しばらく前にシューマンの交響曲全集の、ちょっと特徴のあるものを2種類買っていたのだが、なかなか詳しく書く時間がなかったので、遅まきながら簡単にまとめておく。

まずひとつは、ボストック(Douglas Bostock)指揮チェコ室内フィルによるもので、「ブライトコプフ原典版による世界初の全集録音」と銘打ったもの。2002年の録音で、今年初めに店頭で見かけて購入した。ブライトコプフの新原典版とは、ヨアヒム・ドラハイム(Joachim Draheim)の校訂によって1993年から2001年にかけて出版された楽譜だ。ロベルト・シューマン研究所/ロベルト・シューマン協会から前田昭雄、Klaus Wolfgang Niemöllerの監修で出る新シューマン全集(交響曲は第3番がLinda Correll Roesnerの校訂で1995年に出版されているはず)とは別物で、ベートーベン交響曲がベーレンライターやヘンレ、ブライトコプフからそれぞれ「原典版」と銘打って出てくるのと同様、ややこしい。

手元で旧版と比較できるのは交響曲の1番と4番だけだが、一通り見たところでは、細かな編集上の違いはあるものの、ベートーベンやシューベルトの「原典版」ほど大きな変化は見られない。特にドラハイムの校訂方針は最終出版スコアを重視するという姿勢らしいので、自筆譜やパート譜に違う記述があってもあまり影響を受けていないようだ。(3番は新全集の成果も反映して誤りを正したとなっているが、今のところ旧版との比較はできていない。)

ボストックの演奏はどうかというと、小さな編成のオーケストラで楽譜に忠実な演奏を行っているらしいことは分かるが、ビブラートをかけすぎで音程が無くなったりするし、メリハリもいまひとつというところ。シューマンはすでにピリオド楽器による演奏もいろいろ出ているから、新鮮味はない。珍しいのは、シューマンが1941年1月にスケッチしていたハ短調交響曲のひとつの楽章である「スケルツォ ト短調」というものが収められていること。この「交響曲」は、わずか2日後には変ロ長調のスケッチ(すなわち第1番)に切り替わってしまって、すぐに放棄されたということになっている。しかしドラハイムの説では、スケルツォはその後ピアノ用に編曲されて作品99(色とりどりの小品)の第13曲に使われたもので、楽章のスケッチは完成していたので、オーケストレーションを試みる価値があるのだという。ドラハイムによるオーケストラ版は2.2.2.2 - 2.0.0.0 - strという編成で、1995年に初演されているそうだ。

もうひとつの全集は、スゥイトナー指揮シュターツカペレ・ベルリンによる1986/87年の録音の再発(DENONから3月発売)。これは特に1番が、ワシントンの米議会図書館所蔵のシューマン自筆譜を使って演奏しているということで、話題になったものだ。何しろ、第1楽章冒頭のTp, Hrによるファンファーレが、通常の版より三度低いB音から始まる(つまり移動ドでいえばド・ド...ド・ラ・シ・ドとなる:譜例参照)ので、いきなり度肝を抜かれる。ほかにも第3楽章の第2トリオがないとか、いろいろ細かな違いがあり、「原典版」の演奏を聴くより面白さという点ではよほど上だ。

シューマン交響曲第1番の冒頭:印刷譜はD音で始まるが、自筆譜ではB音から始まっていた

この冒頭部分が変更された経緯は、前田昭雄の「詩的想念と音楽―第一交響曲の成立史に即して」(『シューマニアーナ』所収, 1983, 春秋社, ISBN:4-393-93101-7)に詳しく述べられている。それによれば、スケッチの着想段階では現在聞かれるのとおなじD音から始まるものだったのが、鉛筆で消去されてB音のものとなり、自筆譜でもB音で始められた;しかし初演のためのリハーサルで、ラシドの部分がナチュラル・ホルンでは“クシャミのような音”になってしまうことにショックを受け、現在の形に書き直した、と。だからシューマンが意図したのは自筆譜にある「ラシド」の形だという主張はときどき出てきているのだが、ドラハイム校訂のブライトコプフ版ではこの考えは採用されていない。

このモットーの後半部分を「ドレミ」にするか「ラシド」にするかシューマンが迷ったということについて、前田昭雄は《シューベルトの大ハ長調交響曲の冒頭が「ドレミラシド」という音で構成されていることが根底に作用している》と指摘している。確かに、シューマンは第1交響曲を書くにあたっては、グレートを発見し、初演を聴いたことに大きな影響を受けているわけだから、その通りだろう。こうしたつながりを確認するためにも、この録音は聴いてみる価値がある。スゥイトナーの演奏は、古き良きスタイルという感じではあるが、おおらかで好感が持てるもの。しかし「ライン」は下手なビブラートが目立つ曲だな。

〔追記〕L.C.Roesner校訂のシューマン交響曲のスコアは、Eulenburgからも出ている。オイレンブルクの「原典版」を参照。

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