ノリントン−経歴と人となり

簡単な歩み

LCPの解散後はエイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団(OAE)などでオリジナル楽器による演奏を続けるほか、シュトゥットガルト放送響の主席指揮者、ザルツブルク・カメラータ・アカデミカの首席指揮者、ロンドン・フィルの準首席客演指揮者(Associate Principal Guest Conductor)を努める。また、フィルハーモニア、ロンドン響、BBC響、イギリス室内管、ヨーロッパ室内管を指揮するほか、ボストン響、サンフランシスコ響に毎シーズン登場し、シカゴ、ロサンゼルス、モントリオールなどにも定期的に客演している。最近ではベルリン・ドイツ響、BPOVPOのレギュラー指揮者の一人でもある。

オペラの分野でも、上記ケント・オペラに加え、コヴェントガーデン、英ナショナルオペラ、スカラ座などで活躍してきた。

ノリントンはケンブリッジ大クレア・カレッジの名誉評議員(Honorary Fellow)であり、79年にOBE(Officer of the British Empire=勲四等みたいなもの)、80年にイタリアの騎士称号(Cavaliere)、90年にCBE(Commander of the British Empire=上級勲爵士=勲三等というところか)を受章している。1997年には「サー」の称号を受けた。

雰囲気

その指揮をする姿はなかなかダイナミックで、動きは激しい方である。指揮台を前に後ろに動きながら、デュナミークを全身で表現しているようだ。 彼の書く文章を読むと、いかにもケンブリッジの秀才らしく凝った言い回しが多い。また、インタビューでは、「ワォ」とか「ブルルル」とか、いろんな表現で考えをあらわそうとしている様子が伺えて面白い。 アンドリュー・クラークのインタビューに答えて、長年の同僚は、「ノリントンは年とともに丸くなってきたが、こと音楽となると、彼は相変わらず厳密で要求は厳しいですね」と語っている。

演奏会後のパーティで話しかけたら気楽に写真に写ってくれたり、電子メール/FAXによるインタビューに答えてくれたりと、「サー」ではあってもとても気さくな面も持っている。

*ケント・オペラ Kent Opera

ノーマン・プラット(芸術監督)とロジャー・ノリントン(音楽監督)の提案をきっかけとして、ロンドン以外の主要都市でもプロフェッショナルなオペラを上演するために1969年に組織された。ケント(中心都市はケンブリッジ、カタンベリー)での定期公演に加え、南部イングランド各地への公演旅行、音楽祭への参加、海外公演などの活動を行う。ノーマン・プラット、ジョナサン・ミラー、エイドリアン・スラックによる明確で想像力溢れる演出、ノリントンによる作品に即した明確な解釈、オーケストラの演奏能力、著名・無名を問わず注意深く選ばれた歌手の歌唱力などで高く評価される。

ケント・オペラに関する情報はあまり多くないが、OAEなどで活躍するチェリストのスーザン・シェパードが面白いコメントをインタビューで述べている。モンティヴェルディのオルフェオを、ロンドン、バースに続きフローレンスでも上演したときのこと。

シェパードの記憶によれば、ノリントンは公演の準備をしたあと、指揮台にはのぼらずバルコニーに引っ込んでエコーのパートを歌っていました。オーケストラは、合唱と共にまるで室内楽のようなスリリングなときを過ごしました。それは、彼女曰く「私の人生でもっとも心に残る経験の一つ」だったのです。

シェパードは、これまで共演した指揮者の中では「ハイドン、モーツアルトならレオンハルトとブリュッヘン、それ以降のレパートリーならラトルとノリントンがとりわけいい」と評しています。

§ノリントンのページへ