ロジャー・ノリントンへのインタビュー
Not An Antique Business
アメリカの季刊レコードカタログ誌SCHWANN Opusの93年夏号に掲載されたロジャー・ノリントンへのインタビューです
by D.R. Martin
Q: [DRM]: まずは数年さかのぼって、あなたのベートーベンの録音が最初に世に送り出されたときのことを振り返ってみたいと思います。あのようなインパクトを与えると予想していましたか?
[RN]: 私はただ自分がそれをどのようにやろうとするのか、明確な考えを持っていただけです。それがそれまでの普通のやり方と違うということは感じていました。確かに、きっと人々にとっても興味深いだろうというのは、私が交響曲でそのアイデアを徹底してみようとした理由のひとつです。しかし、何か違ったことを行うときはそれがどうなるかは分からないものです。気に入ってくれる人も少しはいるでしょうが、他の人には受けないかもしれません。例えば、ドイツ人がそれをたいそう気に入ってくれたというのは、私には大変な驚きでした。ドイツのレコード賞がみんな与えられたのですから。それは私たちにとってだけでなく、彼らにとっても素晴らしいことです。なぜなら、彼らが自国の記念碑的作品に、よその連中の新しいアイデアを受け入れられるということだからです。私はイギリスには聴いてくれる人がいるということは分かっていました。これまで、何度も演奏会を行い、人々はそれに強い関心を示してくれたからです。けれども、これほど多くの人から支持されるとは思っていませんでした。
Q: 音楽家や音楽ファン、ジャーナリストとあなたのベートーベンについて話すとき、かれらは演奏のどの部分が最も気に入ったといっていますか?
すごく色々なことです。テクスチュアの明快さがいいとか、音楽の内部で起こっていることがよく聞き取れるとか。多くの人は楽器の音色が気に入ったといいますね。私が思うに、最も共通していて、しかも最も極端な意見は、この曲は本当をいうと以前はあまり好きではなかったというものです。特に、第九と「田園」がそうです。彼らは「田園」は退屈な曲だと思っていましたし、第九に至っては多くの人が嫌っていました。第九は名曲で好きだといわねばならぬものと思っていましたから、彼らがそれを嫌いだなどと洩らしたことはなかったのですけれどもね。しかし、かれらはこの曲がアグレッシブでゲルマン的で豪快であるということに気づいたのです。
Q: もしかすると近親憎悪のようなもの?
六番については、多分そうでしょう。第九に関しては、もっと、不快で息が詰まるようだったというところです。いちばんびっくりしたのは、「私は第六と第九を嫌いなんだと思っていましたが、今は素晴らしいと思います」というコメントでした。こういう意見にはわくわくさせられますね。ある意味で、これこそ音楽を通じて行おうとしていることそのものなのですから。音楽によって人々をエキサイトさせる。ベルリオーズがいっていたように、熱弁を振るって人々を高揚させたり落ちつかせたりするのです。こうした反応のキーとなる材料は、ひとつにはあなたの創り出す微妙な雰囲気(microclimate)、その曲の個性でしょう。そして、それは私たちのベートーベンやその他の演奏の根幹をなすものです。私たちは異なったテンポや異なった楽器、フレージングをお目にかけようとしているのではなく、これらの曲のこれまでとは違った個性を表現してきたのです。例えば、ユーモアということがあります。偉大なるベートーベンの演奏は以前は、トスカニーニのような最良のものでさえも、私たちが見いだしたようなユーモアを持っていませんでした。私は、楽譜を読むと悪戯に満ちたユーモアを感じずにはいられません。それは第九にさえもあるのです。これが、個性の変化の一面です。その曲はもっと軽快で、素早く動くものです。それはパンチの効いた18世紀の音楽なのであって、ワーグナー流の重量級のものではないのです。
Q: 他のインタビューで、あなたはとても適切に、生き生きとそのプロセスを語っていました。あなたはハイドンやモーツアルトからベートーベンに向かって進んでいったのであって、ワーグナーやブラームスからさかのぼったのではないと言っていましたね。
まったくその通り。そしてそのようにすることで、ベートーベンをより大きく捉えることができます。ときどき私たちの演奏は「軽量級」と思われるようですけれどもね。「英雄」が十分にヒロイックでないと。それは、私の考えでは、「ヒロイック」という言葉で何を意味するのかによります。その手の批評を読むと、帰って「英雄」のCDをかけてみるのですが、私にはちゃんと「ヒロイック」に聞こえます。疾走しているようですよ。彼らは記念碑的でゆっくりした演奏でないといっているのです。私はベートーベンはその曲を記念碑的でゆっくりしたものとは考えてなかったと思いますよ。
Q: ちょっと注目したいのは、ほめ言葉だと受けとめてもらえるといいのですが、LCPの演奏者たちが実に技術が高くて力があるという点です。オリジナル楽器の演奏でなかなかこのレベルは期待できません。
彼らは、本当に素晴らしいですよ。
Q: あなたのベートーベンのいくつかや、ブラームスの1番、シューマンの3、4番を聴くとびっくりします。あたかも「我々は二流市民ではない」と主張しているようです。
もちろん、違いますよ。そして、楽器が違うということが一番肝心なのではありません。それは重要です。楽器が違うということは、どのように演奏すべきかという点についてすごくいろんなことを教えてくれます。けれども、楽器は風変わりに響く必要はありません。骨董品の商売ではないのです。たいていその点に誤解があります。こんな風に質問されます。「古めかしくしようとしているのですか?」いいえ、私たちは現代的であろうとしているのです。「では、どうして古い楽器を使うのですか?」その楽器が、現代的であるにはどうするべきかを教えてくれるからです。すると彼らは尋ねます。「では、唯一の正統的な演奏というものがあるわけですか?」いいえ、そんなものはありません。「ならば、あなた達の目指すゴールとは何なのでしょう」ゴールなどありません。常に前進あるのみです。
Q: それは、オリジナル楽器運動はおおむね20世紀後半の現象であるということですね
私たちはしばしば18世紀にいるように振る舞うことに気を取られてしまいます。けれども私たちはまさに20世紀にいるのです。もちろんです。
Q: どうやってあなたの解釈を構築していくのですか? どんなプロセスを踏むのでしょう、例えば、シューマンの場合だったら?
ブラームスが一番説明しやすいですね、彼が一番最近の人ですから。アプローチは多種多様です。ひとつの側面は、ブラームスの歴史、そして彼の原点がどういうところにあるかということです。シューマンが鍵であることが分かりました。もちろん、もっと古い音楽家もそうです。シュッツ、バッハ、ガブリエリ、彼は自らこういう曲を演奏したということが、彼の書き残したものから分かります。ベートーベン、メンデルスゾーンもそうですね。それからワーグナー、ブルックナー、リストの影響はあったのかなかったのか? これはとても重要です。というのも彼は、ワーグナー主義の考えである激しいテンポの変更のある、まるでワーグナーのような演奏をされることがあるからです。ワーグナーが存在しなかったと仮定してブラームスを考えるのは意味のあることでしょうか? ワーグナーはブラームスからそれほど影響を受けていません:ベルリオーズの影響があるのです。ブラームスも、同じように、ワーグナーからは影響を受けていないと思います。かれはワーグナーの音楽のある部分を評価していましたが、全てというわけではありません。彼はこの極端な近代主義の考えには反対でした。そういう訳で、私たちはワーグナーの影響を受けていないブラームスを演奏することにしました。ちょうど当時の反ワーグナー派の指揮者のようにね。ニキシュではなく、ワインガルトナーのようなより古典主義の指揮者です。それから、実際彼はどんな風な人だったのでしょうか? 本当に彼は顎髭を生やした老人だったのでしょうか? 答えは、レクイエムと第1交響曲の場合は、絶対にノーです。彼は若く、さわやかで、親切で、快活で、ウィットに富んでいました。よぼよぼの老人などでは全くなかったのです。
Q: 彼はすごくハンサムな青年でした
非常にハンサムでした。20歳という年齢で、彼は驚くほど美しかった。それに第1交響曲の作者として、彼はとても力強い人物でした。北海を泳ぎ、北ドイツのヒースの高原を闊歩していました。力に満ちた心優しい若者であり、年寄りの内省家ではなかったのです。ある作曲家をその晩年で理解しようとするのは、よくある問題です。彼の音楽で年老いていたり古ぼけたりしているものはほとんどありません。ですから、私たちは音楽をそこから救いだそうと努力しています。
Q: 話を伺っていると音楽を適切に演奏するには作曲家の伝記まで書かなくてはならないほどにも聞こえますが
確かに少しは読みましたよ。しかしキーとなるのは、できるだけ純粋な目で見るように努力することです。「よし、これについては全部分かったしどうするべきかもばっちりだ」などと言うように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。むしろ反対です。「この人物については何にも知らない。ブラームスはこれまで一度も聴いたことがない。ピアノ五重奏を何百回も弾いたことなどない。何も知らない。私は火星人だ」と私たちは言っているのです。
Q: 楽器や演奏スタイルという意味ではどうですか?
ブラームスがどんな楽器を使ったかというのは正確に分かっています。それがどのように演奏されたかということについても多くのことが分かっていますが、誰もその点には注目してきませんでした。これまではあまり関心を持たれなかったのです。ブラームスの親しい友人であるヨアヒムは、バイオリンの演奏に関する本を書きました。それは1904年に出版されており、ブラームスをどう演奏するかという情報に満ち溢れています。誰もそれを読もうとはしません。けれども、もし読んで内容を吸収すれば、いろんなことが分かります。このような小さな情報は、把握するのはそれほど難しいことではありませんが、これらを組み合わせれば、あとはそれを信じて実行するだです。結果は素晴らしい響きであり、古めかしい方法が難しいのと反対に、むしろ物事が簡単になるのです。この民俗学はとても価値があります。つまりこれは、なすべきことが分かっていない、新しいプロジェクトにどう取り組むかという、ある種の方法と言うわけです。私たちのブラームス1番の録音をお聞きになりましたか?
Q: ええ、何度か
どう感じました?
Q: やや禁欲的で、妥協のない音楽ですね。けれども、ひとたび馴染んでくると、それは真に私を動かし始めます。私は外側の[1と4]楽章が非常に好きです。そのエネルギーと活発さはブラームスではなかなか聴かれないものです。しかし、私にとって、本当の発見は内側の[2と3]楽章の、木管と金管のあらゆる声部にありました。これは驚くべきことでした−ブラームスの書法にこのような機微を聞き取れるとは。
内声部を聴くということ・・・これも私を惹きつけたことでした。本を読むと、ブラームスはこれら全てを、対位法の全てをバッハに学んだと書いてありますから。けれども、モダンな演奏ではそうしたものを聞き取ることはできません。クリームのように溶かされ、同質化されてしまっているのです。本当は音楽の中には、同時に存在する様々な層があるのです。
Q: どのようにしてオリジナル楽器の分野で活動を始めたのか教えてください。あなたはシュッツ合唱団を組織していましたね。私はその初期の録音を楽しんだ覚えがあります。それ以降、レコード収集家の観点からいえば、あなたはベートーベンを引っ提げて登場するまで、いわば視界から消えていたわけです。
そうでしたね。私は8年から10年の間、録音を行いませんでした。私はケント・オペラの仕事で忙しかったのです。私のオリジナル楽器への関心は、17世紀の音楽の演奏、シュッツやモンティヴェルディを数多く演奏することから芽生えました。私たちは、現存しそうにない楽器をずっと探し求め続けてきました。そして楽器がそろうと、それを演奏できる音楽家たちが集まってきたのです。そこで私たちは実験を始めました。オリジナルの楽器があれば、それを使用しました。クリストファー・ホグウッドが通奏オルガンを弾き、デイヴィッド・マンロウがリコーダーを吹いていました。すぐに、その響きがとても素晴らしいということが分かりました。それらが大変素晴らしいので、私たちは次世代の楽器がどのような響きを持っているのか知りたいと考えたのです。ちょうど、ある種のピンポンのように、次々に挑戦していったのです。
Q: 少し前にロイ・グッドマンと話したら、彼はオリジナル楽器の団体はロンドンの伝統的な室内アンサンブルがバロックや古典の曲を演奏する方法に大きな影響をもたらしたと言っていました。あなたもそう感じますか?
私はあまりコンサート、特に室内オーケストラのものに出かけません。しかし、いろいろな人が[オリジナル楽器運動は]影響力があると私に教えてくれます。多くの指揮者が、例えば、私のベートーベンの録音を所有しているというのは驚くべきことですね。私の会ったほとんどの人がそれを買っていて、私の活動を知っていました。彼らはそれをとんでもないと思うか最高と思うかのどちらかです。たいていの場合、とても興味を示してくれました。これは彼らに別の次元を提供したのですね。これはエキサイティングなことです。私たちは誰だって、自分のわずかな仕事が何かに貢献することを願っているのですから。
Q: あなたは以前、ブラームスがオリジナル楽器の終点になると思うと語っていました。太平洋に到達するという感じでおっしゃっていましたが。
ブラームスは終点か、その近くにあるように感じられます。しかし、私たちはまだ他の作曲家にも目を向けるべきなのでしょう。この運動は1880年にごく近いあたりまで進んできています。ロンドンに最近できたばかりのニュー・クィーンズ・ホール管弦楽団というオーケストラは、モダンの演奏家がガット弦を弾き、1930年代の音楽を再創造しようとしています。これは興味深い考え方ですね。私はモダン・オーケストラがそのようにして、もう少し1930年代風の響きと、ビブラートを少なく、たぶん時によってガット弦を使って演奏するということにとても関心があります。それは大変美しい響きでしたから。しかし、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズは1870年か1880年を大きく越えていくことはできないでしょう。これより後のオーケストラは、私たちの知っているモダン・オーケストラなのですから。
Q: すると、あなた達のこの先の録音プロジェクトは、収録済みと今後の計画も含めて、どのようになるのでしょう?
ブラームスのドイツ・レクイエムが今月[93年5月]発売になります。昨年の夏には「ドン・ジョヴァンニ」を録音しました;来年の夏に発売されるはずです。それからブラームスの交響曲2番と「悲劇的序曲」を録音しました。昨日最初の編集版を聴いたところですが、とてもエキサイティングでした。11月にはハイドンの交響曲を2曲、103番と104番を収録しました。この春には101番と102番を録音し、たぶん夏にはもう2曲録音するでしょう。「ロンドン」交響曲を「オクスフォード」まで演奏するのです。けれどもそれ以上はやりません。私たちはハイドン全集をもう一つ作るつもりはありません。私は全ての曲が好きで、本当に素晴らしいと思います。ただ私はそれを取り上げようとは思わないのです。
Q: その後は?
シューマンの1、2番と、おそらくブラームスの他の交響曲。ウェーバーをもう少しとワーグナーをいくつか。それ以上は、私も分かりません。やるべきことが山ほどリストになっています。
Q: LCPとブルックナーやマーラーを演奏することは意義あることだとは思いませんか?
ある日、挑戦してみたいと思うかもしれません。その可能性はあります。今の時点では、これらの曲を古い楽器で演奏することでそれほど違いが生まれるかどうか、私には分かりません。しかし、考えを変えるかもしれません。私たちは実際コンサートでブルックナーを取り上げます−交響曲の4番です。94年のリンツ・ブルックナー・フェスティバルにも招待されており、そこでブルックナーを演奏するよう求められています。彼らはそれがどのように響くのか聴いてみたいというのです。イタリアのロッシーニ・フェスティバルは、ロッシーニのオペラがどのようになるか聴いてみたいと言っています。私たちは、人々にこのような体験を与えることを、いわば委嘱されているのです。これは面白いことです。
Q: ちょっと変わった作曲家はどうですか? CDにしてみたいと思うお好みはありませんか?
最近はそういうことは考えていませんでしたね。「ブラームス体験」週末の時に、少しシュッツを演奏しました。あらためて彼は素晴らしい作曲家であると思いましたよ。彼をもっと取り上げてもいいと思います。しかし、管弦楽曲の分野では、未知のペットというのはありません。周縁的な作品を発掘するというのはあまり熱心ではなかったのです。次に取り組むべきことかもしれませんね。
Q: 自宅にいるとき、沢山のレコードを聴きますか?
これまではほとんど聴きませんでした。たいてい忙し過ぎたのです。けれども最近は少し聴いています;いくつかのCDが身の回りにあります。新しい音楽もたくさん聴く方です−ルトスラウスキとかマルティヌーとかティペットなど。私はそういう方向に戻りつつあります−かつては新しい音楽を沢山取り上げていたのです。そして、(モダン・オーケストラとの)演奏会でもこうした曲をプログラムに加えようとしています。この5年か10年はそういうことをしていなかったのです。
Q: 現代の作曲家で、LCPのようなオーケストラのために曲を書いている人はいますか? オリジナル楽器のための新しい音楽?
いい質問ですね。交響曲作曲家のロバート・シンプソンは、我々のために作曲したいといって私に連絡を取ってくれました。彼は「これは魅力的なことじゃないか?」と言っていました。私としては、そのとおりかどうか確信が持てません。私はあまり彼に積極的な返事をしなかったのですが、もっと意欲的に応えるべきだったかもしれません。どうも、ちょっと古風な試みに感じられるのです。
Q: そうとは限りませんよ。エリオット・カーターがハープシコードのために作曲していますね。
ええ、確かにそれは興味深い可能性ではあります。しかし、端的に言えば、まだ誰もいまのところ作曲していないということです。
Q: 対談を終える前にもう一つお伺いしたいのは、あなたの健康についてです。1〜2年前、あなたがガンにかかったという報道がありました。今はいかがですか?
極めて良好です。私は実際、気分が悪いとか、病気を自覚したこともないのです。ただこんな小さな黒色腫があっただけ。どうってことのない、茶色のほくろのようなものです。私は首の手術を受け、おかげで沢山の仕事をキャンセルしなければなりませんでした。まあ、これでおしまいであればいいのですが。こいつらがいったん転移すると、ちょっとやっかいですからね;どこにでも出てくる可能性はあるのです。でも今のところ、私は非常に快調です。
Q: あなたはこういった音楽の競争を全部やめにして、バリにでも引っ込もうと思ったりはしませんでしたか? 多くの人は、あなたのような体験をすると、こういうことを考えがちのようですが。
答えははっきりノーです。手術の後2カ月半ほど静養しようとしたときも−バリではなくバークシャーの田舎家ですが−そこにずっと居たいとは思いませんでした。仕事に戻ったら、すぐにまた本当に調子が良くなったのです。これが私のしたいことなのですね。仕事をして、人々と交流して、音楽を作る、そしてそれはエキサイティングです。家に帰れば静かであり、勉強します。これは良いバランスであり、長い時間をかけてこれでうまくいくようにしてきました。かつては私は働き過ぎでした。音楽家はいつもそうです。とくにフリーランスであるときはなおさらです。仕事がなくなるという恐れがあるのです。決してノーとは言いません。電話があると誰にでも「時間はある、時間はあるよ」と言うのです。私はそれはやめました。
Q: あなたは病気によって−あるいは言い替えれば死を予感したことによって−何か音楽を作る上で影響があったと思いますか? それともあなたは以前と同じ音楽家のままなのでしょうか。
まったく同じだと思います。たぶん変化するほどの想像力を持ち合わせていなかったのでしょう。実際、あまりに同じなので驚いているほどです。しかし、一方で、自負みたいなものですが、私は病気になる前から自分のできる最も重要なことを理解するための想像力があったのでしょう:想像力のある人生というものは、自分がいつかは死ぬということに自覚的になるのです。私がいつかこの世からいなくなるということは、以前もそれほど私にはショックではありませんでした。だからたぶん、私はこれら全てのことに過剰反応したりはしなかったのです。こうしたことはしばらく前から知っていて、想像の中で体験していました。他には、私は以前より少し静かになったかなと思います。さして重要でないことにあまり過剰反応しません。演奏を進めるために戦う必要はありません;それをうまく進めるために猛然とぶつかったりする必要はないのです。これは単に経験を積み、ノウハウが増したということだけかもしれません。指揮するということは、とても難しいことです。それは一見易しそうで、うまくやればやるほど簡単そうに見えます。しかし、もちろん、それは難しいし、そのためには膨大な経験が必要なのです。
Q: あなたは多くの指揮者を見てきて、多くの場合、60代70代にならないと本当に最高のものは出てこないということが分かっている。
そのとおりです。私はそうなるのを待ち焦がれています。
D. R. Martin, Shuwann Opus, Summer 1993