この週末から阪哲朗さんによるブラ1の練習が始まった。噂どおりかなりの快速テンポでぐいぐい進んでいく。1楽章冒頭の序奏がもたもたしないのは爽快だ。3楽章は手元のCDでは最速のマッケラスより更に速いのではないかという勢い。4楽章最後のファンファーレ(コラール)でテンポを落とすのは今ひとついただけないが、“重厚な”ブラームスに慣れきった奏者を面食らわせるには十分だろう。
練習でもなかなかポイントをきちんと押さえていて、例えば1楽章のO
あたりからのスタカートのあるなしをきちんと弾き分けることなど、欲求不満の種だったところをきちんと指摘してくれる。いい感じじゃないだろうか。
さて、面白い箇所はたくさんあるのだが、今日はこの曲のフィナーレの第1主題を考えてみる。ここは無限旋律のようなべったりした音になったり、気合いが入りすぎて演歌のようになってしまいがちなところで、いろんな演奏で辟易している部分。阪さんはここをどう料理するのかと注目していたところ、二つ振りの指揮で、"ma con brio"だから抒情的になり過ぎるよりもメリハリのある(男性的という言い方をしていたが)表現をということだった。
確かに、これだけでも従来の演奏よりはかなり引き締まったものにはなった。それはいいと思うのだが、しかしもう少しフレージングをきちんとしたくないか。シュタインバッハのいう2小節単位のフレーズは窮屈だとしても、現代の演奏でもこれはというものは4小節単位で弦楽器にも一種の「ブレス」をさせている。ここはやはり、もっと人間の「歌」に近い音楽だと思うのだ。
この主題の歌い方を考える時に、ブラームスが自筆譜(出版前の浄書スコア)に記入しているアーティキュレーションは興味深い。
これをよく見ると、ブラームスは3小節目の2、3拍目にスタカートを付けている。ファクシミリのゴミかとも思ったが、2nd Vnにも、また7小節目にも同様の「点」が見えるので、これは作曲者が意識的に書いたものと見なしてよいだろう。スラーの中での点だから、ポルタートのような音をイメージしていたのか。
もちろんこれは、出版譜には(新全集でも)採用されていない、すなわちブラームスが最終的に不要と判断した(のであろう)記号なので、ここをポルタートのように弾く必要はない。ただ、この部分のスラーのかかり方も合わせて考えれば、ブラームスがどんなつもりでこの主題を書いたかを理解するヒントになるんじゃないかな。