待ち望んでいたインマゼールのシェヘラザードのCDが店頭に並んでいたので即購入。シェヘラザードは先日演奏したばかりな訳だが、できればこの録音を聴いてから演奏会に臨みたかったというものだ。
ビブラートのない弦のサウンドは期待通り。長い音がまっすぐ素直に響くためアクセントや装飾音が生きてきて、新鮮だ。丁寧なフレージングと組み合わせると、その効果がよく分かる。管楽器の音色はよく注意して聴かないとピリオドという感じはしないが、弦の編成が8-8-6-6-5(チャイコフスキーの録音とほぼ同じ)なので、ソロが力みなく浮き出てきている(こめかみが破れそうな演奏の対極)。ハープは、まさに“竪琴をつま弾きながら語る”という雰囲気が出て、いい味わいだ。
CDのノートでインマゼールは次のように語っている:
シェヘラザードの最終楽章は、管楽器の音が強すぎて、弦楽器を聞き分けることができなくなるとよく言われます。しかし、モダンオーケストラがやっているような、弦楽器セクションを倍増するという方法は、解決策にはなりません。オーケストラを絵画に例えてみることもできるでしょう:鼻がこすれるほどの至近距離で絵を見ることを画家が想定していないように、作曲家が書いた全ての音の細部を聴き取ることは、本来必要ないことなのです。シェヘラザードの最終楽章において、弦楽器は道路であり、地下水流であり、脈打つハートです。それは、単独で聴かれるべきものではなく、重要なのはオーケストラの内部のバランスなのです。
これはちょっと珍しい論法だが、要するに管楽器に対抗するために弦楽器の数を増やすのは意味がないということだ。もちろん逆に、弦が多すぎると木管がいくら頑張っても音が届かないということにもなる。インマゼールは、あるアメリカのオーケストラのリハーサルで指揮者がオーボエ奏者にもっと音量をもとめたところ「そうしたいのは山々だけれど、私の目の前にあるミシシッピ川を渡る術がないんです!」という返事が返ってきたエピソードを紹介している。このCDのバランスによるシェヘラザードの響きは、一聴に値する。
テンポは特に速いということはないものの、よくあるタメをほとんど行わないので、音楽はすいすい進んでいく。大仰な演奏に馴れた人には物足りないかも知れないが、シェヘラザードはそんな演出なしでも十分に楽しい曲であることが再認識できるだろう。
インマゼールとアニマ・エテルナは、2002年に初めてシェヘラザードを演奏している。その後2003年のリスト・プロジェクトを経て、2004年5月のレーゲンスブルク古楽音楽祭で演奏したあと、6月にこのCDを録音した。今年の10月にはラヴェルに取り組むそうだ。どんなものが出てくるのか、楽しみにしておこう。