Norrington's Smetana at Prague Spring
1996年5月、ロジャー・ノリントンとロンドン・クラシカル・プレイヤーズは、外国の指揮者+オーケストラとして初めて(*注)「プラハの春」音楽祭のオープニングでスメタナの「我が祖国」を演奏しました。しかも、作曲当時の資料に基づいた“歴史的”演奏で、です。
NHKで放映されたコンサートの様子では、前半は割に淡々とした演奏、後半になるとかなり熱が入ってきたような感じでした。 歴史的考証に基づいたオーケストラということですが、ホルンは全てバルブ付き、弦楽器は結構ビブラートを使っていたのにはびっくり(音が濁るほどのものではなく、長音の透明な感じは生きていましたが)。この時代になると、古典とはかなり奏法が変わってきているようです。
クーベリックの帰国記念演奏のような感動的なものとは全然違いますが、こういうスメタナも面白いかなというところでしょうか(プラハに行って来た人の話によると、まだ「歴史的」演奏に馴染みがないせいもあって、評判はそれほどでもなかったとか)。
この演奏に関する2つの資料を翻訳、紹介します。
97年10月には、この組み合わせによる録音がヴァージンから発売されました。この日本盤のブックレットに寄せられた池田卓夫氏の解説から、プラハの春での演奏に触れた部分を引用します。
演奏当日は、ノリントンの予告通り、各12人の第1、第2ヴァイオリン(ガット弦を使用)を左右に配置。木製のフルートや本革のティンパニなどもそろえた楽団のピッチは現代より少し低いが、18世紀一般よりは高いA=437ヘルツに調律された。
ノリントンは指揮棒を持たず、情熱的で身ぶりの大きい指揮から、楽団の自発性を引き出していく。第1曲「ヴィシェフラド」の冒頭こそ慣れない響きにとまどったものの、次第に熱を帯び、はつらつとした音楽に心を奪われるようになる。第2曲の「モルダウ(ヴルタヴァ)」では、コーダのティンパニの“たたみかけ”が、楽員一人一人にまで浸透した演奏の意図を物語っていた。第3曲「シャールカ」あたりになると、ピリオド・アプローチの学究的姿勢が「作品像のわい小化につながるのではないか」といった懸念も消え、19世紀の欧州の明るく、希望に満ちた時代の音、雰囲気を心から楽しんだ。
後半はますます調子が出て、ノリントンがモダン(現代仕様の)楽器のオーケストラを振っても、十分に音楽的な指揮者であるに違いないと確信した。第4曲「ボヘミアの森と草原より」は第1、第2ヴァイオリンの対向配置の面白さを堪能する場面でもあった。第5曲「ターボル」では、ガット弦ならではの響きのブレンドが時に、オルガンのような荘重さを醸し出す。第6曲(終曲)の「ブラニーク」に至るまで、アーティキュレーションや強弱法への確信には揺らぎがなかった。ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの高い志と技量に圧倒された聴衆は、盛大な拍手と歓声で報いた。ノリントンは最後に、渡された花束をスコアの上へ置き、スメタナへの敬意を示していた。
「わが祖国」の連続演奏を目的とした彼らの欧州ツアーは、プラハのあとウィーン、チューリヒ、ロンドンを回り、CDへの録音も期間中に済ませた。徹底したリハーサルと本番を繰り返した上、セッションを組んだのだから、仕上がりに抜かりがあるはずもない。97年初めに解散したロンドン・クラシカル・プレイヤーズが20年近い実践の中で到達した、音楽の成果すべてがここにこめられているはずだ。
注:指揮者、オーケストラのどちらかが外国のものという例は、これまで2回だけだが、前例がある。例えば93年にはロイヤル・リバプール・フィルが演奏した。