music & knowledge sharing
Planet masaka played list 2017-06
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シャリーノ:
2台のピアノのためのソナタ
(アルベルティ+デリコ)
ほぼデビュー作という1966年の作品。きらきら輝く細かいパッセージがあちこちできらめく、すいすい泳ぐ小魚を追いかけているような曲。併録リゲティの「2台のピアノのための3つの小品」は無骨な音柱がだんだん細かくもやっとした表情に変化していく。アペルギス「別の顔」、デュフール「生贄の太陽」、カスティリオーニ「グリーグへのオマージュ」もそれぞれ魅力のある連弾曲。Stradivarius
STR37058
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フランク・デンヤー:
不確かな考え,沈黙の声
(バートン・ワークショップ)
重いミュートを付けた弦楽器、サントゥール、男声、打楽器という編成で、つぶやくような、あるいはかすれた繊細な音の断片が並べられる。ときおり風に吹き上げられるような少し鋭い音が舞い込むものの、すぐにまたもとの静けさが戻る禅寺のような音風景。Mode Records
MOD-CD-198
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モートン・フェルドマン:
エクステンションズI
(ターファン・アンサンブル)
さらにピアノ独奏のIII、IVも。「始まりも終わりも見えない橋で空中に釘付けにされるような感覚」を表現しているという。1951年、図形楽譜ではないが偶然性を強く指向する。併録はインターミッション、ネイチャー・ピースなど、みな同時期の作品。Mode Records
MOD-CD-66
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シルヴァーノ・ブソッティ:
ピアノのために
(マルティーヌ・ジョスト)
図形楽譜ではなくかろうじて五線の楽譜があるようだけれど、ランダムな即興と区別し難く、間を取っていた断片がだんだん激しく切迫していく1961年の前衛。併録ソナチネ・ジョアッキーナ(1995年)、プティ・ビス(1996年)は響きを味わうようなややゆったりした様相を見せる。Mode Records
MOD-CD-65
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ジョージ・クラム:
マクロコスモスI,II
(マーガレット・レン・タン)
今日はすこしメシアンのような響きも聞こえたような気がした。この内部奏法は一人でできるんだろうか。と思って探してみると動画もいくつかあって、確かに一人で演奏している。なるほどねぇ。Mode Records
MOD-CD-142
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アイヴズ:
ニューイングランドの祝日
(モルロー+シアトル響)
交響曲といいつつ全く独立した4楽章。どれもそれなりに繊細な、あるいは不協和音を重ねる基本部分に、各祝日にちなむフレーズが組み合わされる。それが生に近い形で強く主張されるために、全体の印象が引きずられて著しくチープになる。併録のオーケストラ・セットも、模糊とした表現の中に「懐かしい」要素が直接/間接に広範囲に入り込む。その要素が前面に出てくるに連れ、聴くのが辛くなってくる。Seattle Symphony Media
SSM1015
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バルトーク:
弦楽四重奏曲全集
(ヒース四重奏団)
なんだか朗らかというか、良くも悪くもバルトークのジョリッという鋭利さが背面に退き、スマートにまとめられている印象。不協和音でビブラートをかけられると緊迫感が削がれるということもある。とはいえ聴き方によってはしなやかという評価になるかも知れず、再度聴いてみると断定し難い。バルトークの自分の中での位置付けが微妙に変化しているのかとも思ったりする。Harmonia Mundi
HMM907661.62
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クセナキス:
エオンタ
(高橋アキ+ドルリー+カリサンピアン・コンソート)
Pf+2Tp+3Tbのために1963年作曲。金管楽器(特にTp)は自然倍音という素朴な束縛があるので、自由な奏法であるようでいてそれに回収されやすい。それを振り払いつつ独立した音の束を繰り出すピアノと拮抗する様に注目するのは邪道かな。モリシマ‐アモリシマ(運命によるもの‐よらないもの、1962年)は確率プログラムにいわば自由を委ねたがそれとて一つの自然であるという逆説。アケア(1986)はピアノ五重奏、風の中の麦藁(1992)はPf+Vc。特に後者は後期の密度が2つの楽器に凝縮されて深い。Mode Records
MOD-CD-217
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モートン・フェルドマン:
プロジェクション
(ターファン・アンサンブル)
1950~51年に書かれた初の図形楽譜による音楽(音高は高中低の幅のみでリズム=時間は指定)で、Vc、Vn、Fl、Tp、Pfの独奏~9人によるI~Vがある。ポツポツと断片的に音が鳴るだけなので、ながら聴きでは素通りしてしまう。併録1961年のデュレーションズもよく似た雰囲気だが、こちらは五線のある楽譜で、逆にルバートによってリズムが奏者に委ねられるという。Mode Records
MOD-CD-103
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クセナキス:
ヴェール
(カリツケ+アンサンブル・レゾナンツ)
20弦楽のための1995年の作品で、SQと同じくトゥッティの不協和音が次々に繰り出されるが、楽器数が多いので響きも豊か。1996年のイティドラは6弦楽でよく似た表現。1959年のシルモスから71年のアロウラまではグリッサンドやピチカートなどやはりSQと同じ初期の特徴。そして75年のテラプスは同様の傾向のコントラバス独奏で、これは面白い。Mode Records
MOD-CD-152
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クセナキス:
弦楽四重奏曲
(ジャック四重奏団)
1956年のST/4はグリッサンド的な動きとピチカートの反復が各声部独立してあちこちに現れる。1983年のテトラスはくねくねした音を多用しいろいろ交錯する。1990年のテトラは不協和音がぶつかる響きが前面に出て対話的。1994年のエルグマは不協和音が鳴り続けるトゥッティが中心に。緻密に隙きなく設計され饒舌だが、それでものびのびしているのは演奏が優れているからか。Mode Records
MOD-CD-209
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ラッヘンマン:
歌劇「マッチ売りの少女」
(ツァグロセク+シュトゥットガルト州立歌劇場管)
悲しさ、辛さ、憧れなどをさまざまな技法による音響で折り重ねていく、巨大な音詩。マッチを擦る、手をこすり合わせて暖を取るというところからか、こする音が重要な役割を持つように思える。最後に笙に行き着くのは、分かるようでもあり不思議でもあり。Kairos
0012282KAI
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ラッヘンマン:
弦楽四重奏曲第1~3番
(ジャック四重奏団)
求めているものは常に「自由のない時代における自由の前兆としての芸術」だという作曲家が、楽器をミュージック・コンクレートの素材にし、音符ではなく音が音楽のアトムになる。静の間に組み込まれる自由な音による、研ぎ澄まされた表現。演奏も見事な水準。Mode Records
MOD-CD-267
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バルトリーノ・ダ・パドヴァ:
私を思い出して
(テトラクティス)
15世紀フィレンツェのスクアルチャルーピ写本に収められた3声のバッラータ。ジル・フェルドマンのSopにヴィオルとハープ。また多くの曲でケース・ブッケのリコーダ。併録はロレンツォ・ダ・フィレンツェ、ニコロ・ダ・ペルージャ、アンドレアス・デ・フロレンティアなどで全18曲。しっとり、ゆったりと流れる時間。Etcetera
KTC1916
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パヴェウ・シマンスキ:
フィラクテリオン
(ショスタク+メラータ・シレジア+ポーランド国立放送響)
ユダヤ教の聖句箱の意味らしい。深い霧のような状態から囁きが始まり、合唱の断片的な和声のつぶやき、あるいはお経のようなフレーズにときどき打楽器が反応して位相が変わっていく。併録ルクス・エテルナは混声合唱+Pf、Hp、Cel、Vibで、星降る夜のような不思議な雰囲気が混沌に変わり、そしてひとつの反復に収斂していく。超慣例主義的技法なんだそうだ。
DUX1223
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ビクトリア:
6声のモテット集
(ノルディック・ヴォイセズ)
柔らかい輝きの響き。各声部が主張しすぎないというか、全体が一体となってその皮に包まれた中でそれぞれが歌っているというか。ボケているわけではないが、クリアな解像度のポリフォニーとはまたひと味違う、これはこれで心地よい。Chandos
CHSA0402
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ジョン・ケージ:
プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード
(マーガレット・レン・タン)
作曲者の信頼が厚くトイ・ピアノの奏者でもあるレン・タンが、自由な発想で調整したということらしく、「この演奏のように聞こえるものを一度も聴いたことがないはず」だそうだが、そんなにたくさん比べたことがあるわけではないので、素直に楽しんでいる。Mode Records
MOD-CD-158
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ジョン・ケージ:
フリーマン・エチュード第1,2巻
(アーヴィン・アルディッティ)
星座表と易を使って音を決め、4オクターブ以上の跳躍がびっしりならんだりと、究極に近い難曲。「世界の政治的社会的問題の解決は不可能」という言説に対するケージとしての答えだという。音の断片のみで構成される音楽は、だらだら長いフレーズの対極にあって原初に立ち返る。もっと間があってもいいのかなとも思うが、恐るべき水準の演奏。Mode Records
MOD-CD-32
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ジョン・ケージ:
44のハーモニー
(アルディッティ弦楽四重奏団)
アメリカ建国200年を記念して、4民族/宗教の伝統音楽の断片を用い4声楽+器楽として作曲された「アパートメントハウス1776」の、初期アメリカ音楽に基づく「ハーモニー」をアルディッティがSQに編曲したもの。ゆっくと瞑想的な、民謡的でもある素朴な響きを、少し語っては休み、また語り始める。変わらずに流れる時間。併録チープ・イミテーションはピアノ曲からVn独奏への編曲。Mode Records
MOD-CD-144
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ジョン・ケージ:
One8
(ミヒャエル・バッハ)
ナンバー・ピースの一つで、バッハ弓を使用して53の時間枠で単音~4重音をロングトーンする。かすれた音、不協和音、金切り声のようなハーモニクスなどが、たっぷり間を置きながら現れる43分33秒の世界。Mode Records
MOD-CD-141
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フリアン・カリージョ:
チェロ・ソナタ第1~6番
(ヒメナ・ヒメネス・カチョ)
四分音による擬似ソナタという無伴奏曲集。比較的シンプルな音型を微分音で反復しながらずらしていき、時にうねったり高音を絞り出したり。修行僧っぽいというか、シュールながらある種瞑想的でもあり、不思議な力が伝わってくる。Sonido 13=第13の音システムと呼ぶそうだが、13等分という訳ではなく、12音を超えるという意味らしい。Quindecim Recordings
7509708071822
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黛敏郎:
文楽
(ヒメナ・ヒメネス・カチョ)
太棹三味線を模すピチカートに対するアルコは義太夫節か。見事なコンビネーション。併録はブロッホの組曲第1番、カザルスの組曲など、独奏チェロの妙技を聴かせる充実したアルバム。Quindecim Recordings
7509708020929
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ピーター・シーボーン:
ステップス1
(シン・ミンジョン)
イギリスの同世代の作曲家で、一時作曲を中断した後、ライフワーク的に連作しているという。心象風景を自由に表現しているような、奇抜ではないけれども何かの借り物ということもなく、時に叙情的に、またコミカルに。やや硬質な音が似合っている。Sheva Contemporary
SH168
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コープランド:
短い交響曲
(オルソップ+ボーンマス響)
第2番に相当するが交響曲の枠にはとらわれず(第3番第1楽章のような力みやくどさがない)ジャズ由来のリズムをコープランド流に滑らかに組込んだ佳曲。演奏は終楽章やや安全運転か。舞踏交響曲は初期のバレエ音楽グローグを3つの楽章に編曲したもの。交響曲第1番はオルガン交響曲の改作で原曲のほうが有名だが、こちらの方がまとまりもあるし余計な威圧感もなく良いように思う。Naxos
8.559359
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アルトゥール・ルリエ:
合成
(コウクル)
スクリャービン風の神秘的和音のうえに即興のような断片がややロマンティックに交錯する。併録の「日課」は影とか魔法とか標題を持つ印象派っぽい響き。子供部屋のピアノなど親しみやすい曲も収録されたピアノ全集第2巻。Grand Piano
GP750
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エルンスト・トッホ:
ブルレスケ
(コーキッツ)
調性からは自由に、けれども柔らかい叙情と小気味良い運動に溢れ、のびのびとしている。カプリッチョ、小都会の風景、練習曲、ソナタなど戦間期のピアノ作品集、いずれも余計な音を削り落としたシンプルで軽妙な響き。コーキッツの音色はむしろロマンティック。Capriccio
C5293
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