悲しい時や心が晴れない時には、以前はよくバッハの無伴奏を聴いていた。ここしばらくは、ブラームスのドイツレクイエムを取り出すことが多い。

ドイツレクイエムの第1曲は、ルター訳マタイ福音書5:4の有名な一節で始まる。

Selig sind, die da Leid tragen; denn sie sollen getröstet werden.

「幸福(さいはひ)なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。」悲しいことはいろいろあるが、そこで悲嘆にくれるだけではなく、「さいわいなるかな」といって顔を上げることができるか。ブラームスは、 Selig sind を透き通った合唱で何度も繰り返し、悲しみそのものよりも、むしろ祝福される喜びを歌う。そして詩篇から採られているのは、“涙のうちに種を播く者が喜びに満ちて実りを迎える”という希望のことばだ。 mit Freuden のリズムが、雨後の陽に照らされるように輝かしい。「生者のためのレクイエム」とも称されるこの音楽は、悲しみを癒すだけでなく、励ましを与えてくれる。

パウロ・コエーリョは、イラク反戦詩 Obligado Presidente Bush に「ありがとう、私たちを無視してくれて。あなたの決断に反対する態度を明らかにしたすべての人を除け者にしてくれて。なぜなら、地球の未来は除外された者たちのものだから。」と書いた。

Obligado por nos ignorar, por marginalizar todos aqueles que tomaram uma atitude contra sua decisão, pois é dos excluidos o futuro da Terra.

コエーリョの Obligado は、 Selig sind とはメッセージも強度も違うのだが、それでもやはり、これを読むと同じマタイの5:10を想い起こさずにはいられない。

Selig sind, die um Gerechtigkeit willen verfolgt werden; denn das Himmelreich ist ihr.

大きな愚行に憤り、小さなすれ違いに身を震わせる。makarioiSelig sindと気を取り直すために、今日もドイツレクイエムを聴く。

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