ロジャー・ノリントン2001日本公演

ついに彼がやって来ました。1998年から首席指揮者をつとめるシュトゥットガルト放送響を率いて、2001年11月8日〜11月19日に全国公演を行い、大喝采を浴びました。ツアーの概要と、いくつかの演奏会レポートをお届けします。

公演スケジュールと曲目

今回のレパートリーは、ドイツのオーソドックスな作品を中心に、英国からエルガーを1曲加えています(選曲については記者会見の質疑応答も参照)。公演スケジュールとその演奏曲目を一覧で示します。

ノリントン2001日本公演スケジュール
公演日 会場 プロ Mo We Be Me Sc Br El レポート
11月8日 福岡 A KUNKUNさんのレポート
11月9日 岡山 A 荒木さんのレポート
11月12日 札幌 B NA
11月13日 名古屋 A 伊藤さんのレポート
11月14日 横浜 C 私的レポート-1
11月16日 東京 D 私的レポート-2ほか
11月18日 東京 B 私的レポート-3
11月19日 大阪 E NA

公演レポート

各地のファンから頂いたメールも含め、公演の様子を報告します。

福岡公演(11/8)

KUNKUNさんから、福岡公演で楽章間に拍手が湧き起こったことなど、興奮さめやらぬメールを頂きました。ウェブでも

今回の最大の聴きものは,このブラ1の第4楽章でした。重々しい序奏,尾根道を逍遙しているかのような移行部(というのかな,ホルンの主題で有名な),さきほども述べた,人に優しい・自然に優しい,暖かな主題提示部,緊迫感あふれた展開部と,盛りだくさんな音楽なのですが,もったいぶったパウゼなぞない,シームレスな運びで,少なくとも「MSNエクスプローラ」よりも優れていると思われます(大謎)まさに,風のように駆け抜けてゆく爽やかなブラームス!!!

コーダのティンパニの叩き方の面白いこと(!)それに誘導されるかのように,弦がズワンと膨らむようなフレージングを続けます。これが,バロック以来ヨーロッパのオーケストラが続けていた(そして一時期途絶えてしまった)演奏スタイルなのですねぇ,多分。オランダ古楽の人たちは,室内楽の世界で見せてくれていますが,ベートーヴェンやブラームスで示してくれるのは,ノリントンくらいではないでしょうか?!!

と、熱い演奏会レポートが掲載されいます。全文はノリントン+SWR福岡公演レポートでどうぞ。

岡山公演(11/9)

大阪のノリントン・ファン荒木さんは、大阪公演だけではもの足りず、岡山(それに東京)まで足を延ばして異なるプログラムを聴かれるそうです。岡山の演奏会について、メールを頂きました。ブラームスについての部分を引用します。

驚天動地のブラームス

1楽章の導入部、 LCPの録音同様アクセント付けを伴ったティンパニに導かれて、生き生きと荘厳な音楽が始まると、空気はピンと張りつめて、そのまま音楽はピリオドスタイルと、モダンオケの豊かな響きを生かした「巨匠風」スタイルとを見事に折衷させた(アーノンクールとギュンター=ヴァントの融合、みたいな)、威風堂々とした歩みで進行。その意外なテンポの遅さも納得。

ビブラートはもちろん少な目だが2楽章のバイオリンソロではかなりたっぷり。この楽章もテンポが遅いのでやはりこうなるか、でも合奏がビブラートべったりではないので、かえって新鮮だったかも。(しかしやはり私はLCP盤のホロウェイの全く独創的な独奏の毒にあてられた以来、なかなか他の演奏では満足できなくなってしまっています。)

圧巻は4楽章。導入のティンパニの強打で聴衆を驚かせて注意を鷲掴みにすると、基本的にはあわてず急がすではあるものの、微妙にテンポを伸縮させて、「流麗な音楽」ではなく、わざとギクシャクさせて音楽の淀みない流れを適度に分断もさせながら、「語る」音楽を見事に演出。そのカタルシスの度合い、私には語りきれません。絶対音楽による音楽「芝居」。これは音楽の標題音楽性を重視するサー=ロジャーが、モダンオケという、響きのニュアンスの乏しさの余り標題性・描写性よりは抽象性に向かって行かざるを得ない不器用な媒体を使って成し遂げた、20世紀演奏史に対する反省的・批評的演奏でもあったと言えると思います。

とは言えもちろん、モダンオケならではの豊かな響きの魅力も否定できるものではなく、ジェットコースターのようなはらはらどきどきの展開は迫力をもって襲いかかり、せっかくサー=ロジャーが記者会見でしっかりしめるよう警告してくれていた架空の「シートベルト」もちぎれる寸前。身を乗り出さずにはいられず、音楽の危険な奈落に飛び込んでいきたい衝動にどんなけ駆られたことか。これが演奏会場でなければ私は間違いなく絶叫していたでしょう。熱狂的なサクラの「ブラボー」はご愛敬までも、聴衆が大喜びなのは明らかでした。

ホールの事情など、いろいろあったそうですが、それでも演奏は上記の通り素晴らしいもの。さらに、サー=ロジャーの指揮ぶりのチャーミングなことと、アンコールでのおどけた仕草が特に「おばちゃん」聴衆のハートをがっちりつかんでいたことは言うまでもありませんね。ということだそうです。

名古屋公演(11/13)

名古屋は新幹線で移動

名古屋で合唱方面で活動しておられる伊藤さんから、名古屋公演のレポートをウェブに掲載したというお知らせを頂きました。福岡と同様、名古屋でも楽章間に拍手が湧いたそうです。ブラームスは福岡、岡山のレポートにも紹介されているので、ベートーベンの部分を引用:

ベートヴェンの第2。

これが凄まじい演奏だった。第1楽章からかなりバリバリと鳴らす鮮烈な演奏。ティンパニは炸裂、弦のやや落ち着いた響きは華は無いものの、聴きごたえあるもの。フレージングはノリントンおじさんの指示通りだろう、ビブラートの抑えたあくまでハーモニーを壊さない仕上がりだった。 さらに、全体でもフォルテのトゥッティでも決して力で押すフォルテではなく非常にクリアで各声部が透けて見えるような音を出しているのである。1楽章終えてかなり興奮してしまった。

と、そのときノリントンおじさん、汗を拭き拭き「どうだね、今の演奏!」といわんばかりにニヤリと客席を振り返ったので、お客さん拍手。 この時はまあ愛嬌で済んだが、後の楽章間でも拍手をする人が結構いて、あのプリントの効果は甲斐なし。ハア〜。

とはいえベートーヴェンはかなり強烈に印象に残った。

レポートの全文は、伊藤さんの演奏会感想ページでどうぞ。

横浜公演(11/14)

何と言うか、初来日の演奏会を迎えて、聴いているこちらが緊張するという変な気分だ。ちょっとアンサンブルが乱れると、まるで自分がミスをしたみたいに縮みあがって、とにかく落ち着かないのだ。

お馴染みのバイオリン、Hr-Trp対向配置、ベースは最後列。ブラームスでは木管を倍管

魔笛序曲

そんな訳でモーツァルトは、じっくりと聴くゆとりがないまま終わってしまった。ストレートで自然なファンファーレ、快活なテーマ、指揮ぶりはウィーンのオペラの時そのまま…というところまでは、おおむね冷静に聴いていた。しかし、トランペットがホールの響きを捕らえ損ねて出遅れ、クラリネットもタイミングがずれたあたりから落ち着かなくなってくる。あれこれ考えているうちに、いつの間にかコーダに達していて、リハーサルで「bana-na-という具合に自然に」とやってすばらしい効果があがっていた中間部のファンファーレは、気付かずに通り越していたという始末だ。

イタリア

続くメンデルスゾーンも、出だしはよかったのだが、細かいパッセージがうまく揃わない。ホールの響きに戸惑っているのだろう。この手のホールは、音が拡散してステージ上で捕らえにくい上に、客席が空のリハーサルのときと満席の本番時では響き具合が違ってくるので、初めてのアンサンブルには厳しいのだ(経験的にこのホールは難しい。プロならそこを何とかするものなのかも知れないが…)。

そう思って聴いていると、座席の関係か、せっかくの小編成なのに管楽器があまり浮かび上がってこない。リハーサルでは小気味よく轟いていた小型の革張りティンパニもこもった感じがしてくる。微妙なテンポの伸び縮みのところでアンサンブルが乱れるものだから、音楽の流れが止まってしまう。3楽章までは、そんな具合で何ともフラストレーションのたまる状態になってしまった。

さらに音符が細かくテンポの速い4楽章は大変なことになると恐れていたら、ようやくオーケストラがホールに慣れたのか、急にアンサンブルがぴたりと決まりはじめた。不思議なことに、一番難しいこの楽章は、胸のすくような快演。(贔屓目ではあるが)きっとこれが本来の姿だろう。ほっとした。しかし休憩に入ったら疲れてぐったりというありさま。

ブラ1

弦を16型にして木管を倍管にしたブラームスは、バランスもよく響きも豊かで、安心して聴くことができた。波がうねるような序奏に続き、1楽章はLCP時代よりゆったりしたテンポ。SWRの弦楽器はとてもうまくビブラートをコントロールしており、モダンオケとは思えない素直なサウンドを聴かせてくれる。木管のソロも、控えめなビブラートで弦と呼応し、いい感じだ(オーボエの音色が柔らかくて秀逸)。この美点は、2楽章で最大に生かされていた。いいなぁ、こういう清楚な音楽。

実は、余裕ができた結果いろんな音が耳に入ってきて、おお、このフレーズはこんな弾き方をしている、ああ、金管の対向配置のステレオ効果はずいぶん面白いぞ、などと余計なことを考えていたため、情けないことに続く楽章は音楽についてうまく説明できない。どこまでも困った状態である。

しかし、4楽章のコーダからの音楽の勢いは、そんな雑念もあっさり押し流してしまった。ここから躍動感がどんどん増していく演奏というのも珍しいかもしれない。最後のファンファーレの音色は素晴らしかった。これまでに聴いたブラ1の中でも屈指といっていい。

そんなわけで、個人的にはらはらどきどきの演奏会も、最後はめでたく大拍手喝采で締めくくられた。終演後、楽屋にサインを求める人たちの長蛇の列ができていて、ノリントンってこんなに人気があったの? と驚いたり。しかし、熱演でくたくたのマエストロに、CDを山と突きだして全部サインしてくれなんて、もう少し気遣いがあってもいいのでは?

東京公演第1日(11/16)

東京初日も、魔笛から。ホールの響きを捉えやすかったか、今日はばっちりでしたね。序奏はもちろん、アレグロに入ってからもアンサンブルはきちんとはまって、これぞノリントンの魔笛。オープニングから、しっかり楽しませてくれます。

演奏会では大拍手喝采

ベートーベン交響曲2番

さあ、ノリントン十八番のベートーベン2番である。モーツァルトでは使っていなかったナチュラルトランペットが登場して、いやがうえにも期待が高まる。

冒頭から、来たなぁ。ティンパニとトランペットが見事に決めてくれた。LCPとの演奏では、特にこの序奏の印象が強い。それに匹敵する、ガツンとくる一発だ。そこから続く1楽章は、まるでトランペット協奏曲のような趣きで、上手から強烈なアタックが響くたびに音楽に命が吹き込まれていく。下手に陣取るホルンがモダン楽器で音色が柔らかいのが、何ともアンバランスで不思議な気分(ノリントンは記者会見で「これも実験だ」と言っていたが、やはり両翼とも古楽器ならそれで揃えるほうが良さそうだ)。弦楽器がビブラートを使っていないのはもちろんだが、飛ばし弓とデタシェを実に的確に効果的に使い分けていたのには感心した。怒濤の勢いでコーダまで突き進む。1楽章で胸がドキドキするなんて、ちょっとない経験だ。

1楽章で聴かせてくれた弦の表現力は、2楽章になるとますます磨きがかかってきた。この楽章に、こんなに多彩な表情があるということを気付かせてくれる演奏は少ないと思う。3楽章は、ノリントンにしてはややゆっくりしたテンポ。トリオの中間部で、管楽器とティンパニが突然ffで出てくるところが実に効果的だった。ジェットコースターのようなクレッシェンドもすごい。ベートーベンは、当時は“アバンギャルド”だったということを思い出させてくれる。

終楽章は、ゆとりの演奏という感じ。オーケストラとノリントンの意図がしっかりとかみ合っていて、言いたいことがとても雄弁に伝わってくる。たぶん、VPOBPOを客演で指揮しても、こういう演奏はできないんだろうな。堂々のゴールという風情でのエンディング。最後の音だけ、少し駆け込むように「バンッ」と締めくくる辺りが、息の合っていることをよく示していた。ノリントンのベートーベンのファンが結構多かったのか、万雷の拍手。

エルガー交響曲1番

後半はいよいよエルガーである。冒頭のテーマから暖かく、豊かな音楽が広がる。ノリントンは"poetic"だと言っていた。この曲でも弦楽器はビブラートを使わない。この息の長い旋律を、こうやってノンビブラートで弾ききるというのは大変なことだと思う。しかしその効果は絶大で、木管楽器とのユニゾンで奏でられるテーマが、濁りなくしかも厚みのある、一種オルガンのような高貴さで響いてくる。全合奏になると、休憩前と同じオーケストラとは思えない豊麗なサウンドで、けれどもやはり濁らないのだ。金管の音色は素晴らしいぞ(木管は、座席の関係かトゥッティではやや沈みがち)。

2楽章も難しいアンサンブルだと思うのだが、きちんとこなしつつ、例の“川岸で聞こえる音楽”も爽やかに響く。3楽章のアダージオも、あくまでビブラートなしで歌い上げるが、これがかえって説得力がある。しかし、このオーケストラは本当にうまい。

4楽章に入ると、音楽はさらに勢いと色彩を増す。いかにも難しそうな前打ちと後打ちの部分は、少々アンサンブルが乱れるが(ノリントンは、こういうところも余りパキパキと指揮しないので、奏者は難しいだろう)、それを除くとエルガーが施したありとあらゆる仕掛けが、なるほどという効果で音になって現れる。スコアを見ていると、こんなの弾けるのか?と思うのだが、彼らは本当にこの曲を自分たちのものにしているようだ。最後にまたテーマが帰ってきて、畳みかけていくラストシーンのかっこよかったこと!

観客も惜しみない拍手で、アンコール(ブリテンのマチネ・ミュージカル。これも粋でよかった)が終わっても、オーケストラが退場しても拍手が続き、ついにノリントンがひとりでもう一度舞台に出てきたほどだ。彼も「イギリス以外で、これほど素晴らしい聴衆の反応はみたことがない。本当に日本のみなさんは、エルガー(イギリス音楽)を理解している。素晴らしいことだ」と、本音で喜んでいました。とても密度の高い、充実した演奏会でした。

(演奏会の模様はNHKが収録していて、2月2日にBS2で放映予定)

お便り

ノリントンのページを開設したばかりの頃、ロンドンからいろいろ情報を送ってくださった小川さんが帰国されていて、このコンサートをきっかけに久々にお便りを頂きました。

魔笛とベートヴェンは、そう、コレコレ!! さすがノリントンと期待に答えてくれる嬉しい演奏でしたけど 今晩はなんといってもエルガーに感動しました・・ あれは、ほんとにすごい..。久しぶりに音楽に酔っぱらいました。

まさに「コレコレ」でしたね。イギリス仕込みの小川さんの耳にも、このエルガーは満足がいった様子。長野の内山さんからもメールを頂きました。

魔笛、ベト2については、私は古典を聞いているという感じがせず、知っているのに、まったく違った演奏を聴いているような感じがしました。明瞭なフレージングに、うねり、炸裂する(昔の)ティンパニ。あのティンパニすごかった。[…] エルガーは、さすがに敬愛し、知り尽くしている曲だけあって、楽しんで表現しているように見えました。[…] 最後のグランディオーソは、この曲ではいつもながら、鳥肌が立つのを抑えられません。

エルガー協会会員のナンキプーさんからは、ノリントン/シュトゥットガルト鑑賞記を公開したというお知らせを頂きました。エルガーを聴き込んでいらっしゃる方のレポートには説得力があります。

ベルリンやCD演奏ではよくわからなかったが、ノリントンが「本当はここではこうしたかったのか」などと思わず唸ってしまう瞬間がいくつもあり、息つく暇もなく約50分が過ぎていた。元々ノリがよく演奏効果抜群の曲なので、「ブラボー」が連発されていたが、その後の各所での反応を見ても、実際素晴らしい演奏と判断して間違いないだろう。今まで実演で聴いた中では尾高/BBCウェールズに迫るものがある。自分的にはコリン・デイヴィス/LSOをも上回っている。

ノリントンに、各地から絶賛のレポートが届いていることを伝えたら、嬉しそうに「そうだ、もっとエキサイトしてくれ!」(正確な言い回しは忘れましたが)と言っていました。盛り上がりましょう。

東京公演第2日(11/18)

16日の演奏は評論家諸氏の間でも話題になったそうで、それならばやはり今日は聴かねばとやって来た先生もいたとか。今日のプログラムは、前回とうって変わって、3曲とも1820〜1830年代に書かれた同時代の作品だ。初期ロマン派という材料を使って、ノリントンはモダンオケによるどんな料理を聴かせてくれるか。

シューベルトではトロンボーンが最後列の中央に

ウェーバーとメンデルスゾーン

ウェーバーは、序曲とはいえ、最初から最後まで密度が濃く楽しい演奏だった。特に序奏の雰囲気は、今日の料理の味を予感させるに十分な、クリアでかつ潤いがあるもの。古い細管のトロンボーンが、いい味わいを出していた。メンデルスゾーンは、横浜よりずっと安心できる演奏。4楽章の猛烈なテンポには驚いたが、それについていったオーケストラも大したものだ(コントラバスすごい!)。

シューベルト

問:ロジャー・ノリントンからピリオド楽器をとると、何が残るか? 答:音楽が残る。――もう、モダンとかピリオドという話ではないと理屈では思っていたが、このシューベルトを聴いて確信が持てた。ノリントンは、新しい世界を生み出しつつある。

冒頭のホルンが、アンダンテで、そう、まさに歩くように(ノリントンがSommer Riseというように)テーマを奏ではじめる。モダン楽器の柔らかい音色だが、しかしシューベルトが楽譜に書きこんだアクセントによってしっかりと足を踏みしめながら。もちろん、歩みのリズムは1小節に2歩のアラ・ブレーヴェだ。 弦がビブラートをかけないのは、ここに至ってはもう驚きでも何でもなく、音楽が流れていく上でのごく自然な表現となっている。そして、最上段の中央に陣取った古い細管トロンボーンの神々しい和音が響く。倍管にした木管の豊かなサウンドとともに、喜びに満ちた音楽が溢れ出てくる。

2楽章は同じアンダンテでも「コン・モト」(動きを持って:ノリントンに向かって‘アンダンテの2楽章が’と言いかけたら、即座に‘アンダンテ・コン・モト’と修正された)だ。こんな生き生きした2楽章は、聴いたことがないぞ。pの中に時おり現れるffzは、ティンパニがこれでもかとばかりに両手をを振りかざして渾身の楔を打ち込む。楽章を通じて、音の強弱、長短などを魔法のポケットのごとく駆使して、目の覚めるような効果を上げていた。いやぁ、この楽章は驚いた。LCP時代よりもさらに“前衛的”だ。

3楽章は惜しいことにスケルツォのアンサンブルが少し乱れる。何しろ今日のノリントンは、(この曲に限らず)少し音楽が動き始めるともうあとは1小節1振りしかせず、完全にオーケストラ任せなのだ。合奏する方は緊張するだろう。トリオは暖かい素敵な音楽だったが、1F席では木管のバランスにやや不満が残った(理想のバランスを実現すると言っても、ホールの条件にもよるので、これはなかなか難しいことだ)。336、340小節のホルンのF音を、モダン楽器なのにストップを使って出していたのは面白かった。

4楽章はエキサイトしたぞ。掛け合いが少し乱れたのも何のその、これぞbring the music to lifeだ。トロンボーンの存在感。両側に並んだコントラバスとユニゾンで旋律を奏でるところは効果抜群で、ノリントンの言う「シーティング・マジック」が遺憾なく発揮されていた。音楽はぐいぐい進んで、1058小節のC音fzユニゾン4連打の圧倒的な迫力から、息もつかせず一気に最後に到達した。しびれた。

ノリントンとの会話などから

ノリントンが「ピリオド楽器の演奏とくらべてどう思った」と聞くので、「正直言ってどんなものかあまり確信が持てないでいたが、この演奏会を聴いてよくわかった。場合によってはピリオド楽器以上に発見がある。シューベルトの2楽章では、音楽からこれまで聴いてきた以上のものが届いてきた。ある意味ではLCPよりエキサイティングだった」と答えたところ「それはグッド・ニュースだ」と喜んでいた。

「私自身も、はっきりした確信を持ったのはごく最近だ。でも、もうこれで行けると感じている。古い楽器といっても、音楽の2000年以上の歴史の中で、モダン楽器だって100年近い歴史があるし、“古楽器”といっても300年、400年前というんだから、“古い”って何のことだ? と思うようになってきた。詰まるところ、私たちのやっているのは“音楽”なんだから」

もちろん、彼の考えていることがモダンオケで簡単に実現できたというわけではない。「最初は大変だったよ。3年かかった。」SWRのバイオリン奏者の方も「最初はとまどったりしました。ノンビブラートだと、練習を仕上げるのにも時間がかかります」と言っていた。「でも、私たちも弾いていて、ああいい響きだなぁ、と感じることがあるんですよ。この響きは、きっとノンビブラートでないと得られないものなんですよね」

来日の第一報が入ったときに、ピリオド楽器ではなくモダンオケだということで少々残念に思ったりもしていたが、今や全く考えが変わってしまった。これからは、シュトゥットガルトから目が離せない。

演奏会評から

朝日新聞

11/21付け朝日新聞夕刊間宮芳生氏が早くも演奏会評を寄稿されていた。

まず印象的なのは、音楽をほとんど最小の断片に区切ること。旋律も低音も内声部も、弦も管もみんな。固いバチのティンパニーの音もそれを補強する。…すべてのフレーズが主役になる。音楽は粘着性を持つ流れではなく、パラパラの粒子のように、ほぼ一定のパルスのシャワーのようになる。

もうひとつのノリントン流は、ノンヴィブラートの弦楽器群で、これで管と弦の音色感がびっくりする程均質になってしまうのだ。

…するとシューベルトの見かけ上単純なフレーズの構造が、きついアクセントつきでムキ出しになり、ややロック調にもなる。それでブラボーの嵐だ。でも、堅固な構図の殻をつけた霊感の恍惚と不安があぶり出されて、ということには到底ならない。初期ロマン派のいいところは、私たちからこうしてどんどん遠くなるのか。

「古典的な構図からふきこぼれて来るはずの霊感のおののき」がパルスの陰に隠れてしまう一方で、「そのパルスのシャワーは、聞き手を心地よい酔いにさそう効果もある」のだそうだ。延々と続く無限旋律ではなく、人が語るような短くクリアなフレージングは、ノリントンのまさに狙っているところでもある。あとはここに新しい可能性を発見するのか、伝統的な「初期ロマン派のいいところ」の喪失を見るのかということだろう。

モーストリー・クラシック

『モーストリー・クラシック』2002年1月号では、「今月の一番」コーナーで10人中3人までがこの来日コンサートを一番に押していた。東条碩夫氏は次のように記している。

なんといっても出色は「ザ・グレイト」だった。金管の配置も、上手にトランペット、下手にホルン、中央上段にコントラバス群を二つに割った中にトロンボーン、というユニークなもの。これが第2楽章でどれほど衝撃的な効果を生んだことか。楽章により一部の金管が楽器を替え、響きの多彩さも聴かせた。これはオーケストラ演奏会という伝統的な「場」に、「コロンブスの卵」的な新しいアイデアを持ち込んだものである。こうした発想が新しく生まれ、それを実際に試みる音楽家がいるかぎり、オーケストラという形態もまだしばらくは安泰でいられそうな気がする。

また、寺西肇氏は「独り古楽道」というエッセイでノリントンの演奏に多くのスペースを割いている。

古典派以前はもとより、ロマン派以降もヴィブラートは、ほとんどなし。ブラームス「交響曲第一番」での効果は絶大で、これまで何度聴いたか、そして何度弾いたか分からない“ブライチ”を初めて「本当に理解できた」ような気がした。特にヴィルトゥオーゾ的にヴィブラートをかけた、コンマスのソロとオーケストラのトゥッティとの対比の妙は、まさに目からウロコだった。大阪公演でのエルガー「交響曲第一番」の冒頭などでも、ノン・ヴィブラートが、経験したことのないほどの透明感を与えていた。

レコード芸術

『レコード芸術』2002年2月号の「宇野功芳の音楽歳時記」では“もう一度聴きたいノリントンのベートーヴェン”として、えらく持ち上げられている。

(前略)ラトルのコンサートに足を運んだ三週間後の十一月十六日、今度はノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団が来日し、ベートーヴェンの二番をやったが、これがまたメチャクチャ面白かった。ラトルのはやりたい放題だが過激ではない。しかしノリントンは過激だ。いやー、凄かった。

(中略)金管とティンパニの強奏強打、さすがのラトルもここまではやらない。様子を見ながら、ときどき鳴らすわけだが、ノリントンは裏の動機だろうと、単なる和音充填の場面だろうと委細構わず吹き鳴らすので、旋律が聴こえなくなるだけでなく、トランペットの音がいくら何でもうるさくなってくる。と思う瞬間、突然、金管をすっと弱くしてしまうのだ。すると他の木管なり弦なりがくっきりと浮かび上がる。そのニュアンスがまるで魔法をかけられたようなのだ。うまいことを考えたものだ。うるさくなったころ、すっと消す。

(中略)客席は熱狂した。第一楽章が終わったとき拍手が出たほどで、聴衆はこういうベートーヴェンを待ち望んでいるのだ。沸騰するようなベートーヴェン、血のたぎるようなホットな演奏。それでこそベートーヴェンは生きる。もっとも、ラトルもそうだが、こういうスタイル、こういうひびきでは音楽が裸になりすぎ、面白さが先に立って深い味は期待できない。しかし、これだけ満足させてくれれば十分だ。そしてラトル、ノリントンと並べてみると、もう一度聴きたいのはノリントンのほうであった。

その他の演奏会評など

各プログラムの曲目と会場

いちおう、各プログラムの曲目と会場を整理しておきます。

プログラムA

  • モーツァルト:「魔笛」序曲
  • ベートーベン:交響曲第2番ニ長調
  • ブラームス:交響曲第1番ハ短調

アクロス福岡シンフォニーホール(11/8)、岡山シンフォニーホール(11/9)、名古屋市民会館大ホール(11/13)

プログラムB

  • ウェーバー:「オベロン」序曲
  • メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調「イタリア」
  • シューベルト:交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」

札幌コンサートホールKitara(11/12)、サントリーホール(11/18)

プログラムC

  • モーツァルト:「魔笛」序曲
  • メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調「イタリア」
  • ブラームス:交響曲第1番ハ短調

横浜みなとみらいホール(11/14)

プログラムD

  • モーツァルト:「魔笛」序曲
  • ベートーベン:交響曲第2番ニ長調
  • エルガー:交響曲第1番

サントリーホール(11/16)

プログラムE

  • ウェーバー:「オベロン」序曲
  • メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調「イタリア」
  • エルガー:交響曲第1番

大阪フェスティバルホール(11/19)

曲目に関するメモ

今回のレパートリーについて、これまでの録音などを簡単に紹介しておきましょう。

モーツァルト:「魔笛」序曲 (Mo)

2000年のウィーン国立歌劇場でも演奏した「魔笛」から序曲。CDもオリジナル楽器によるモーツァルト・オペラの名盤として誉れ高いものです。颯爽としたテンポで、胸のすくような演奏が期待されます。

ウェーバー:「オベロン」序曲 (We)

CDでは「初期ロマン派序曲集」におさめられています。ノリントンの序曲ならロッシーニが面白いと思いますが、ドイツのオーケストラということでの選曲でしょうか。

ベートーベン:交響曲第2番 (Be)

LCPとのオリジナル楽器演奏シリーズの最初の録音にとりあげられた曲で、ノリントンにとっても重要な作品。あれから10年を経て、モダンオケでの演奏がどんなふうになるか楽しみです(以前、VPOなどとも演奏していました)。ノリントン自身、「私にとって特別の思い」がある曲だと語っています。

メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」 (Me)

LCPとは3番(スコットランド)と一緒に録音しています。ちょうど矢継ぎ早に初期ロマン派の音楽を録音していた頃で、演奏ノートもないために本サイトではあまりとりあげてきませんでしたが、やはり颯爽としたいい演奏です。

シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレート」 (Sc)

LCPとのCDを最初に聴いたときは、出だしのテンポからして驚きました。このイントロを完全な二つ振りで演奏した録音は、彼が初めてではないでしょうか。3楽章のトリオは、心が躍るような素晴らしさです。

ブラームス:交響曲第1番ハ短調 (Br)

ノリントンのブラームスは、ウォルター・フリッシュの『ブラームス4つの交響曲』でも絶賛されていますが、非常によく考え抜かれた演奏です。4楽章の第1主題のフレージングの意味は、彼の演奏を聴いて初めて理解できました。

エルガー:交響曲第1番 (El)

今回のパートナーであるシュトゥットガルト放送響との最初の録音がこの曲でした。このところノリントンは英国の音楽の紹介に力を入れていて、この来日でももっと英国プログラムをたくさん入れたかったのだろうと思いますが、日本のマーケットを考えて、この1曲に絞った模様。1998年12月のBPOの定期でも取り上げた得意の曲目です。ノリントンは、「エルガーの素晴らしいところは、19世紀後半の全く異なる2つのスタイルであるブラームスとワーグナーを見事に融合させた点」にあり、「まさに私のハートに近い作曲家」だと述べています。