Man of music with period appeal

(96年1月2日フィナンシャル・タイムズ芸術面より)

アンドリュー・クラークが、我々の先入観に挑戦し、我々の耳を過去に向けて開いてくれる指揮者と語り合う

Financial Times
今年はロジャー・ノリントンの年のように見える。彼は、この一年のスタートと仕上げをザルツブルグで迎えるはずだ。今月後半にはそこでウィーンフィルを指揮し、12月には1997年音楽祭のモーツァルト『ミトリダート』のリハーサルのために再び訪れることになっている。その間には、ロンドンフィルとベルリオーズ、ボストンでドボルザーク、バーゼルでヘンツェ、ワシントンでエルガー、シカゴでベートーベン、プロムスでニコラス・モー、そしてウィーンでブラームスを演奏するという具合だ。もちろん彼自身のオリジナル楽器オーケストラ、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(LCP)を引き連れての3回のヨーロッパ演奏旅行を忘れてはならない。

いったい誰かが、ノリントンは時代音楽(period)の専門家だなどと言ったのだろうか? そうであるならば、その「時代」とは、1600年から2000年までとかなり広い時期を指すことになる。これが、彼と古楽のパアイオニアたちとの異なる点だ。そして、彼はベートーベンやブルックナーの場合と同じように、その法医学のような分析手腕でボーン・ウィリアムズやペルトも解きほぐしていく。これが、彼と他の「高名な」指揮者とを分かつ点だ。ほかのどんなイギリスの音楽家も、彼のようには我々の先入観に挑戦し、我々の耳を過去に向けて開いてくれはしなかった。 61歳の今、ロジャー・ノリントンは、まさに国際的な脚光を浴びるに値する。

明らかに、彼はそれを楽しんでいる。古楽の革命というのは、オリジナル楽器や特定のレパートリーに関してではない、と彼は言う。「それは、考え方(mind)の習慣です。たとえ私が古楽について何も知らなかったとしても、私は今あるような指揮者だったでしょう。私はただ、音楽をガレージに持ち込んで、バラバラに分解して、いったいそこで何が行われているのかをつぶさに観察して、もう一度組み立てる、そういう風にしないといられないのです。ブルルルーン!」

土の臭いのする(earthy)情熱が、いつもノリントンのトレードマークだ。彼はケント・オペラで13年音楽監督を務めた。そこで彼は膨大なレパートリーを身につけ、集団がいかにして機能するかを深く理解したのだが、そこにおいて彼の情熱が歌手とオーケストラを大いに刺激した。また、情熱は週末「体験」シリーズの鍵であった。そこにおいて、彼とLCPは議論し、リハーサルをし、演奏して、作曲家の作品を全ての人にとって喜ばしい楽しみへと導いていったのだ。そしてそれは今でも彼と従来型オーケストラとの日々の接触に浸透しているのである。

「音楽の実現過程に対する、こういう情熱に出会うことは滅多にありません」と、ノリントンが最近客演したバーゼル交響楽団のメンバーが語ってくれた。「彼は驚くほど生き生きと演奏家と触れ合います--オーケストラは素晴らしい時を過ごしました。彼はハミングする演奏を行い、音楽は本当に飛び立っていったのです」

長年の同僚は、ノリントンが年とともに丸くなってきたと言う。彼は、ガンの手術を2回行い、再び父親になった:彼の妻、演出家のケイ・ローレンスと2才の息子は、しばしば演奏旅行に同行する。「しかし、こと音楽となると、彼は相変わらず厳密で要求は厳しいですね」と、ずっとLCPにいる者は言う。「彼には、音楽がどうあるべきかに関しての明瞭な考えがあります。彼のポイントは、これが生身の人によって書かれた生身の音楽であるということなのです。そして、彼はその『無媒介の(immediate)』要素を伝えてくれます。彼は伝統的な解釈を避け、音楽を非神秘化し、無駄や邪魔なものを取り除こうとするのです。」

これが現在ノリントンが海外でこれほど高い評価を受けている理由のひとつである。アメリカとイタリアで長期にわたって人気を誇ってきた彼は、オーストリア=ドイツでも、ようやく最近その存在が認められてきた。彼は、CDに改宗させる(proselytisting)影響力があったと言っている。「CDは潜在意識に入りこんでいきます。その地域の人々は、何か知らなければならない事があるという考えになじみはじめました。私の大まかなドイツ語にもかかわらず、オーケストラは非常に敏感に反応してくれます」

ノリントンはイギリスのことを忘れてはいない。元ケンブリッジの声楽学者である彼は、バークシャーに住み、2人の助手と一緒のLCPの予定を組み、ロンドンフィルを年10回指揮する。彼は、モダン楽器での仕事も全く問題ないと言う。「楽譜を書き直し --出版された楽譜の多くは不正確なので--、配置を変更し、テンポ、フレージング、光と陰、そして“世界観”を変えれば、それだけで大変な違いが生まれるのです。しかし一度そのスタイルに慣れてくると、彼らは躊躇しながら『他のことはみんなやっているのだから、ビブラートもやめるべきではないでしょうか?』と言いだすかも知れません。実際ロンドンフィルではそういうことがあり、そしてその結果はまったくもって素晴らしかった。信頼してもらうようになると、彼らはあなたがガウンと角帽を身につけて現れるつもりでないと理解してくれます。彼らは、あなたを真の音楽家として見てくれるのです。」

ノリントンの歴史的要素に注意を払った演奏は1960年代の初期から始まった。彼はその頃、彼自身のアマチュア合唱団と共にヨーロッパの教会を巡回してシュッツを演奏していた。シュッツのスタイルというものはなかった:彼はそれを自ら発明しなければならなかったのである。しかしそこからバッハ、テレマン、ヘンデルへ至る道のりはごく短い。そしてグルックとハイドン、ベートーベンとベルリオーズ、シューベルトとシューマンがその延長上にあった。現在、その旅はワグナーとブルックナーにまで達している。そして、その結果は彼の賛美者と同じくらい、ノリントンをも非常に驚かせるのである。

LCPとの『マイスタージンガー序曲』の録音において、ノリントンは標準的なものと比べて演奏時間を2〜3分縮めている。「私は、我々の次の仕事において、同じものを発見するということはまずないと常に考えています」と彼は言う。「1年前、我々はワグナーがオリジナル楽器でどのように響くかということを知りませんでした。テンポはたいした問題とは思っていませんでした。それは単に同じ音楽をこれらの楽器で聞くいうことだろうと。それから、私は研究を始めました。 『指揮について』の中で、ワグナーは彼がマイスタージンガー序曲を指揮したとき、それは8分数秒であったと書いています。私は思いましたよ。ワォ! 我々がそうしたら、どんなふうに響くんだろう?」

それは意外な新発見 --普通に比べて壮麗ではなくよりユーモラスであり、クライマックスでは春が駆け寄ってくるような-- であった。ノリントンが昨秋リンツ・ブルックナー・フェスティバルで演奏したブルックナーの第3交響曲でも同様の結果が得られた。彼は第一稿を採用した。それは以後の演奏バージョンのような弟子による「改良」がなく、ブルックナーが生前耳にすることのなかったものだ。そして彼は記録に残っているブルックナー自身のコメントを調べた。そこには最終楽章のポルカについての言及も含まれていた。

「大抵の指揮者はどうするでしょうか? 彼らはそれを哀歌のように演奏します。しかし、ブルックナーがポルカであると言うならば、それはポルカです。そこで私は、はっきりとポルカのスピードを使いました。その結果、曲は舞曲のように響き、コラールは突然、歌うことができるようになったのです。私がしようとしているのは、過去を信じ、記録をストレートに扱うということです。人が間違っているということを証明しようとしてスタートするのではありません。純粋無垢なところから始め、疑問点を尋ね、そしてこれらの眩いばかりに明らかなことがらに遭遇するのです。」

ノリントンは、あらゆる作曲家の音楽を同じ方法で扱うと言う:「私はそれを感じ(feel it)、可能な限りの情報を集め、そして実行に移します。私は心と頭の両方に従いたいのです。両者は常に創造的な緊張関係にあります。作曲家が欲したことに従うために最善を尽くそうと考えることができるでしょう。しかし、2日間のリハーサルの後、随分と違ったやり方をしているのに気が付くかもしれません。それでいいのです。最終的には、感覚(feeling)が王様です。それはあなた自身のビジョンでなければならないのです。」

この二夏の間、彼はペザロのロッシーニ・フェスティバルで指揮した。そこで彼は大いに貢献しただろうか? 「主催者は、私がロッシーニをシェイプアップし続けることを切望していました。曲の最後に高音を持ってくるのはなし、カデンツァは書かれている通りに、趣味の良い装飾、テンポは遅すぎず。彼は活気づけられる必要などありませんが、フレージングは彼が想定した以上に媚惑的になされています。彼は通常19世紀スタイルにハイジャックされています。しかし、『セミラミーデ』は1822年に書かれました。彼はウィーンに行って、ベートーベンに会っています。これらは、ベートーベンが古典的であるという意味において、完全に古典的な作品なのです。」

ノリントンの過去への旅は、まだまだ終わらない。彼は5月にプラハを訪問し、スメタナの『我が祖国』を初めて歴史的考証に基づいて演奏する。チャンスがあれば、彼はバイロイト祝祭劇場にもLCPを連れて行くだろう --「正しいオーケストラを正しいホールで」。彼は、セント・ペテルスブルグでチャイコフスキーを演奏し、ベルクの「体験」週末を実施し、オペラ劇場で『ルル』、『トロイ人』そして『マイスタージンガー』を上演したいと考えている。彼は、1980年代にモンテヴェルディの『オルフェオ』をイタリアに持っていった、古典オペラプロジェクトの復活を夢見る。「歴史的舞台芸術は、1960年当時の古楽と同じ状況にあります。材料は全て揃っています。適切な劇場の熱狂的な興業主(a mad entrepreneur with the right theatre)だけが必要なのです。」

ノリントンは、彼がすることの多くが推測による仕事であると認める:それは、彼が選んだ冒険の道である。彼は時にはひどく間違うかもしれない --それは彼のリスク選択の結果である。けれども彼の演奏はどれ一つとして退屈だったりお座なりだったりしたことはない。願わくばこの先もずっとそうであって欲しいものだ。

(Andrew Clark, Financial Times, January 2, 1996)

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