12日は田園の演奏会に出演した。実はあまり丁寧に弾いた記憶がない、という毎度の話はともかく、この曲はなかなか難しい。技術的に言えば8番や9番の方が手に負えないところがたくさんあるのだが、田園の場合は(嵐は別として)一見それほど難しくなさそうなのに、どうも「よし、分かった」という具合に行かないのだ。メロディや雰囲気の優しさに油断してしまうこともあるのだろうけれど、捕まえにくいというか、手の隙間からするりと逃げていくようなもどかしさがある。
自分だけがそうなのかと思っていたら、佐伯さんも打ち上げの席で「田園を指揮するのは10年早い」(20年だったかな?)と言っていたし、尾高忠明もこの曲はまだ2回しか取り上げていなくて、最近ようやく分かるようになったという趣旨のことを言っていたのだそうだ。そうだなぁ。2楽章なんて、何となく雰囲気はつかめるものの、どう料理したものやら。丸山桂介みたいにキリストの洗礼と結びつけて田園の宗教性を主張するのも行き過ぎのように思えるし、あまり考えずに、ぼんやり水の上に漂っていればいいんだろうか?
いちおう今回は細かくパッセージをさらったり、文献を読んだりしてはみた。が、年度末のあれこれや新学期の授業の準備で時間をとられて、当初の目論見ほどには踏み込なかった。というより、掘り下げようという気勢を軽くいなされて、曲が遠くで笑っているとでもいうような感じで、楽譜とCDの前で佇んでしまったのだ。
佐伯さんの田園は、べたつかないテンポとか、3楽章の“田舎の”踊りとか、まずまず共感できる流れで弾きやすかった。5楽章の重低音からffで上昇する分散和音は、たぶん喜ばしい響きになっただろうと思う。とりあえず、「田舎に着いたとき」というレベルにはなったので、「楽しい集い」「感謝の気持ち」にまで至れるよう、次の機会まで研鑽すべし。