Cahier de la musique

音楽雑記帖 - 最近の雑記 (1 - 5)

雑記帖の最新から数えて1~5番目の記事を表示します。

ノリントンのマーラー「復活」

先日FMで放送されたロジャー・ノリントンとシュトゥットガルト放送響のマーラー「復活」は、いろいろ面白かった。透明な音が魅力的なのはもちろんのことだが、アーティキュレーションの扱いに様々な工夫がなされ、新鮮なところがたくさんあったのだ。

ひとつの特徴は、アウフタクトや旋律の弱拍に現れる八分音符を、かなりきめ細かく弾き分けていたこと。特に顕著だったのが、終楽章の62小節目から始まる、木管の「怒りの日」のコラールだ。この3小節目の2つの八分音符を、ノリントンはほとんどスタカートのように明瞭に区切って吹かせていた。ここは演奏によって表現にかなり違いが見られる部分だが、これほどはっきりさせているのは聴いたことがない。

〔楽譜〕出版譜では全ての音に山形のアクセントがある。

第1楽章の270小節目に出てくるホルンの「怒りの日」でも、八分音符はかなり短かく演奏されている。一方、終楽章142小節目の金管のコラール(こちらは八分音符にはアクセント記号がない)は普通の扱いだから、単純に「怒りの日」のモチーフの処理方法というわけでもなさそうだ。

〔楽譜〕自筆譜のファクシミリではOb、Clはテヌート。

ちなみに、この木管の箇所を自筆譜のファクシミリで見てみると、Flは出版譜と同じく山形のアクセント(^)なのに、ObClはテヌート(-)になっている。こう並べてみたところで、なぜ八分音符をスタカートのように吹くのかはよく分からないのだが、マーラーもいろいろ表現を吟味していたらしいことは推察できる。ノリントンの表現の背景にどんなものがあるのか、知りたいところだ。

(ちょっと興味深かったのは、例のキャプランがVPOを指揮した演奏でも、この箇所の八分音符をかなり短くリズミックに吹いていること。新校訂版の楽譜では、何か示唆があるのかな?)

「復活」の楽譜の校訂といえば、最初の出版譜と1970年のマーラー協会版(エルヴィン・ラッツ校訂)の最大の相違点である、終楽章の合唱が入る箇所をどう扱うかというのも、注目点だ。

〔楽譜〕ラッツ校訂版は旧版に比べて、低弦のサポートが早く始まる;ソプラノ・ソロにFl、Obが重ねられる;といった違いがある。

ラッツ版では、471小節目で合唱がア・カペラで登場した後、8小節目から低弦に合唱のサポートをさせ、さらに487小節目からソプラノ・ソロが分かれるところではFlとObにも旋律を吹かせている。旧版では、弦が加わるのは482小節目からで、487小節目からのFl、Obもない。自筆譜ファクシミリでも旧版とほぼ同様だが、Vn、Vaによる補助も、483、486小節目のTrbもなく、よりシンプルだ(ただし出版譜には、482小節目からのVn, Va, Trbは合唱がうまく行かないときだけ加わるようにという注釈がある)。

ノリントンは、新旧版の中間のような形をとっている。低弦による補助は新版のように入るが、487小節目からのFl、Obは採用していない。Vaは少なくとも481小節目の2拍目からの和音を弾いており、これが魅力的な効果をあげている。

改めて手元のCDをいくつか引っ張り出してみると、この部分は様々な演奏スタイルがある。低弦の伴奏は新版と同じく479小節目から弾いているものが多いように聞こえるが、Vaは481小節目も休ませているものもあるようだ。Fl、Obは、聴いた範囲では、なしの方が多数派だった。面白いことに、ここでもキャプラン/VPO盤はノリントンとほぼ同様の処理をしている。この形が新校訂版の姿だとすると、個人的にはなかなかいい感じだと思う。

ソプラノ、アルトのソロが、音程が無くなるような過剰なビブラートをかけていないのもよかった(ノリントンの指揮なら当然かも知れないが、実際、辟易させられるのがよくあるのだ)。おそらくこれもCD化されるだろうから、発売が楽しみだ。

モデストの伝記に見る《悲愴》のエピソード

P.I.チャイコフスキーについての新しいまともな本なら、弟モデストの伝記を鵜呑みにして書かれることはない。交響曲第6番の《悲愴》というタイトルも、作曲者自身がつけたものと考えるのが普通になっているのだが、それでも相変わらず「モデストが提案した」という記述が各地にころがっていて、それも何重にも孫引きされて「解説」に都合よく脚色されたりしている。それならせめて、モデストがどう書いているのかを知りたいものだと思っていたら、伝記の英訳版が復刻されていることが分かったので、取り寄せてみた。

〔写真〕英訳版の表紙。くすんだ茶色のモノトーンで、チャイコフスキーがこちらを向いた写真が使われている。この英訳版は、Rosa Newmarchの訳によって1904年に出版された The Life and Letters of Peter Ilich Tchaikovsky をそのままファクシミリ復刻したもの(ISBN:1-4102-1612-8)。原著である『ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの生涯』は、1900-02年にモスクワで出版された、3巻2000ページ近い大著で、3000通に及ぶ書簡を採録しているという。しかし、それらの大半は極めてローカルな話題で、これだけのボリュームをそのまま訳してもアメリカでは受け入れられないだろうということで、英訳版は先に出された独訳版でカットされた部分などを省いて、800ページ弱に圧縮されている。どこをどう略したのかが分からない上、英訳に際しての主観的な解釈も混じっているだろうから、資料としては不完全なのだが、それでも眺めてみるとなかなか興味深い。

とりあえず、例の《悲愴》のタイトルを巡る部分を抜粋してみよう。英訳ではpp.720-721だ。

演奏会の翌日、私は兄が交響曲のスコアを前に置いて朝食のテーブルに座っているのを見かけた。その日にスコアをユルゲンソンに送ることになっていたのだが、彼はタイトルを決めかねていた。単なる番号だけで呼びたいとは思わなかったが、「標題交響曲」という当初のアイデアも、放棄してしまっていたのだ。「どうして標題なんだい?」と彼は言った。「だって私はどんな意味づけも説明したいとは思っていないんだ。」私は、「悲劇的交響曲」というタイトルを使ったらどうかと提案してみた。けれども、これも彼の気には召さなかった。私は部屋を出ていったが、ピョートル・イリイチはまだ優柔不断な様子だった。私は突然、「悲愴」という言葉を思いつき、それを伝えるために部屋に戻った。私は、兄が叫んだ様子を、昨日のことのように覚えている。「ブラボー、モデスト。素晴らしい! 悲愴だ!」そしてそこで、私の目の前で、彼はタイトルをスコアに書き加え、交響曲はその名前で知られるようになった。

※英訳版からの重訳なので、細部は原著と異なる可能性があることに注意。最後の「ブラボー、モデスト」は、原著を直接参照した文献の多くは「ブラボー、モーディ」としている。

これに続けてモデストは、この話を披露するのは自分の名誉欲からではなく、第6交響曲とベートーベンの悲愴ソナタの主要主題との間に類似性があるからなどと「チャイコフスキーは夢にも考えなかった」推測が横行しているからだ、といった説明を加えている。動機としては、本当かも知れないが、俗説を覆すために逆に寓話を作り上げてしまったというところか。

さらにその後モデストは、「このタイトルを付したスコアをモスクワに発送してから、チャイコフスキーは考えを変えた。これはユルゲンソンあての次の手紙に見て取ることができる」と書くのだが、ここで引用している手紙の文面が曲者だ。

タイトルページは以下のようにしてください。

    ウラディミール・ルヴォヴィッチ

           ダヴィドフに

             (No. 6)

            P.T.作曲

間に合うことを祈っています。

しばしば目にする「出版社に宛てた手紙ではタイトルをつけないように指示した」というエピソードは、恐らくこの記述に端を発しているのだろう。しかし以前に示したように、実際はこの10月18日付けの手紙には、(No. 6)の前の行に Simphonie Pathétique とはっきり書かれているのだ。

 

第三者が知り得ない兄弟の会話を「創造」されるのもやっかいだが、実物が残っていて誰でも確認できる手紙の一部を隠して、それで違う話をつくりあげるというのも、理解に苦しむ。手紙は非公開で、分かりっこないと考えていたのだろうか。

モデストの伝記は、大量の手紙の引用を中心に資料に語らせるという形をとっていて、本来なら優れた基本文献になりうるはずなのだが、こうした恣意的な改変の実例を見ると全体を疑ってかからざるを得ず、残念なことだ。

In Search of Mozart: モーツァルトを求めて(かな?)

モーツァルト・イヤーの2006年の冒頭を飾って、In Search of Mozartという映画が本日(1月4日)ロンドンのバービカン・センターで公開される。モーツァルトの足跡を辿って25,000マイルの撮影旅行を行い、80に及ぶ曲を収録し、42人にのぼるインタビューを織り交ぜて綴ったドキュメンタリーで、ロジャー・ノリントンが「これまで見た中で、モーツァルトに関する最も包括的な(most comprehensive)フィルム」と賛辞を送っているという。

監督は、「モハメド・アリ」などのノンフィクションを撮影しているイギリスの映像作家、フィル・グラブスキー(Phil Grabsky)。いくつかのレビューやグラブスキーの会見記事によると、フィルムはモーツァルトの住んだところ、旅したところを年代順に追って行き、各地の映像に絵画や彫刻や手紙の朗読をまじえ、さらに現代の演奏会を収録したシーンとインタビューが重ねられていく。アマデウスのような、大がかりなセットと衣装による「復元」の手法は取らず、演奏家や音楽学者らのコメントを活用しながら映像を様々に組み合わせ、ドキュメンタリーを構成しているようだ。

インタビューを受けているのは、ノリントンをはじめ、ルネ・ヤーコプス、チャールズ・マッケラス、ルネ・フレミング、ジョナサン・ミラーなど。収録されている演奏は、交響曲などの多くがブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラによるほか、全て演奏者のクレジットが示されていて、気合いの入っていることが伺える。

映画は、ロンドンを皮切りに、欧米の映画祭などで上映され、14カ国でテレビ放映も予定されている。DVDは公式サイトから直接注文できるほか、1月下旬からは英アマゾンでも扱われる模様。調べた範囲では日本での上映、放送、販売の計画は今のところないようだが、DVDのサブ言語には日本語も含まれているので、そのうちどこかが放映したり、購入可能になるのではないだろうか。

年越しの第九、あるいは、はじまりの交響曲

ドイツのAmazonのサイトで、ある第九のCDにつけられているレビューにこんな一節があった。

Beethovens neunte Sinfonie gilt als "Sinfonie des Neubeginns" und wird immer wieder von vielen Menschen zu Silvester zur Begrüßung des neuen Jahres gehört!

「ベートーベンの第九交響曲は、《新しいことのはじまりの交響曲》と考えられており、だからいつも多くの人によって、大晦日から新年にかけて聴かれている」というわけだ。そういえば、ドイツのユネスコ世界遺産申請資料にも Many orchestras play this work traditionally at New Year's Eve, stressing the symbolical power of the symphony. と記されていたっけ。

ライプツィヒ

ドイツで第九が大晦日に上演されるようになった起源としては、1918年にニキシュ(Arthur Nikisch)がライプツィヒ・ゲヴァントハウス(a.k.a.ライプチヒ・ゲバントハウス)で行った演奏が有名。「ライプツィヒの大晦日の伝統」という副題のある資料によれば、ライプツィヒでは19世紀からシーズンの最後に第九を取り上げる伝統があり、特別なとき(たとえば1900年)には新年に披露されていたが、年の変わり目に演奏する習慣は定着していなかったという。これを大晦日に演奏しようと考えたのは、ライプツィヒの新聞の編集者(文芸部長)だったルドルフ・フランツ(Rudolf Franz)だそうで、ニキシュの指揮により、100人のオーケストラと300人の合唱が、クリスタルパレスのアルバートホールで12月31日に第九を演奏した。

(1918年といえば、徳島でドイツ人捕虜によって第九が「日本初演」されたのと奇しくも同じ年だ)

ウイーン

もうひとつ、毎年末年始に第九を演奏することで知られているのがウイーン交響楽団(Wiener Symphoniker)だ。こちらは、楽団の100年史によると1975/76年に始まったということで、比較的歴史は新しい。ウィーンでは1941年から続くニュー・イヤー・コンサートの方がメジャーだが、第九の方もノリントン(1996/97)やガーディナー(1992/93)、ギーレン(1990/91)が指揮するなど、けっこう面白いことをする(していた)。ちなみに今年の指揮台に立つのはアダム・フィッシャー。

(年の境のJ.シュトラウス尽くし演奏会は、その1年前に第1回が行われているが、それは元旦ではなく1939年の大晦日だった。)

ラジオ放送

日本で年末に第九を演奏するのは、新交響楽団の常任指揮者となったローゼンストックが、1937年にこの曲を取り上げるにあたって「ドイツでは大晦日から元旦にかけて、ちょうど年の変わり目の深夜にラジオ放送で《第九》をやる習慣」があると語った(『〈第九〉と日本人ISBN:4-393-93406-7から孫引き)ことがひとつのきっかけ言われる。たとえば、当のローゼンストックがラジオ向けに第九を指揮したというベルリンでは、ベルリン放送響が例年(長い伝統 eine alte Tradition とされている)大晦日に第九を演奏しており、それは今年もライブ放送されるようだ。

Klassikerforum.deのBeethovens IX.というスレッドには、日本では年末に第九をたくさん演奏するよという発言を受けて、auch bei uns wird zum Jahresende - an Silvester - die 9. Symphonie von Beethoven im Radio gespielt. Ich höre sie mir fast jedes Jahr an. という投稿(2005-01-21)があったので、多分各地で放送されているんだろう(少し調べた範囲では、思ったほどは見つからなかったけれど…)。

年越し

ニキシュの第九は、演奏会を午後11時から始め、ちょうど新年を迎えるタイミングで「歓喜に寄せて」が歌われる仕掛けになっていたという。また、ローゼンストックはインタビューで「この放送は、毎年十二月三十一日の夜から一月一日にかけて行われる習慣なのですが、丁度フィナーレが、一月一日、即ち午前十二時から始まるように演奏を始め、演奏が終わると同時に楽団諸君と新年の挨拶を交換するのです」と語っている(同前書)。まさに“年越し第九”というわけだ。

もっとも現在は、ゲバントハウスでの演奏会は31日の午後5時からで、その代わり元旦にも同じ曲が演奏されるようだ。ベルリン放送響も今年の演奏会は午後4時から。

年越しというと、岩城宏之のベートーベン交響曲全曲演奏会が24時から第九となっているので、今やそちらの方が趣が近いか。おや、文化村のジルベスターコンサートは、今年は「ベートーヴェン:交響曲第9番 最終楽章 マーチから」で新年の“カウントダウン”をするのだそうだ。

その他の年末第九

定期的ではないにしても、ドイツ方面では大晦日(あるいは新年)に第九を取り上げる演奏会はそれなりにある模様。2005年はバレンボイム指揮のベルリン・シュターツ・カペレを始め、ハンブルクとかマインツとかニュルンベルク(30日)とかチューリッヒ・トーンハレとか、検索するといくつか引っかかってくる。

アメリカの様子を見ると、ニューヨーク・フィルが、クルト・マズアの指揮で2004年の大晦日に第九を演奏していた(これはマズアだからというところが大きそうだ。このコンビは1999年にも年末第九をやっている)。シアトル交響楽団もよく年末にやるらしいが、大晦日とは限らないようだ。ハワイでもホノルル交響楽団が毎年末に第九を取り上げているというのは、日本と関係が深いからなんだろうか。

変わったところでは、ミラノ・スカラ座が今年12月23日にクリスマス・コンサートと称して第九を取り上げ、パリのシャンゼリゼ劇場でも12月2日に第九が演奏されたが、これらは毎年というわけではなさそう。しかし、今年のベルリンなど、劇場で12月に第九というパターンは、案外よくあるのかもしれない。

某地域で12月に200回以上も演奏されているのは、なんとなく「締めくくり」「年忘れ」という印象なんだが、第九は柿落としとか開会式でもよく演奏される《はじまりの交響曲》でもある。"Sinfonie des Neubeginns" は、たぶんこのレビューアの造語だろうけれど、なかなかいいんじゃないかと思う。

ブライトコプフから第九の新版

クライブ・ブラウンとペーター・ハウシルトの校訂による新ベートーベン交響曲全集に取り組んでいたブライトコプフから、第九のUrtextが今月出版されて、これで第1番~第9番が全部揃った。ベーレンライターの大変上手なビジネスもあって最近はデル・マー校訂版一色という感じだったが、ようやく老舗の体制も整い、ベートーベン交響曲の楽譜も新しい選択の時代を迎えるかな。

新版第九の校訂はペーター・ハウシルトが担当。スタディスコアはまだ発売準備中ということなので手元でじっくり検討できないのだが、指揮者用大型スコアを数分間眺めたところでは、ベーレンライター版で話題になった部分のいくつかで異なる解釈が示されたりしている:

  • 第1楽章の第2主題で、FlとObの裏の音(81小節目)は自筆譜ファクシミリを見ると、はっきりとDになっている。ベーレンライター版ではDにされたわけだが、新ブライトコプフは従来通りのB♭を採用している(デル・マーの校訂報告にあるようにここはオリジナル資料は全てD)。校訂ノートをちらりと見たところ、ノッテボームなどを持ち出して論証しているようだが、ドイツ語でゆっくり読めなかったので、詳細な根拠は未確認。

  • 第4楽章のvor Gottのフェルマータ(330小節目)はディミヌエンドあり。しかも、ティンパニだけではなく、オーケストラ全体につけられていた。これは、自筆譜にはディミヌエンドがなく、印刷底本ではティンパニのみ、いくつかの筆写譜では様々なパートにディミヌエンドがつけられているというもので、岩城宏之が『楽譜の風景』で取り上げたことでも知られる。ちなみに旧版はティンパニのみ、ベーレンライターはディミヌエンドなし。

  • それに続くalla marciaの部分のメトロノーム指定は、ベーレンライター版で付点二分音符=84とされたが、旧版の通り付点四分音符を基準としている。ここも、あとで校訂報告を読み比べてみたいところだ。

両校訂版で見解が一致しているところもちろんあり、たとえば第4楽章538小節目あたりのホルンの扱いは、ベーレンライター版と同じくタイが加えられている。自筆譜ファクシミリには、はっきりとタイが記されている。

こうした異同は、調べれば他にもいろいろ出てくるだろうけれども、とりあえず速報ということで。

いずれにしてもこれらの校訂版は、矛盾がある複数の資料から校訂者がもっとも合理的(あるいは作曲家が考えていたことに近い)と判断したものをまとめて編集された楽譜であって、どれも絶対ということはない。これは出発点であり、楽譜に盛り込まれたヒントをもとに校訂報告を参照したり時代様式の知識を適用したりしながら、ベートーベンの残した「音楽」を音にして表現していくのが演奏者の役割だ。だから、○○版による演奏という宣伝や、△△版を使っているのにその楽譜通りではないといった批判は、あまり本質的ではないということはお忘れなく。

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