ロジャー・ノリントン2004年来日公演は、明日の大阪を残すものの、個人的には今日の横浜で打ち上げとなった。シュトゥットガルト放送響は、前回2001年のときと比べてずいぶんメンバーが若くなっていたが、透明なサウンドは健在、というより、一層磨きがかかったようだ。ノリントンに前回と比べての感想を聞かれたので、「前回は、プログラムの関係もあってかなりパワフルな印象があったが、今回はより滑らかに、繊細な表現もできていたのでは」と答えたところ、「そうそう、fluidだろう」とか言っていた。

〔写真〕ノリントンの音楽はリハーサルでも生き生きしている。11月24日。

ノリントンとシュトゥットガルト放送響の演奏は、「シュトゥットガルト・サウンド」という形容に代表されるように、多くの場合ビブラートをかけない弦楽器の生み出す音色、響きを中心に語られる。まぁそれは、新鮮でまた分かりやすい特徴なので、それはそれで構わないのだが、インタビューでも述べているように、それは入り口に過ぎない。むしろ、その響きを使ってどんなフレージングを聴かせるか、どんな語法と組み合わせて語りかけるかというところこそが、興味深いし、ハッと驚いたあとに納得させられるノリントンの音楽の醍醐味なんである。たとえば、ベートーベンのあちこちで、大半の演奏がスピカートで弾き飛ばすところをデタシェでしっとりと表情をつけたり、マーラーの一見長い弦の旋律を微かな息継ぎを入れて話し言葉のように表現したり。残念ながらホールの音響がこうした細部の味付けを吸収してしまってよく聴き取れないところもあったが、願わくば今回の演奏会評は、サウンドの話だけでなくもう少し踏み込んだところでご高説を賜りたいものだ。

特筆しておかなければならないのは、23日のRVWの第6交響曲が素晴らしかったこと。ノリントンは、スコアのあちこちをめくって指さしながら曲の説明をしてくれたが(作曲者は否定しているけれども、ノリントンは明確にこの曲にプログラムを読みとっていた)、彼はこの曲を本当に細部までよく理解し、音楽を組み立てていた。もちろん、それに応えて演奏したシュトゥットガルト放送響の技量も見事だったし、1947年のこの曲でもノン・ビブラートの弦は実に説得力のある音を与えていた。

今回のプログラムの核となっていたベートーベンは、ひとことで言うとウィットに満ちた演奏。ノリントンは、いろいろなインタビューなどでハイドン、モーツァルト、ベートーベンについて「彼らの仕事にあふれているものは最高のウィットです」と述べているが、まさにそれを具体的に音楽で示した演奏と言えるだろう。フレージングはもちろん、強弱やアクセントの付け方、思わぬ声部を浮かび上がらせる絶妙のバランスなど、表現手法を駆使してベートーベンが楽譜に詰め込んだウィットを次々に披露していくという感じ。シュトゥットガルト放送響も手慣れたもので、ノリントンのいろんな仕掛けにすいすい反応しながら、音楽はしっかり進めていく。だからこのコンビのベートーベンは、きちんとした構成感を持ちつつ、聴いていても見ていても楽しいのだ。

続く予定は、(未発表の件も含めて)期待の持てるものが目白押し。本も、CDも、演奏会も、楽しみが一杯である。

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