ロジャー・ノリントンにインタビュー! 2004

2004年11月23日に、来日中のノリントンにインタビューしました。途中でCDを引っ張り出してきて音を聴いたり、フレーズを歌って聴かせてくれたりと、様々なスタイルで語ってもらった話の一端をご紹介します。

ビブラート、フレージング

Q: 今回来日したシュトゥットガルト放送響のメンバーは、前回2001年来日のときからかなり入れ替わっているようですが、それでも「シュトゥットガルト・サウンド」は健在、いやそれ以上で、新しい演奏スタイルがすっかり根付いていますね。ここに至るにはかなり時間がかかったのでしょうか。

〔写真〕ホテルの部屋でくつろぐノリントン。 A: ええ、まあ確かにすぐにというわけではなく、徐々にということですね。最初に私はストレートにアイデアを伝え、それに対してはやはり驚きの反応が返ってきたものです。それでも、ビブラートは1930年代までは使われていなかったことなどを説明をし、考え方を理解してもらうと、彼らはきちんと取り組んでくれました。

といいつつ、ベートーベンでうまくいったあと、次にブラームスあたりを取り上げると「これはビブラートをかけてもいいですか?」とくるので、「うん、まあ、かけてもいいけど、かけないでやってみたら」といった具合ではありました。でも、ビブラートのない「ピュア・トーン」がいかに美しいかということを彼らが身をもって知ると、もうあとは彼ら自身が積極的にやってくれるんですよ。

Q: 同じアプローチは、他のオーケストラでは、たとえば客演するだけでは難しいでしょうか。

もちろん他のオーケストラでも可能なことです。コンセルトヘボウは、アーノンクールとモーツァルトを演奏しているので、すぐに反応してくれます。ライプチヒ・ゲバントハウスはやや難しいですが、それでも2日の練習でちゃんとやってくれます。ベルリンでも、ウィーンでも、その他のオーケストラでも同じようにやりました。日本のオケだってできるはずです。

(ただ、ビブラートというのは、チェーン・スモーキングのようなもので、奏者の立場では、止められないと言うか、自然に手が震えてしまう(笑)という問題はありますけど)

できないのは、オーケストラよりもむしろ指揮者(および教師)の方ですね。シュトゥットガルト放送響に客演する指揮者には、「お望みならノン・ビブラートでも演奏できます」と手紙を書くのですが、誰もやりません。どのように対応したらいいのか、分からないんでしょうね。その意味で、最近若手指揮者が積極的にピリオド・アプローチに取り組んでいるというのは、素晴らしいことです。

Q: 以前お目にかかったときに、ビブラートだけではない、とおっしゃっていましたよね。

A: そう、その通り。お分かりだと思いますが、大切なのは、フレージングです。ビブラートをかけなければ、何かそれに代わるものが必要ですね。ただ単に音をまっすぐ伸ばしているだけでは、面白い音楽にはならない。ビブラートなしというのは裸みたいなものですから、服を着ないことにはね。

もちろん、ビブラートの有無にかかわらず、音楽にフレージングは必要なのですが、ビブラートをかけてしまうと、フレージングが疎かになりがちなようです。

Q: 多くの指揮者は、概して長め、長めのフレージングを要求しますが…やはり長いフレージングというのは、ビブラートと関係してくるのでしょうか。

A: そうそう、長いフレーズというのは、音楽というより産業を思わせます。長いもの、橋とかジャンボジェットとかビルとかね。音楽は、そうじゃなくて草木とか、バラの花とか、人間のようなものです。モーツァルトがバラの花というのは、分かると思いますけれど、これはマーラーだって同じなのです。

長いフレージングの登場は、ビブラートの出現とも関連しますが、全体主義とか帝国とかいったものともつながっているように思います。何か壮大なものを音楽で構築する、大きいことはいいことだ、といった指揮者のエゴとも。

奏法、楽譜

Q: ボウイング(運弓法)についても具体的に指示したりするのですか。

A: そうです。弓の上げ下げだけでなく、どのようなストロークで弾くか、その曲の時代に合った弓使いが必要です。たとえば、現代ではなんでもかんでもスピカートで弾いてしまいがちですが、作曲された当時の弾き方はそればかりではなかった。スピカートばかりというのは、何だかプードルみたいじゃないですか。

〔指揮者が〕このアプローチができないのは、語法を正しく用いられないということでしょう。時代によって、ことばが変わってくるのです。たとえば、sensibilityという英語は、モーツァルトの時代にはimaginationという意味でした。ブラームスの、ベートベンの時代のポルタートは、どんな「ことば」だったのか。今回の演奏会で、ベートーベンの第1ピアノ協奏曲の冒頭、ポルタートがどんなニュアンスを表現するか、聴いてみてください。

Q: 最近は新しい批判校訂版の楽譜も増えてきましたが、楽譜に必ずしもどうやって弾けばいいか全て書いてあるわけではありません…

A: 批判校訂版はまさに天恵ですが、確かに、楽譜に全てを書くことは困難です。だから、楽譜を読んで演奏するにあたっては、知っておかなければならないこともあります。そんなにたくさんあるわけではないのですが。

どうやって演奏するかについて、ある部分は、推測になります。そのときでも、できるだけ情報を集めた上で、どうするか決断するわけですね。少なくとも、楽譜に書いてあること、事実には従うべきです。ベートーベン本人がメトロノームの数値を書いているなら、それ以外にどうしろと(笑)?

Q: 作曲家によっては、提示部と再現部で微妙に異なる書き方をしている場合があります。これらはその通りに演奏すべきでしょうか? 同じ箇所で、楽器によって違い(矛盾)があるような場合は?

A: ははは、そうなんですね。私は基本的に、楽譜に違うように書かれていれば、それはその通り演奏します。ただ、パート間の矛盾というのはやっかいで、作曲家もうっかりしたり雑に書いたりすることがありますから、必要最小限の修正は行います。できるだけしないようにしてますけどね。

これからの活動

Q: LCPとは、ベートーベンに始まってベルリオーズ、シューベルト、シューマン、ブラームス、そしてワーグナーと、ある時代の演奏を「体験」してからそれを基盤に次に進むというスタイルでピリオド演奏の道を切り開いてきました。シュトゥットガルトとのプログラムも、2002年のベートーベン、2003年のベルリオーズ、昨シーズンのシューマン、メンデルスゾーン、今度のブラームスと、同じ形の積み重ねをやっているように見えますが…

A: シュトゥットガルトとの演奏会は、他のプログラムも取り混ぜているのでLCPと同じではないにしても、演奏者にとっては、こういう形で学んでいくのはよいことでしょう。もっとも、LCPのときのように演奏法のパイオニアとして未知の分野を開拓しているわけではなく、改めて積み重ねをし直す〔ために順番に取り組んでいる〕ということではありません。

私はいくつかの答えをすでに知っているわけですから、アドバンテージはあるといえるでしょう。でも、悲愴の「ピュア・トーン」による演奏は、いってみれば「世界初演」ですよね。その意味では、やっぱり未知の領域ではあります。

Q: 録音は今後どのように進んでいくのでしょうか。

A: LCPのときと違って全てライブなので、基本的には演奏内容のいいものを選んでリリースしていきます。ベートーベンの交響曲全集は、CDにするつもりはなかったんですよ。それが、放送用に録音したものをレコード会社のスタッフが聴いて、これはぜひ出すべきだと。

ただ、モダン・オーケストラで「ピュア・トーン」で演奏した「ライブラリー」のようなものはまとめたいと思うので、主要なレパートリーについては、順次出していくつもりです。すでに、シューマンとメンデルスゾーンの交響曲全集は準備ができていますし、来年のブラームスもCDにします。ベルリオーズもレクイエムと「ベンベヌート・チェリーニ」をリリースする予定ですし、マーラーの1番も収録済みです。さらに他のマーラー、ブルックナーと、私の任期の間にはそれなりにCDが出せると思います。

Q: あなたの書かれたエッセイなどをもっと読みたいと思うのですが。

A: 実は今、オーケストラの演奏論の本を執筆しています(!)。学究的な話というより、バッハやヘンデルの演奏に関する章、モーツァルトの章、ベートーベンの章…という具合に、実践的な、演奏者に読んでもらうための本で、たとえばポルタートはどんな音が響くのかといった演奏のサンプルを収録したCDも付ける予定です。全8章のうち、まだ3章しか書けていませんが…

そうそう、コンサートやCDの情報を掲載する自分のサイトを近く開設するつもりです。もちろん、kanzaki.comにはリンクしますよ! これで、Roger Norringtonを検索しても読める情報は日本語ばかりという状態は、解消されますね(笑)。

Q: 本日はありがとうございました。新しいCDや、演奏論の本、ウェブサイトは、とても楽しみです。

A: 日本のみなさんに、また来日できて素晴らしい聴衆の前で演奏できることを、この上なく嬉しく思っているとぜひ伝えてください。

(2004年11月23日、東京・永田町のキャピトル東急ホテルにて)

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