演奏会のお手伝いをしたこともあり、何年ぶりかでドボルザーク(aka.ドヴォルザーク/ドヴォルジャーク)の「新世界」の楽譜をじっくり眺め、CDなどを複数聴き比べたりしてみた。さすがに旋律は魅力的だし、p の部分の繊細な表現は、実に美しい。反対に、展開部やコーダ、あるいはff の部分の××××さに辟易するのも、相変わらず(しかし、もしかするとこれは作曲者が意図的にやってるのかもしれないという気も微かにするので、とりあえず脇に置いておく)。
新世界のような有名曲になると、飽きるほど演奏したという音楽家も少なくないだろうし、記憶に残る名旋律も多いから、目をつぶっても弾けちゃったりするかもしれない。けれども、ドボルザークは案外凝ったことをしていて、同じ旋律でも繰り返しの時にニュアンスを微妙に変化させたりしている。これを演奏者がどう解釈しているか(あるいは認識しているか)を比較するのは、なかなか面白い。例えば、第3楽章の第1トリオの鄙びた魅力的な旋律は、最初にFl+Obで、次にClのユニゾンで(そして最後にVcで)登場するが、作曲者はそれぞれに異なるフレージング(スラー)を与えている。
ここで注目すべきは、3小節目のスラーのかかり具合だ。楽譜通りに読めば、この3拍目はフルートの場合は次のフレーズのアウフタクト、クラリネットでは前のフレーズの結尾になる。同じ音型の旋律ではあるが、異なるフレージングで演奏しろというわけだ。
いくつかのCDを聴いたところでは、一番多いのは両者ともこの8小節をひとつの長いフレーズとして扱って、スラーの違いは無視する、あるいはほとんど感じさせないもの。旋律をたっぷり朗々と歌う、ロマンチックなタイプの演奏ですな。両者を明確に異なるフレージングとして扱っていたのは、アーノンクール盤だ。そもそも、3小節目でフレーズを分けるということ自体が珍しく、最初は虚をつかれたような感じを受けるのだが、繰り返し聴くと納得させられるのはアーノンクールならではか。インバルの場合は、クラリネットもフルートと同じ形に変更した上で、フレーズを分けていた。こういうのも、ひとつの考え方ではある。
楽譜の版との絡みでよく指摘されるのは、第1楽章の小結尾主題のリズムが、最初に提示されるフルートとそれを反復するバイオリンとで異なっている部分だ。
クレシェンド、デクレシェンドの違いによるニュアンスの差もさることながら、5小節目のリズムを変えているのが、何とも言えずこそばゆい。しかも、古いジムロック版(あるいは旧音友版、Dover版など)の楽譜では、両者のリズムがバイオリンの形で(逆に再現部ではフルートの形で)統一されていたため、古いCDだとこの部分のリズムが違っていたりする。さらに指揮者によっては、新しい楽譜でもあえてリズムを統一したりしていることがあるから、油断ならない。
ほかにも、少し注意してみれば、同じ音型を繰り返す旋律でアーティキュレーションが変えられているところは、山ほどある。ドボルザークがどこまで意識的にやっているのかは定かでないものの、記譜上の微妙な違いを丁寧に再現してみると、意外な表情が見えてくることは確か。思いこみで力任せに弾くんじゃなくて、そういう視点で見直すと、新世界(あるいはドボルザークの作品)はまだまだ面白い発見のある、楽しい音楽になり得るのである。