オルフ:「カルミナ・ブラーナ」の音楽
オルフの「カルミナ・ブラーナ」を演奏した機会に、楽曲の構造について調べたことをまとめたものです。歌詞は、別途用意した詩歌集カルミナ・ブラーナ紹介ページの該当詩への参照で示しています。
曲の概要
- 曲名
- カルミナ・ブラーナ - 世俗声楽曲、独唱と合唱により歌われる、管弦楽そして魔法のような表現を伴って
- Carmina Burana - Cantiones profanae, cantoribus et choris cantandae comitantibus instrumentis atque imaginibus magicis
- 作曲時期
- 1934/36
- 初演
- 1937-06-08 @ フランクフルト
- 曲の構成
-
- Fortuna Imperatrix Mundi
- Primo Vere
- Uf dem Anger
- In Taberna
- Cour d'Amours
- Blanziflor et Helena
- Fortuna Imperatrix Mundi
- 編成
- Fl:3; Picc:(1); Ob:3; Ehr:(1); Cl:3; Bcl:(1); Fg:2; Cfg:1; Hr:4; Tp:3; Trb:3; Tub:1; Timp; Perc:5; Cel:1; Pf:2; Str; Sop; Ten; Bar; Choir
- ノート
-
中世の写本を編纂・出版した「カルミナ・ブラーナ」に1934年に出会ったオルフは、ここから選んだ詩[1]を用いて23の曲を書き、器楽舞曲ひとつと冒頭曲の末尾での反復を加えて、25曲からなる舞台カンタータ(Szenische Kantate)[2]を仕上げました。オルフ自身が《主題を展開せず繰り返し時に楽器法を変えない、簡潔さに基く反復性と効果、という静的な構造がひとつの特徴》と述べる[3]、強靭なリズムと印象的な旋律が聴くものを強く捉え、かつ周到に計算された和声用法と管弦楽法がそれを多様でユニークなものに深めている音楽です。オルフはさらに1943年に「カトゥーリ・カルミナ」、1951年に「アフロディーテの勝利」を作曲し、合わせて“勝利三部作”を構成しています。
各セクションの詳細
カルミナ・ブラーナの25曲の楽曲解説です。歌詞は冒頭のみ示し、対訳を含む全体は(量が多いことに加え編集著作権の関係で)カルミナ・ブラーナ(原詩)紹介ページを参照しています。
Fortuna Imperatrix Mundi: フォルトゥーナ、世界の支配者
全体の導入部で、2曲が続けて演奏されます。imperatrixはimpero(命ずる)由来の女性名詞で女帝の意味。
1. O Fortuna
O Fortuna, | おぉフォルトゥーナ |
velut luna | あたかも月のような |
statu variabilis, | ありさまは変わりやすく、 |
Pesanteのffで、運命の女神の力を表現するかのような主題[4]が始まります。ニ短調ですが、二度で隣接する音(あるいは七度を欠いた九の和音)が多用され、バスが属音に達する3小節目も第3音が係留された不安定な響きです。 順次下降するバスに加え、旋律線も下降圧力が強く働いています。冒頭主題の二度上昇三度下降は、後ろに一つ伸びて二度上昇四度順次下降となる音形(x)と、前に伸びて三度下降に上昇ターンが入る音形(y)として、全曲においていろいろな形で用いられます。
テンポを速め、ヘミオラを重ねたリズムがppで、慈悲なく回るフォルトゥーナの車輪のように延々と繰り返されます。伴奏の分散和音はずっとi7のままで、旋律は主音から五度上までの範囲でしか動きません(フレーズの終わりの音形はy'としておきましょう[5])。
テンポが上がってfになり楽器が増えてもこのパターンは不動で、90小節もの反復の後にようやく導音Cisを用いたドミナントが現れます。これを受けて更に速度を増す急速なストレッタはニ長調に転じますが、CisではなくC♮が組み込まれるため、ト調の属七のような微妙な状態のままニ長調の和音で終わります。
2. Fortune plango vulnera
Fortune plango vulnera | フォルトゥーナからのを嘆く、傷を |
stillantibus ocellis, | こぼれ出るもので、目から、 |
quod sua michi munera | なぜなら彼女から私への贈り物を |
フォルトゥーナの運命の車輪に翻弄される様を合唱バス(Bas)が歌い始めます。伴奏は低音が伸ばすD音のみ。yを圧縮し(て1音略し)たy''が特徴的なリズムを与えています。旋律後半でAからDへと五度下降する動きは、第12曲までに何度も出現し、全曲の前半部分に通底する印象のひとつを形作っているように思われます。
伴奏がy''を含むリズムで動き出すと、旋律はテノール(Ten)が加わってy'をなぞる形(いわば第1曲の変奏)になります。ニ短調のiとv7の和音が忙しく交代しますが、v7は三度の音を欠いており、旋律も主音から六度上までしか上昇せず、慎重に導音が避けられています。
歌の第1節の最後に至ってようやくvi、そして導音を含むドミナントが現れて完全終止。女声を加え楽器を増やして第1節後半を反復してから、管弦楽が急速なffで結尾句を奏で、冒頭に戻って3回繰り返します。
結尾句(Più mosso)の4小節目で2ndバイオリン(Vn)の4拍目がCになっていますが、自筆譜ファクシミリでは♯があり、Cisの誤りですね。
各節の歌詞は、それぞれの行番号で1-4, 5-8, 5-8と後半を反復して歌われます。
Primo Vere: はじまりの春に
運命の車輪がまず最初に春から回りはじめ[6]、新たな生命が誕生/再生し、そしてそこで愛が芽生えます。Primo Vereの3曲はすべて有節形式で3回の繰り返しがあり、また切れ目なく演奏されます。ここから次のUf dem Angerの最後までが第Ⅰ部となっています。
3. Veris leta facies
Veris leta facies | 春の幸せな姿は |
mundo propinatur, | 世界に乾杯される、 |
hiemalis acies | 冬の刃先は |
ピッコロ(Picc)、フルート(Fl)、オーボエ(Ob)そしてピアノ(Pf)と木琴(Xylo)を重ねた鋭い呼び声とともに春の兆しが訪れます。アルト(Alt)とBasのユニゾン合唱が表情を込めて歌う調べはイ短調、というより導音Gisを用いないエオリア旋法[7]の旋律なので、いかにも中世の春という感じの聖歌風の響きです。Pfと金管の空虚五度の動き(Pfは減衰してしまうので実質的に残るのは金管の主音のみ)が神秘的な印象を強めます。人間が冬籠りから抜け出してくる前の、自然の春でしょうか。
節の後半はソプラノ(Sop)とTenに交代して音域が上がり、伴奏もチェレスタ(Cel)と木管という組合せ。空虚五度に半音上の六度の音が重ねられ、くすぐったいような気分です。Pfと金管のドローンが戻り、詩の節に合わせて3回繰り返されます。
4. Omnia sol temperat
Omnia sol temperat | 万物を、太陽が、やわらげる |
purus et subtilis, | それは清澄な、そして精妙の、 |
nova mundo reserat | 新しい世界に開いている |
初の独唱となってBarが、太陽が暖かく輝き、生命が再生する春を賛美します。前曲を受けたイ(A)音がグロッケンシュピール(Glsp)にPicc、Vn、コントラバス(Cb)のハーモニクスを重ね合わせて始まりますが、優しく歌う旋律はニ短調(やはり導音を用いないニ調のエオリア旋法)です。とはいえ6部に分けられたビオラ(Va)はi11に相当する長い和声を奏で、後半には主音の半音上Esが重ねられますから、響きは複雑。旋律にxが繰り返して用いられるのも特徴的です(全体はAからDへの五度下降です)。
5. Ecce gratum
Ecce gratum | ごらん、すてきだ |
et optatum | そして待ち望んだ |
ver reducit gaudia: | 春が連れ戻す、喜びを: |
Glspに鐘とPfを重ねたヘ調五度の響きで春の活気が呼び戻され、喜びを朗らかに歌います。雰囲気は全く異なりますが、旋律の動きは第2曲の譜例4を組み替えたものです。初めての長調で、"purpuratum"から滑らかに歌われる旋律にはわずかながら導音も姿を見せますから、ややほっとする感じもあるでしょうか。もっとも伴奏の弦楽器は空虚五度(田園の気分ですね)で、しかもほとんどが主和音でドミナントは出てきません。
"Iam iam"からはティンパニ(Timp)が加わり、テンポも上がって一層躍動的に。"Ah"で喜びが爆発すると冒頭に戻り、これも3回繰り返します。なんとドミナントは一度も用いられませんでした、
各節の歌詞は、行番号で 1, 1-2-3, 1-2-3, 4-5-6, 7-8-9-10, 7-8-9-10, 8-9-8-9-10 と歌われます(反復が多くテンポも速いので、分かっていないと歌詞を追いにくいです)。
Uf dem Anger: 草地ノ上デ
いずれも舞曲や元気の良い曲で、リズム、構造、和声いずれもあえて分かりやすい作りにして、素朴さを前面に出しているようです。中高ドイツ語の詩が用いられているのも、ラテン語など使わない庶民が自然と戯れるという趣旨でしょうか(オルフが与えた題名も中高ドイツ語で、ufはauf、Angerは村の共有緑地です。自筆譜では第7曲と同じFloret silvaが記されていました)。5曲が切れ目なく演奏されます。
6. Tanz
この曲は歌なしの、活き活きとしたハ長調の舞曲。みんなが集まってきて踊りの準備を始めているのでしょうか。変拍子による区切りにドミナントを置きつつ、基本的に主和音の連続で進みます(この曲のリズムは、1934年のクラヴィーア練習曲第32番によく似ています)。
FlとTimpのゆったりしたデュエットという素敵な組み合わせの中間部を経て、冒頭が戻ります。今度は旋律の変拍子を無視して伴奏が一定のリズムを刻むので、くるくると裏表が入れ替わる緊張感が生じます。
7. Floret silva
Floret silva nobilis | はなやぐ森、気品があって |
floribus et foliis. | 花で、そして葉でもって。 |
Ubi est antiquus | どこにいるの昔のひとは |
春の喜びのト長調ワルツが、ところどころ2拍子が混じる楽しいリズムで歌われます。和音はIとVの反復です。"et"と弱音でゆっくり音階下降するところは、属音の上で順番に和音が変わって行きます。
テンポを落として小合唱が"Ubi est"と三度上昇を甘く繰り返すのは冒頭の逆の音形(ゆっくりしたミ―ソの繰り返しは、この先も甘酸っぱいような表現に用いられます)。"meus amicus"で3/4+2/4拍子のワルツが戻りますが、すぐにまたゆっくり"Ubi est"が反復されます。
馬の走りを思わせるスピード感あふれる結尾部は、ずっと主和音のまま走り去って行き、pで"eia, quis me amabi?"と女声が歌うところは"et"と同じく属音上での順次和音変化。フェルマータを挟んでまた冒頭のワルツに回帰します。
各節の歌詞は、行番号で 1*, 1, 2*, 3-4*, 3-4*, 5*, 6* と歌われます。*の行では行内の単語が反復され(Floret, floret, floret silva nobilisのように)、さらに5行目は単語が分解されて部分までもが反復されます(hinc, hinc, hinc, hinc, hinc equitavit, equitavit, equitavit, equitavit, tavit, tavit, tavit, tavit, tavit!という具合に!)。なおオルフは4行目と6行目のあとに"Ah"という間投詞を追加しており、対訳などでは1行に数えられることが多いようです。
8. Chramer, gip die varwe mir
Chramer, gip die varwe mir, | お店やさん、くださいな紅を私に、 |
die min wengel roete, | それで私のほほを赤く染めて、 |
damit ich die jungen man | それでもって私が、若い男たちによ |
鈴の音に乗って女性小合唱が、軽快なト長調のメロディを無邪気に歌います。旋律はストレートな五度下降、そして逆向きに五度上昇です。高弦だけの薄い伴奏は、ずっと同じ主和音の転回形ですが、三度の代わりに六度の音が用いられて、ちょっと着崩した感じ。ハ長調に転じて大合唱が遅いテンポのハミングでうっとりした様子を示すと(これはクラヴィーア練習曲第35番の中間部に似ています)、"Seht mich an"からはまた軽快なト長調に戻り、3本のVnと弱音器をつけたトランペット(Tp)を伴っての誘惑。トライアングルや弦のフラジオレットとともに合唱Tenが属音で伸ばし続ける"Ah"は、絡め取られた男心ですかね。短いハミングの後また最初に戻って繰り返します。
ショットの楽譜では、旋律の1小節目3~4拍のスラーには()が付けられていますが、オルフの自筆譜は下のようなものです。()なのかも知れませんが、長い(楔形)スタカートのようにも見えないでしょうか(オルフは概ね点のスタカートを用いていますが、例えば第2曲の譜例4を伴奏するPfなどには、明瞭に長いスタカートを記しています)。どちらにしても、単なるスラーではなくて、少し留保のあるというか、それぞれの音を明確に発音しながらスラーというニュアンスで捉えられるでしょう(譜例は作譜ツールの制約により点のスタカートになってしまっています)。
9. Reie: Swaz hie gat umbe
Swaz hie gat umbe, | 誰だってここで舞い回るのは、 |
daz sint allez megede, | それはみな乙女たちなのさ、 |
die wellent ân man | 彼女たちは望む、男なしを |
Chume, chum, geselle min, | おいでよ、おいで、若者よ私のね、 |
ih enbite harte din, | 私は待ち待ち焦がれる、あなたをね、 |
ih enbite harte din, | 私は待ち待ち焦がれる、あなたをね、 |
やや躊躇するような、弱音器をつけた弦楽器のゆるやかなハ長調舞曲で始まります。和声は基本的にずっと主和音のままで、più andanteになってようやくバスが主音と属音を交互に奏でます。ReieはReigen(輪舞)の中世ドイツ語です。
イ短調となって弦をかき鳴らすVnに導かれ、allegro moltoで合唱が、最初は男女交互に、"allen"からは一緒に勢い良く歌います。ここも和声はずっと主和音で、バスが裏拍に属音を置いています。音が上昇してハ長調になると第7曲の譜例9の旋律も。フェルマータからの下降はやはり五度ですね。イ長調に転じて、勢い良く終止します。
"Swaz"の各節の歌詞は、行番号で 1-1, 2-2, 3, 4* と歌われ、最後にオルフが付加した"Ah, Sla"で締めくくります。*の行では行内の単語が反復(alle, alle, alle, alle disen sumer gan!のように)されます。
中間部("Cheme"からの節)の小合唱はぐっとテンポを落としてしっとりとした素朴なハ長調舞曲です。和声はここでもずっと主和音のままなのですが、微かに九度が響いて、微妙に切ない雰囲気を醸しています。旋律は、第7曲での譜例9と譜例10の対比と同じく、譜例14の裏返しになっています。
中間部は歌詞の繰り返しはありません。対称形の2行ずつをAltと男声4部の合唱が交互に歌います。男声にはホルン(Hr)と弦soliも4声で寄り添い、味のある合奏です。"Swaz"の節がふたたび用いられ、急速な合唱の舞曲が反復されます。
10. Were diu werlt alle min
Were diu werlt alle min | たとえ世界全部が私のものでもだ |
von deme mere unze an den Rin, | 海からライン川までもだ、 |
des wolt ih mih darben, | そのためなら、私は捨ててしまうぞ、 |
Allegro moltoハ長調の金管ファンファーレに導かれ、勢いよく合唱が歌います。x音形に加え、8分音符の動きが譜例13とつながります。リズムやテンポは第8曲(譜例11)を受け継いでいますね。またまた和声は主和音続きですが、pになる"des wolt"ではバスがB、Asと下降し、ffとなる"daz diu chünegin"では属音上の第2転回で趣が変わっています。最後にまたファンファーレが戻り、第Ⅰ部を華々しく締めくくります。
歌詞は3行目を繰り返し、1-2-3-3-4-5 と歌われます。自筆譜では歌詩の譜割りや旋律の一部を書き直した跡が見られます。
In Taberna: 酒場にて
このIn Tabernaが第Ⅱ部となっています(自筆譜でも用いられているサブタイトルです)。Uf dem Angerとは打って変わって、和声的な表情を与えたり、調性をはみ出してしまう奔放な曲など多彩です。声は独唱、合唱ともに男声しか用いられません。これら酒場と賭け事の歌4曲は切れ目なく演奏されます。
11. Estuans interius
Estuans interius | 燃え上がって、内面が |
ira vehementi | 怒りから、強烈に |
in amaritudine | 苦痛の中で |
イ短調のallegro molto。ffでトリルを伴う属音のイントロから、興奮した調子の弦の付点リズムで主和音が打ち付けられ、その上でBar独唱が魂を入れて歌います。
第3節"Feror"からは、音域が上がって突進する勢いを加え、旋律的な要素が中心となって進みます。yがターンを交えた三度下降となり、この先しばしば用いられるようになります(ここでも五度下降が。ちなみにこの背景のシンコペーションリズムは、歌劇『アンティゴネ』第3幕や『暴君エディプス王』第5幕で印象的に使われています)。"non me tenent"ではぐっとテンポを落としてハ長調。少し歌劇っぽい要素で、これまでになく和声的な表情が与えられるのが面白いところです。
12. Olim lacus colueram
Olim lacus colueram, | かつて湖に住んでいた、 |
olim pulcher extiteram | かつて美しく際立っていた |
dum cignus ego fueram. | あのころ白鳥で私はあった。 |
嬰ヘ短調となり、高音のファゴット(Fg)ソロによる導入を受けて、この曲のみ登場するTen独唱がとてつもないハイトーンで、哀れな(ただし皮肉を込めて)白鳥をゆっくり歌います。ここにも五度下降が見られます。伴奏は主和音に六度が加わった(あるいはvi7の転回形)潰れたような和声を続け、旋律がホ短調に転調してもお構いなし。細かい刻みを脈打つように用いたり、唐突なシンコペーションのfpだったりと、シュールな雰囲気です。
"Miser"は三部にわかれた男声合唱が、テンポを速めてリズミックに歌います。ロ短調ですが、バスは嬰ヘ短調がそのまま続いているかのよう。最後にまた付加六度和音がはじけて、Ten独唱が繰り返されます。
13. Ego sum abbas
Ego sum abbas Cucaniensis, | わーれこそは、修道院長なるぞ、逆さま楽園のな、 |
et consilium meum est cum bibulis, | そーして我が集会は、飲み助どもとともにだ、 |
et in secta Decii voluntas mea est, | そーして聖サイコロ様へだ、我が願いは、 |
Bar独唱が自由な即興で大げさにあざ笑うようなレチタティーボ(あるいは教会での聖歌のパロディ)を歌い、半音でぶつかる金管と打楽器(Perc)が応援団のように囃し立てます。ここまではニ短調と言えなくもありませんが、独唱がフェルマータで伸ばしたGesからFに"Wafna!"と下がると、低音のBの上にニ長調とニ短調の和音をぶつけた合いの手が金管と男声合唱で。短いながら歌詞も音楽も破天荒な曲です。
14. In taberna quando sumus
In taberna quando sumus, | 酒場におれたちがいるときは、 |
non curamus quid sit humus, | 気にしない、大地が何たるかは、 |
sed ad ludum properamus, | そうじゃなく博打にはしるわ、 |
常に興奮してと指示された速いテンポで、酒場の群衆の歌が男声合唱で始まります。鞭打つ16分音符が特徴的です。低音はずっとE音を呟いていますが、どうやらこれはイ短調の属音で、その上で旋律に重ねられるニ短調和音はサブドミナントの様子。第1部では主和音ばかりだったのとは対照的です。最初の2節はそれぞれ最後の2行(7-8および15-16)が繰り返され、2回目をffで歌います。
ややテンポを落として"Primo pro nummata"と数え始める第3節でようやくイ短調の主和音が。xが姿を見せ、16分音符の鞭は跳ね返ります。"semel bibunt"で軽快なpのイ長調のドミナント、ffで"sexies"と数えるところで短調に戻り旋律はサブドミナントを示唆しますが、裏打ちで答える伴奏はホ長調とト長調の和音が重ねられるというカオス。テンポと音量を落として、第4節"Octies"から同じパターンが繰り返されます。
第5節からの"Bibit"の連続はイ長調になって陽気な行進。第7節"Parum"でやはり短調に戻り、今度ははっきりとIV-Vの和声進行です。このモチーフは大きくデフォルメされて、強い印象を与えます。
"bibunt omnes"からの平行和音移動はイ短調和音で始まりすが、ハ長調のVI-Vということでしょう。最後は手におえない勢いでイ長調和音の"Io"を連呼し、金管がpからクレッシェンドする宙吊りのBを改めてイ長調和音で切り落とします。
Cour d'Amours: 愛ノ廷臣
一人称の恋心[8]を表現するとあってか、和音の用い方に独自の色彩が加わり、旋法も用いられます。ここからが第Ⅲ部とされていて、次のBlanziflor et Helenaも含まれると思いますが、最後のFortuna Imperatrix Mundiの再現は別でしょう(ただし曲間はFortuna Imperatrix Mundiも含めてすべて、第15曲から最後までが切れ目なく演奏されます)。
15. Amor volat undique
Amor volat undique, | 愛神が飛びます、いたるところで、 |
captus est libidine. | とらえられて、欲望に。 |
Juvenes, iuvencule | 若い男たち、若い女たちは |
第3曲の冒頭にも似たppの二度平行移動和音の導入でニ長調が準備されます(が、こちらは空虚五度ではなく三和音)。自由でしなやかなFlが揺れ動くデュエットは、キューピッドが飛び回る様子でしょうか(このフレーズの末尾を始め、第3部ではxが随所に用いられます)。冒頭からずっと主音Dが響いていますが、Obの半音進行で微妙に変化する和音が気怠い感じです。
フレーズの合間に、児童合唱が少し生意気な感じで、最初の4行を途切れ途切れに無伴奏で歌います。Hが半音下がって短調になるのですが、ここだけ切り取るとむしろイ調フリギアのようにも聞こえます([Vasil]はニ調エオリアだと言っています)。
Flの調べをクラリネット(Cl)とVaが奏でて一息入れたところで、テンポが速まります。ロ短調サブドミナントの空虚五度(E-H)を刻む4分音符に、Flの恋い焦がれて飛び回るような音形からAisを滑りこませる不思議な和音の上で、Sop独唱が極度のあだっぽさをもって純潔なふりをして二度で揺れ動きながら心の内奥を歌います([Vasil]はホ調ミクソリディアだと言っていますが、それは厳しいような)。
最後に児童合唱が"fit res amarissima"と呟き、譜例25がClとVaに戻って結ばれます。
16. Dies, nox et omnia
Dies, nox et omnia | 昼、夜、そしてすべてが |
michi sunt contraria, | 私に背を向けているが、 |
virginum colloquia | 乙女たちの会話が |
ホ(E)の持続音にニ(D)を重ねた(第2部以降、二度隣接音程を含む和音構成が目立っています)ppのシンコペーションに乗って、Bar独唱が柔らかくしかし常に大げさでうんと甘く、ままならぬ思いを歌います。ロ短調のようにも思えますが、"me fay planszer"と高まるところがGisになるので、これはむしろロ調ドリアの旋律ですね(最後はEで終止するからロ調ヒポミクソリディア?)。
"me fay planszer"でバスがDに上昇してニ長調和音となるのですが、二度隣接もそのまま二度移行してEが加わるのでIII9の和音のようになり、儚い感じがただよいます。CelとPicc、Obを重ねた響きは、第3曲の女声合唱部分を思い出させますが、ここではさらにバスクラリネット(Bcl)、Hrおよび弦が加わり、より色彩的です。
17. Stetit puella
Stetit puella | 立っていた、少女が |
rufa tunica; | 赤いトゥニカで; |
si quis eam tetigit, | ほら誰かがそれに触れた、 |
前の曲に答えてSop独唱が歌うくすぐるような旋律は、五度の二段跳躍という印象的な出だしで惹きつけます。"rufa tunica"の部分は、Bar独唱が歌った譜例28のxを持つフレーズとぴたり一致する音程です(一方で露払いをするリズムが第11曲の譜例18部分の伴奏と同じなのは興味深いです)。前曲を受けてのロ調ドリアともいえますが、保続音と始まりがホ(E)で少し明るい感じなので、ホ調ミクソリディアのほうが近いでしょうか。二度隣接は上のFisが重ねられ、和音はさらにHとAを加えています(つまり旋律の最初の3音+A)。旋律のy音形も特徴的です。
この上なく甘い"Eia!"の調べになると、Clが三度重ねで旋律をなぞりHrのH音が加わることでイ長調のサブドミナント(II7、ただし2本のFlがE音を加えているので、これまた妙なる響き)が生まれ、3小節目で主和音に解決するというぐっと調性的な趣に。この旋律は譜例29に呼応しています。
Picc、Cel、Glspがホ(E)音を響かせ、冒頭に戻ります。E音は前曲からずっと常にどこかで鳴っており、旋律の対応とともに2つの曲を結びつける要素になっています。
18. Circa mea pectora
Circa mea pectora | あたりには、私の心の |
multa sunt suspiria | たくさんある、ため息が |
de tua pulchritudine, | あなたの美しさのゆえに、 |
Bar独唱が心のため息を歌う冒頭は、第4曲譜例6の逆行形。同様にホ調エオリアでしょう。続いて5/4拍子でy音形が見られるのは、第17曲とのつながりも感じさせます。伴奏和音は久しぶりにホ短調主和音の連続です。più mossoから加わるFl、Ob、Pfの8分音符で繰り返し駆け上がる音形がヘミオラになって変化を与え、ややモノトーンな感じの前半からめまぐるしい後半への橋渡しをしています。
各節末尾で繰り返される"Manda liet"は、テンポを上げた合唱が急き込んで歌います(そっくりのメロディがクラヴィーア練習曲第29番に出てきます)。伴奏和音はHrが合唱に添って甘くi→viiを反復するものの、弦のffのピチカートはivの上にiをずっと重ねており、もはや和声的な意味は無いのかもしれません。女声の呼びかけにCisが入るのはロ短調とも思えますが、男声が受けるところではバスのCが♮に戻ってしまうので、呼びかけはホ調ドリアになると考えておくほうが良さそうです。最後は"niet"の繰り返し七度上昇で到達するAを強調して畳み掛けるように駆け抜け、冒頭に戻って繰り返します。
19. Si puer cum puellula
Si puer cum puellula | もし男の子が女の子と一緒に |
moraretur in cellula, | 逗まったら、小部屋に、 |
Felix coniunctio. | 幸せな結びつきになるから。 |
allegroでちょっとこっけいな味わいを醸しながら、まずBasとBarの3人が8分音符の連続を、次いでTenの3人が付点のシンコペーションを、ア・カペラで歌います。三和音が完全に平行移動しているため、かっちり束ねられ隙間がない感じ。調号でいえば嬰ヘ短調ですが、和音と旋律、特にGisの扱いからして、ロ調ドリアということでしょう。
最初の和音の動きが、第18曲のHrのdolceの動きと同じ(調は異なるけれどF管の記譜だと音も同じで、やはり三和音の平行移動)なのは、偶然なのかもしれませんが、曲の隠れたつながりを示すようで、面白いです。後半"fit ludus"からは速いテンポの跳躍続きで(特にSoloになるBarは)なかなかの見せ場。歌詞は行番号で 1-2, 3, 1-2, 3, 4-5, 4-5, 6, 6, 7-8, 7-8, 1-3 と繰り返して歌われます。
20. Veni, veni, venias
Veni, veni, venias, | 来て、来て、来ておくれ、 |
ne me mori facias, | 私を死なせないでおくれ、 |
hyrca, hyrce, nazaza, | ヒルカ、ヒルケ、ナザザ |
屈託のないPfの伴奏で、第2合唱がシンコペーションを効かせたナンセンスソングを、女声と男声の掛け合いで楽しく歌います。これまた調号は♯ひとつながら、Pfの左手はイ短調で右手の後打ちはハ長調、合唱もハ長調和音で始まり、どこにもト長調和音は出てきません。しかし旋律にはFisがあるので、これはハ調リディアというわけですね。
Percも加わり、第2節"Pulchra"からは第1合唱が前面に出ます。xが顔を出してきました。旋律はト調ドリアと考えられますが、第2合唱の合いの手"nazaza"はハ長調(+Xyloが二度で重ねるD音)、Pfはまたイ短調とハ長調の混在にB音がオクターブの8分音符で鳴り続けるというアナーキーな状態。旋律の音が分かれて三和音になると、またしても平行移動でエネルギーが束になって放たれます。最後はニ長調に転じ、賑やかなPercを伴って第1、第2合唱が競い合うようにクレッシェンドして締めくくります。
歌詞は行番号で 1*, 1*, 1*, 1*, 2*, 2*, 3*, 4*, 5-8, 9-12 と繰り返して歌われます(5~11行の末尾には3行目の"nazaza"が合いの手として挟まれます)。ちなみに第9曲中間部の歌詞(Chume, chum...)はこの曲の歌詞のドイツ語対にあたるのですが、気づいたでしょうか。
21. In trutina
In trutina mentis dubia | 天秤の中で、心の迷いの |
fluctuant contraria | 揺れ動く反対のもの |
lascivus amor et pudicitia. | わがままな愛と貞節なるもの。 |
Sop独唱のたっぷり愛を込めた歌は、弱音器をつけた弦が紡ぐ柔らかい和音のベールにずっと包まれています。七の和音など付加音を多用したニ長調の和声は、これまでの曲の音楽的冒険志向から一転し、際立ってロマンティックです[9]。
旋律の三度上昇の反復は、第9曲の譜例15を思い出させます。半音階下降するこの上なく甘いHrをTimpが追いかけるというのも、お洒落です。
22. Tempus est iocundum
Tempus est iocundum, | 時だぞ、喜びの、 |
o virgines, | おぉ、乙女たちよ、 |
modo congaudete | 今こそともに楽しめ |
PfとPercのみの伴奏で、allegro moltoの喜びの時を合唱が勢い良く歌います。和声の基本はニ長調のI-Vですが、例によってそれぞれCis、Gisと二度でぶつかる音が加えられています。いや、Gisは旋律にも出てくるので、これはニ調リディアですか…。3/4拍子の挿入とアウフタクトの有無の切り替えによって、シンプルなのにあれっと思わせる巧妙なリズムになっているのが見事です。
第2節でいったんゆっくりになって、Bar独唱が燃え上がる気持ちをカスタネットに乗って歌い、テンポを上げていきます。Pfの左手はVの五度なのに右手は後打ちでII7を弾くという第20曲と同様のトリックで面白い効果を出しています[10]。"quo pereo!"は合唱も加わって急速に歌い、また喜びの歌に突入します。
喜びのテーマと燃え上がるテーマの組合せは、2、4回目はSop独唱と児童合唱、3回目はBar独唱と男声合唱、そして5回目は全合唱にBar独唱と児童合唱が加わって歌います。
23. Dulcissime
Dulcissime, | この上なく愛しい方、 |
totam tibi subdo me. | すっかりあなた捧げます、私を。 |
第21曲と同じ詩の最終節を用いた曲です。前曲最後の盛り上がりに加わらなかったSop独唱が、祝宴の喧騒からそっと抜けだして一人で気持ちを噛みしめるかのように、カデンツァを思うままに歌います。冒頭の独唱はニ長調の属音から九度跳躍、pppでそっと支える和音も属音上のII7。そして最後に伸ばすのはV7で、主和音はなく宙吊りのまま次につながって行きます。
Blanziflor et Helena: ブランチフルールとヘレナ
曲の歌詩から取られたサブタイトルですが、自筆譜ではこの曲で特別な区切りはなく、サブタイトルもありませんでした。
24. Ave formosissima
Ave formosissima, | ようこそ、この上なく美しいひと、 |
gemma pretiosa, | 宝石、貴重なものよ、 |
ave decus virginum, | ようこそ、誇りよ、乙女たちの、 |
3組のGlspがきらめき、全合奏に支えられた合唱がffで、この上なく美しい人を歓迎します。前曲の属七終止からニ長調になるのかと思いきや、ト長調が響くので少し驚かされます。旋律線後半はxの反行形です。音階下降するバスの関係で転回形が多いものの和声はシンプル。とはいえ一向に主和音には進まず、最高潮に達したところでようやく、と思ったとたんにニ長調に転調してしまいます。しかし新しい調になっても、やはり主和音には解決することなくドミナントで半終止。
Fortuna Imperatrix Mundi: フォルトゥーナ、世界の支配者
25. O Fortuna
O Fortuna, | おぉフォルトゥーナ |
velut luna | あたかも月のような |
statu variabilis, | ありさまは変わりやすく、 |
前曲のドミナントはニ短調にたどり着き、第1曲O Fortunaが戻ってきます。運命の車輪が1回転したわけですね。春を寿ぎ、踊り、酒を飲み、愛を高らかに祝ったのは夢だったのか、あるいはヘカベのように幸せは続かないということなのか、あるいは権勢をふるうあの政権党もいずれ躓くといいたかったのか、あるいは…
補足
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オルフによる詩の選択と配列 ^: オルフはカルミナ・ブラーナに出会って強いインスピレーションを受け、数日のうちにPrimo Vereまでの着想を書きとめますが、一方で書物の中に分け入っていくのは易しいことではなかったと、次のよう述べています。「調べては読み、発見しては却下するということからはじめて、ようやく豊かなテキストの中から個々の部分が立ち現われてくるようになった。繰り返して読むうちに、複数の節で構成される詩から一つの節が切り離され、新しい文脈で捉えられるようになった。このようにして『舞台カンタータ』のテキストが構成されていった。」[Dokumentation IV, p.40]
かくして、次の表に示すように23の詩からテキストが選ばれ、独自のストーリーを持つ曲を構成することになりました。第9曲は2つの詩からテキストを採っている一方で、第21曲と第23曲は同じ詩の異なる部分を用いているため、曲数と選んだ詩の数が同じになっています。S.欄はシュメラーが出版した時の番号、CB.欄はヒルカ/シューマンの校訂版が採用した番号、区分は校訂版における区分です。
曲 歌詞の冒頭 S. CB. 区分 第1曲 O Fortuna I 17 道徳―風刺 第2曲 Fortune plango vulnera LXXVII 16 〃 第3曲 Veris leta facies 101 138 愛 第4曲 Omnia sol temperat 99 136 〃 第5曲 Ecce gratum 106 143 〃 第7曲 Floret silva nobilis 112 149 〃 第8曲 Chramer, gip die varwe mir CCIII 16* 補遺 第9曲 Swaz hie gat umbe 129a 167a 愛 〃 Chume, chum, geselle min 136a 174a 〃 第10曲 Were diu werlt alle min 108a 145a 〃 第11曲 Estuans interius CLXXII 191 酒 第12曲 Olim lacus colueram 92 130 愛 第13曲 Ego sum abbas 196 222 酒 第14曲 In taberna quando sumus 175 196 〃 第15曲 Amor volat undique 60 87 愛 第16曲 Dies, nox et omnia 81 118 〃 第17曲 Stetit puella 138 177 〃 第18曲 Circa mea pectora 141 180 〃 第19曲 Si puer cum puellula 144 183 〃 第20曲 Veni, veni, venias 136 174 〃 第21曲 In trutina 43 70 〃 第22曲 Tempus est iocundum 140 179 〃 第23曲 Dulcissime 43 70 〃 第24曲 Ave formosissima 50 77 〃 第25曲 O Fortuna I 17 道徳―風刺 CB.16*は補遺に含まれるもので、CB.16とは別の詩です。
なお、写本ではいくつかの詩にネウマと呼ばれる歌の抑揚を示す記号が付されていますが、出版されたものにはネウマはなく、オルフもこれらとは関係なく作曲しています。
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舞台芸術としてのカルミナ・ブラーナ ^: オルフは、舞踏家ドロテア・ギュンターとともに、音楽とリズム、舞踏、体育を融合させた教育を行なうギュンター・シューレを設立するなど舞台への関心が強く、その作品の多くは舞踏/舞台を伴うものとして作曲されました。カルミナ・ブラーナも同様で、オルフは本の扉を開いた時に「新しい作品、歌い踊る合唱を伴った舞台が、装画とテキストにしたがって、頭に浮かんだ」と述べ、"Szenischen Kantate"という言葉を使っています[Dokumentation IV, pp.38-40]。「詩が表している人間の多様な姿にオルフの音楽が存在を与え、"imagines magicae"(魔法のような表現)に変換される」のです[thomas]。
このため、舞台を伴わない演奏はこの曲の狙いを十分に伝えていないという意見もあります。当初ドレスデンで検討されていた初演も「演奏会形式での初演は作品を誤解させるかもしれない」ということもあって見送られ、紆余曲折を経て監督オスカー・ウェルターリン/舞台制作ルートウィヒ・ジーフェルト/指揮ベルティル・ウィツェルスベルガーの組み合わせによりフランクフルト歌劇場で初演されました[Dokumentation IV, pp.64-66]。 もちろん古今のバレエ作品は純粋に音楽としても広く受容されているわけですし、オルフはカルミナ・ブラーナの音楽のみの録音にも複数立ち会っていますから、どちらもありだろうと思います。とはいえ、曲をじっくり読むと、オルフは踊りとの融合をイメージしていただろうなと強く感じる部分が多数あることも、また確かです。
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静的構造とオルフの音楽の特徴 ^: オルフが静的構造(statische Architektonik)と[Dokumentation IV, p.43]で述べたのを[thomas](スコア序文)が引用しています。この影響もあってか、カルミナ・ブラーナの紋切り型紹介でしばしば「単純な構造」が強調されますが、簡潔さに基く反復性と効果(Auf der Knappheit der Aussage beruht ihre Wiederholbarkeit und Wirkung)を「単純」というのはそれこそ単純化しすぎですし、あくまでEin besonderes Stilmerkmal(ひとつの際立った様式的特徴)とされていることに注意が必要です。オルフの作品全般が「和声・旋律・リズムのすべてが、単純さ、明快さ、力強さにあふれている」という類の説明も、特に「世界劇Theatrum Mundi」に向けて《簡潔さと反復性》が極めて重要な側面のひとつ("Ein")になっていくことは確かだとしても、粗雑に過ぎるでしょう。
一方でカルミナ・ブラーナの初演時に「これまでの作品はすべて破棄してよい」と出版社に書き送った話(下注参照)が知られたこともあってか、初期作品はほとんど顧みられません。が、ドビュッシー(特に「ペレアス」)の影響を受けた歌劇「犠牲」や四重奏断章には、しなやかでロマンの香りすら感じられる中に、カルミナの繊細な和声の出発点が伺えます。第一次大戦従軍後のギュンター・シューレの頃は、モンテヴェルディの歌劇編曲を手がけた他、後にムジカ・ポエティカなどにまとめられる教育作品(シュールヴェルク)を作りました。後者はオルフ自身[Dokumentation IV, p.43]で述べているように後年の作品の源となる「採石場(Steinbruch)」であり、カルミナ・ブラーナに用いられているモチーフも含んでいます。
※オルフが出版社に
私がこれまでに書いてあなたが気の毒にも印刷したすべてのものは、破棄して構いません。カルミナ・ブラーナで私の作品集は始まるのです
と書いたという話は[Dokumentation IV, p.66]にあります。ただしそれは素晴らしい舞台稽古後の高揚のうちに
軽い気持ちで
述べたもので、本当ではあるけれど本当ではない
ものだったと記されています(初期作品は実際は破棄されていませんが、後に手を加えているものも少なくありません。まぁ自作の改訂は、オルフに限ったことではないわけですが)。 -
フォルトゥーナの主題 ^: オルフはこの冒頭部分について、1925年に編曲したモンテヴェルディ「アリアドネ(アリアンナ)の嘆き」の暗号化された引用でもあると述べています[Dokumentation IV, p.42]。確かにカルミナ・ブラーナを思わせるオルフ編曲の歌劇「アリアドネの嘆き」をNaxos MLでも聴くことができます。
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基本動機 ^: y'とした音形は、最初の二度下降上昇を共通点としてyを変形したものと考えてみましたが、無理に関連付ける必要はないかもしれません。逆に、xとyも一つのフレーズを分解したものなので、同じものの派生と見ることも可能です。ただこれらは、第Ⅱ部以降に進むとだんだんそれぞれの個性を示すようになって行きます。
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春から回りはじめ ^: vereは春を表す中性名詞の奪格で、時の奪格として「最初の春に」でよいわけですが、原因の奪格的にそこから始まるという感じで、運命の輪の回転も暗示されるタイトルになっているのかなと思います。さらにこれはボッティチェリの「プリマヴェーラ」も連想させて、神話的世界の春の成長といったイメージもあるでしょう。オルフはタイトルにもなかなかこだわっているようです。
なお自筆譜では第3曲と同じVeris leta faciesがサブタイトルに用いられており、出版に至る段階で新たに加えられたものだと思われます。以下、基本的に同様です。
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旋法の利用 ^: エオリア旋法は短音階と同じ音の並びですが、調性音楽での短音階は主音に向かう第7音が半音高められる導音になるのに対し、エオリア旋法ではそうした変化がありません。
ここで導音Gisが用いられないということは、音の並びだけからするとニ短調の可能性も(小さいながら)あります。導入の空虚五度は、それならばiv-vの動きとしても捉えられます。"in vestitu"からの後半旋律の第2音で一瞬ふわっとした感じがあるとすれば、ここでニ短調のB音を期待していたのがH音であるため、ニ調ドリアのように響くからと考えることもできるでしょう。
いずれにせよこの旋律から短音階とは少し違った古風な印象を受けるのは、旋法的要素による部分が少なからずあるように思います。オルフはこの曲の第Ⅲ部(Cour d'Amours)において、旋法的旋律を多用しています。
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恋心あるいは愛の法廷 ^: フランス語のcour d'amourは歴史・文学用語では「愛の法廷」ですが、同時にcœur d'amours(恋心)の掛詞でもあり、さらにamour courtois(宮廷風恋愛)も示唆します。
「愛の法廷」は、アンドレアス・カペルラヌスの『愛の技法』に書かれた《恋をする人間はそれだけで徳を高めることができ、欲望とは切り離されている》という考えと呼応し、中世フランスの貴婦人たちの館で恋愛沙汰を裁く「法廷」が開かれたというもの。伯爵夫人マリー・ド・シャンパーニュが、母アリエノール・ダキテーヌに相談しながら「真の恋愛は結婚したものの間には存在しない」という判決を出したことなどが知られています。
「宮廷風恋愛」も同様に精神性を重視した恋愛で、男は女性に騎士道精神で仕え、結婚をしないというもの(ドイツ語でいえばミンネMinne)。中世吟遊詩人の重要なテーマであり、「カルミナ・ブラーナ」に収録された恋愛詩にも、ミンネザングの視点で捉えることができるものが多数あります。
とはいえオルフが選んで組み立てたこの第Ⅲ部が精神的な愛を歌っていると言うのはやや無理がありますから、本家「カルミナ・ブラーナ」ではそうなんだけどねといういたずら、あるいは現実への風刺を込めたタイトルという感じでしょうか。courには法廷の他に中庭、宮廷、朝臣、取り巻き、ご機嫌取りなどの意味もあり、faire la cour à une femmeで女性に言い寄るという成句にもなります。ここでは騎士道的に仕えるパロディの意味を込めて「愛ノ廷臣」としてみました(「愛の中庭」も捨てがたいですが)。英訳で用いられるcourtはそれだけで求愛とか誘いという意味もあるので、「愛の誘い」という訳はよく見かけますが、もう少し“ため息”の雰囲気が欲しい感じも。
第III部のサブタイトルも、自筆譜では最初の第15曲のAmor volat undiqueが用いられていました。
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オルフの物語展開 ^: ここはバレエならパ・ド・ドゥになる絶好の場面!と思ったりするわけですが、ソロで女心を表現したり、群舞だったり、フォルトゥーナみたいな冠被った人が歌ってたりと演出はさまざまで、発見があったり首を傾げたり、人が歌詞と音楽から紡ぎだす物語は、多様です。
ちなみに「Cour d'Amours」は原詩の部分的な節を切り取ったものが多く、オルフの独自のストーリーを構成しようという志向が強くあらわれています。それはたとえば、一人の少女と田舎者っぽい男がいて、男が彼女を見出し、思い悩み、ナンセンス調で告白し、なんと受け入れられて有頂天になり幸せ、といった展開として捉えるのが私案。ただ内容が独白でも合唱だったりすることも含め、いろんな解釈と演出が行なわれていて、比較すると興味が尽きません。
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V上のサブドミナント ^: バスのVの上にサブドミナント(IVとかII7とか)を置くというのは、たとえば第14曲や第21、23、24曲でも用いられていて、面白いなと思うのですが、これらはまったくトニカに解決するという志向は持っておらず、機能和声的な意味でのドミナントの性質はあまり感じられません。特に第23曲の長い和音をみるとこれはむしろII11(9抜き)の第5転回といったほうが響きの性質に合いそうで、特殊なサブドミナントということなのだと思われます。
逆にこの曲は、途中まで極端にサブドミナントの和音が少なく(第5曲でIIが少し使われるけれど、まともなIVは第11曲まで出てこないのではなかろうか)、そのあたりは大半がトニカで時々ドミナントが挟まれ、他は個性的な不協和音という感じ。これが「シンプルな和音」と言われたりする要因の一つなわけですが(もちろん第Ⅱ、Ⅲ部をみれば分かるようにそんな単純なものではありません)、それだけにこういう凝ったサブドミナントが用いられることがまた興味深いです。
なお[Vasil]は第22曲の第2節をイ調ミクソリディアだと述べています。そう考えるとバス(左手)がIになるので合理的かもしれないですけど、どうなんですかね。
出典および参考文献
歌詞について
1803年にベネディクトボイエルン修道院で写本が発見されたカルミナ・ブラーナは、1847年にシュメラー(Johann Andreas Schmeller)の編纂により出版され、1930年から批判校訂版の刊行が始まっています。オルフが作曲した頃は、批判校訂版はまだ「道徳―風刺編」しか出版されていなかったため、歌詞のテキストはシュメラーの第4版(1904)に基づいています。そのため、批判校訂版によるテキストとは一部単語や綴りが異なっている場合があります(ただしよく見ると、校訂版での修正をオルフが採用している箇所もあります。オルフはテキストの選択にあたって、アーキビストにして羅希/独対訳集トゥスクルムの編集者でもあったミヒェル・ホフマンの協力を得ています)。
なお、中世の詩であるカルミナ・ブラーナの原詩はもちろんパブリック・ドメインですが、オルフによる歌詞としての詩の選択と配列は(日本で言えば著作権法12条1項に定める「編集物でその素材の選択又は配列によって創作性を有するもの」として)一定期間保護されている、と著作権管理者は主張しています(ただしオルフは自身で写本を読解したわけではなく、シュメラーらの校訂著作物を利用しているのであり、その権利が尊重されているのかどうか甚だ疑問ですが)。日本における管理者のショット・ミュージック社に確認したところ、歌詞のインターネット公開は原文、翻訳ともに許可しないという回答でした。そのため本稿は歌詞対訳の掲載を見送り、編集著作権が関係しない形での詩歌集(原詩)紹介ページを別途用意して参照しています。
譜例と拍子記号について
譜例はショット社(Eulenburg)版スコアNo.8000にもとづいています。オルフは通常の拍子記号と異なり、単位となる音符を分母にして1小節あたりの音符数を分子にするという特殊な記法を用いています。スコア、パート譜はこれに準じて記されていますが、手元の作譜ツールではうまく表現できないので、一般的な拍子記号を用いています。
参考文献
- [Dokumentation] 1979, Schneider , "Carl Orff und sein Werk : Dokumentation - IV Trionfi",
- in "Carmina Burana Score", Edition Eulenburg, 1981, Schott Music GmbH , "Vorwort zu Carmina Burana Score",
- in "Monatshefte", Vol. 69, No. 2 (Summer, 1977), pp. 121-130, 1977, University of Wisconsin Press , ""Carmina Burana" and Carl Orff",
- 2013, West Virginia University , "A Comparative Analysis of the Musical Elements in Carl Orff's "Amor volat undique", "Tempus est iocundum", and Orff Schulwerk",