなどではありません。私たちは、ここで詩を演奏するのみです」

テムズ川南岸の週末のコンサートシリーズは、『ベルリオーズの体験』と題されていた。 カリフォルニア風の名前だが、本質的に構成はイギリス風のこの3日のコンサートと講義のフェスティバルでは、「幻想」と「ロメオ」のオリジナル楽器による演奏が披露された。そして、ここ1世紀以上の間で初めて、ベルリオーズが作曲時に頭に描いたのと同じ特有の音色が、この音楽に与えられたのである。

ノリントンの意欲的な手にかかると、その成果はまさに発見に満ちていた。ベートーベンの死のわずか3年後、1830年に初演された「幻想」は、アイルランドの女優アリエット・スミソンに対する狂おしい情熱を追い求めた作曲家の、アヘンに染まった精神の冒険の旅である。その不安定な冒頭部分、輝かしい舞踏会の場面、侘びしい牧歌、恐ろしい断頭台への行進、はじける魔女の祝日は、まったく新らしい花が咲いた。その一方で1839年の「ロメオとジュリエット」 -- 音に姿を変えたシェークスピア -- は熱血的な生命力で溢れていた。

その音楽が、均質化された現代のオーケストラによって演奏されると、生のパワーは荒々しいエッジとともに紙やすりで削り取られてしまう。それを聴くことは、着色されたフィルムを見るようなものだ:表面的な改善の代償としてニュアンスと細部を失ってしまうのだ。しかし、古楽器を用いると、フルートはゴロゴロとのどを鳴らし、オーボエはガーガー鳴き声をあげ、金管は吠え、弦は甘言を弄したり噛みついたり。「これはリムジンの後部座席で飲む、裏ごしされた、わざとらしい紅茶ではありません」とノリントンが言う。「これは、よく揺れる乗り物でガブ飲みするような、元気の出る飲物なのです」

無数の細部が浮かび上がってきた: 「幻想」の終楽章の最後で、とどろき渡るトロンボーンの上を軽快に滑っていくピッコロ;ティンパニの不吉な、かすかな音に答えて弱々しく嘆く、緩徐楽章のコール・アングレの、荒削りで悲しげなソロ;グルグル回るワルツにおいて強力な声部を形づくっている4つのハープ。ベルリオーズ -- そしてウェーバー、シューマン、メンデルスゾーン、それに初期のワーグナーのような同時代人 -- はこれまでと同じようには聞こえないだろうし、またそうあってはならないのだ。

ベルリオーズへの進出は、テノール歌手として出発し、1962年にアマチュアのハインリッヒ・シュッツ合唱団を創立し、そして15年以上の間ケント・オペラの音楽監督を務めてきたノリントンにとって大胆な一歩となった。しかし、オクスフォードに生まれケンブリッジで教育を受けたこの音楽家が今日の卓越した地位に昇ったのは、3年前に『体験』(最初にハイドン、そしてベートーベン)を考えついたときだ。ノリントンの貢献によって、オリジナル楽器の運動は、その境界をバロックと古典から19世紀中頃にまで押し進めた。「現代のオーケストラは時々ひどいベートーベンを演奏することがあります」と彼は指摘する。「しかし、彼らは一般に、ベルリオーズはとてもうまく演奏します。だから、これは私たちにとって危険な賭だったのです」

オリジナルおよびその複製を演奏するノリントンの80名のアンサンブルは、ロンドンのフリー奏者で構成されており、彼らの多くは古楽アカデミー(アカデミー室内楽団)やイングリッシュ・コンサートといった同じような楽団でも演奏している。リハーサル中、彼は強力なジェスチャー、叱咤激励の叫び声、そして音楽の内容を映し出す生き生きとした、動きのあるイメージで奏者たちを導いていく。「ほんの通り雨だったんです」彼は「幻想」のアダージオで弦楽器に語りかける。「そして、あなたは別の生き方を始めるかもしれない....彼女は他の誰かのもとに行ってしまったとして....あなたは疲れきっている....ベルリオーズはこの部分について、打楽器が沈黙を特徴づけると言っているのです」

ノリントンは公衆に向かっても同じように効果満点だ。 軽快で洗練されたBBCトークショーのホストのようにフェスティバルの聴衆に語りかける。公開リハーサルで、彼は「ロメオ」の冒頭の闘争的なフーガを振り下ろし、それから数分後にストップして気のきいたせりふを口にする。「まるで蒸気機関車の火夫の踏み板に立ってるみたいです」
新しい状況によって、彼の活動範囲も広まった。今年(1989年)、ノリントンはタングルウッドでボストン交響楽団を指揮し、サンフランシスコではメサイアを演奏する;彼の北アメリカでの日程は、1990年を通して埋まっている。来年の『体験』のテーマはまだ検討中だが、シューマンが有力な候補だ。それは適切な選択といえる:通説では、シューマンはオーケストラの扱いが下手で、4曲の交響曲は鼻につく楽器の用法で台無しになっているとされてきた。けれども、ノリントンにとっては、そのような通説は、狭量で想像力に欠けるものとして映る。「どんなことでも当たり前とみなしてはなりません」と彼は言う。「それが私の変わらぬモットーなのです。」おそらく、シューマンも空を駆け巡ることができるだろう。

(Michael Walsh, TIME Magazine, March 21, 1988)

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