CDの74分という一見中途半端な収録時間は、本当のところはどうやって決まったのか。俗にカラヤンが「第九の入る長さにせよ」と述べたからと言われるわけだが、カラヤンの第九はどの年代を見てもほぼ66分台だから、少なくとも「“自分の演奏”の入る長さを要求した」という説は怪しげだ。フルトベングラーの第九はどれも74分前後なので、むしろこちらを根拠にしたがる俗説もあるのだが。

森芳久著『カラヤンとデジタル こうして音は刻まれた』(改訂版1998-04-27, ワック出版部, ISBN:4-948766-07-0)は、ソニーでCDの規格が開発される過程を記し、そこでカラヤンがデジタル録音の普及に重要な役割を担ったこと、フィリップスの11.5cm=60分フォーマット案に対しソニーが「74分あれば99%の音楽が全部、オペラの場合は1幕が、切れ目なく入れられる」ことを調査して12cmを主張したことなどを説明する。そして、カラヤン=74分説の裏話として次のようなエピソードを紹介している。

ソニーの大賀は、音楽家の立場から、この未来のディスクにはほとんどの音楽が切れ目なく録音されることを強く望んでいた。録音時間に関して、フィリップスとのやり取りの中で、大賀自らが黒板の前で七十四分説を説いたのだ。しかし、フィリップス陣は首を縦に振らない。やむなく大賀は、

「巨匠カラヤンもそう望んでいる」

と言ってのけた。巨匠の名前は反対勢を説き伏せるには十分な効果を発揮した。
結果的にカラヤンが、いやその名前がソニーに味方したのだ。(『カラヤンとデジタル〔改訂版〕』p.167

まあこれは一種の神話であって、このエピソードも厳密にどこまで正確かはなんとも言えないが、ソニー内部の関係者の著書だから、少なくともカラヤンの意見が74分フォーマットの決定に影響したことはここに書かれているとおりなのだろう。しかし、そもそもこの時間に「99%の音楽が全部」収まるなんて、マーラーを挙げるまでもなくちょっと無理筋なわけで、74分という半端な長さが選択された背景には、本当にフルトベングラーの第九が開発者の誰かの念頭にあったのかも知れない。

ところで、MDの録音時間はCDに合わせて74分が標準になっている。これは、CDのダビングには便利なものの、コンサートのライブ放送を録音するには短すぎて具合がよろしくない(80分ディスクでも五十歩百歩だ)。そのため、以前はFM番組を録音するのに結構苦労していたのだが、最近のLP4モードを使うと、NHKベスト・オブ・クラシックの3回分がちょうど入るんだな。4倍したら約300分になることまで考えて74分42秒と決めたわけではなかろうが、こうしてみるとなかなか味わい深い規格ではある。

〔付記〕『カラヤンとデジタル』によれば、かつてエジソンが「今にベートーベンの交響曲第九番が、一枚のレコードに収められるようになる」と妻のメアリーに語っていたという。これもなかなかなかなか興味深い逸話だ。

〔付記2〕「巨匠カラヤンもそう望んでいる」というエピソードは、実は『カラヤンとデジタル』の改訂版で追加されたもので、初版には含まれていない。初版はその前の部分:

そんなとき、カラヤンがソニーの味方になった。巨匠は、どうせならばベートーベンの交響曲第九番ニ短調、いわゆる第九の全曲が入るように演奏時間を決めたら良い、とアドバイスしてくれたのだ。これは神の声であった。指揮者によって演奏時間は異なるものの、七四分あれば第九が入ることがわかった。こうして、ディスクの大きさは一二センチ、演奏時間は七四分四二秒に決まった。

で話を終えている。改訂版ではこのくだり全体を『』に入れ、《『そんなとき……七四分四二秒に決まった。』と、伝えられたエピソードには、実は裏話がある。》として、上に引用した大賀の発言を紹介したのだ。カラヤン説が一人歩きしたので、この裏話を敢えて追加したのか、何だか微妙なところだ。

〔付記3〕ソニーの社史によると、74分(75分)で95%が収まるという調査結果だったらしい。

音楽家でもある大賀から決定的なひと言があった。「オペラの幕が途中で切れてはだめだ。ベートーベンの『第九』も入らなくては。ユーザーから見て合理性のあるメディアにしなくては意味がない」。これは75分あれば大丈夫だ、ということを意味していた。さらにクラシック音楽の演奏時間を調べてみると、75分あれば95%以上の曲が入り、直径12cmは必要ということになる。

フィリップスの主張した60分だとこの数字がどうなるのかも興味あるところだが、著しく使い勝手の悪い規格になったことは確かだろう。

〔付記4〕学習院大学理学部物理学教室の田崎晴明さんの「日々の雑感的なもの」に、ソニーで光ディスクの開発にあたった宮岡千里さんの話として、CDの録音時間に第九が関係したのは実話だと紹介されている(2003-05-31付)。

あ、そうそう。「CD の録音時間を決める際に、ベートーベンの第九が入ることを考慮した」という話は都市伝説なんかじゃなくて実話でっせ、(略)ソニーのなんとかさん(名前を聞いたけど忘れた)がそう言って、みんなで計算して決めたそうです。

〔付記5〕フィリップス側の主張も公開されていた。基本線は同じだけれど、74分は自分たちの子会社であるPolyGramに調べさせたとしているところが、面白い。やっぱりフルトベングラー説を取るべきなのかな。

However, Sony vice-president Norio Ohga, who was responsible for the project, did not agree. "Let us take the music as the basis," he said. He hadn't studied at the Conservatory in Berlin for nothing. Ohga had fond memories of Beethoven's Ninth Symphony ('Alle Menschen werden Brüder'). That had to fit on the CD. There was room for those few extra minutes, the Philips engineers agreed. The performance by the Berlin Philharmonic, conducted by Herbert von Karajan, lasted for 66 minutes. Just to be quite sure, a check was made with Philips' subsidiary, PolyGram, to ascertain what other recordings there were. The longest known performance lasted 74 minutes. This was a mono recording made during the Bayreuther Festspiele in 1951 and conducted by Wilhelm Furtwängler. This therefore became the playing time of a CD. A diameter of 12 centimeters was required for this playing time.

(公開; 更新)