ベートーベン(a.k.a.ベートーヴェン)第九の歌詞と音楽

ベートーベンは、ボン時代(1790年前後)にシラーAn die Freudeに出会い、30年後に完成する交響曲第9番のフィナーレにおいて4人の独唱と合唱でその詩を歌わせました。シラーの原詩は8つの節から構成され、それぞれ前半の詩(v)と後半のコーラス(c)に分かれます。ベートーベンは、この詩から 1v - 2v -3v - 4c - 1c - 3c という具合に、半分弱を順序を入れ替えて採り、第九に用いました。

詩の選択と順序、そしてsfなどによる強調をみると、第九の歌には“地上界の友愛から神々の喜びの理想に至る”というプログラムが読みとれます。もちろんシラーの詩は複合的な含意を持ち、またベートーベンもそれを自分流に組み替えて利用しているので、第九の歌詞の意味は一本調子に解釈できるものではありません。また、音楽の内容に懐古的な要素が含まれることなどからも、直線的で単純な賛歌ではなく、両義的な意味合いを持つことが指摘されています。

Recitativo

4楽章冒頭のSchreckensfanfare(恐怖のファンファーレ)、1~3楽章の回想と低弦のレチタティーヴォ、歓喜の主題提示のあと、シラーの詩に入る前に、自作の歌詞をバリトンのソロで歌わせている。

原文逐語訳
O Freunde, nicht diese Töne! おお友よ、このような音ではない!
sondern laßt uns angenehmere anstimmen, そうではなく、もっと楽しい歌をうたおう
und freudenvollere. そしてもっと喜びに満ちたものを

「このような音ではない」という言葉が何を否定しているのかは、いろいろな捉え方がある。まず、直接的に3つの楽章を否定していくのは終楽章冒頭の低弦のレチタティーヴォだ。ノッテボームなどの研究によれば、ベートーベンのスケッチではこの器楽によるレチタティーヴォの旋律に歌詞が書き込まれている。スケッチの旋律はまだ未完成であるものの、最終的なレチタティーヴォと次のような対応関係がある:

このあとで低弦から順に歓喜の主題が歌われ、管楽器も加わった変奏を経て、再びSchreckensfanfareが戻ってきて、このバリトンのソロに至る。

バリトンソロの冒頭「O Freunde, nicht diese Töne!」の旋律に対応する低弦のレチタティーヴォは、第1楽章が回想される前のファンファーレ直後の部分であり、3つの楽章を否定するところではない。スケッチにおいては、この旋律に近い形の断片にはつぎのような歌詞が添えられている:

これは、直接的にはSchreckensfanfareの否定と見ることができるだろう(もっとも、このスケッチの断片は、途中から1楽章回想後の旋律の原型のようにもなるので、厳密な対応関係は何とも言えない)。そしてバリトンの「und freudenvollere」のメロディは、「ははは、これだ、ついに見つけた」と肯定する部分と同じだ。

いったん器楽で歓喜の主題を肯定し、歌い始めたあとで再びバリトンが「このような音ではない」というのは、単純に考えれば、器楽だけではなく声楽も加えた音楽をと求めているように受け取れる。ただここは、ワーグナーの言うような“より完成された形式として声楽付き音楽”を提示しているのか、あるいは単に器楽と声楽の橋渡しをするための“つなぎ”なのか、にわかには決めがたい。いずれにせよ、ベートーベンはかなり試行錯誤して、苦労の末にこの部分を作曲したということは確かだ。

Allegro assai

1v. Freude, schöner Götterfunken

シラーの原詩の第1節前半を採用。バリトンのソロと合唱でFreude(合唱はFreude!と感嘆符付き)をそれぞれ2回繰り返したあとで。

241小節

Freude, schöner...

原文英訳逐語訳
Freude, schöner Götterfunken, Joy, lovely divine spark, 喜びよ、美しい神々の閃光よ
Tochter aus Elysium, Daughter from Elysium, 楽園の世界の娘よ
Wir betreten feuertrunken, drunk with ardour we approach, 私たちは足を踏み入れる、炎に酔いしれつつ
Himmlische, dein Heiligtum! O heavenly one, your sanctuary. 天なるものよ、あなたの聖所へと
  • Funkeは火花とかスパーク。神々のスパークは、曲の冒頭の原初の世界にも通じるかな。神の本質が火花となって人間の中にとびこんで精神になるというのは、ドイツ神秘哲学からフィヒテにいたる思想だそうだ。たとえば神秘主義のヤーコプ・ベーメ(1575-1624)は「純粋なる神性に関して言えば、神は光り輝きながら燃える精神であり、自ら以外のいかなるものをも住みかとせず、他に比べるもののない無比の存在である」というようなことを言っている。
  • Elysiumはギリシャ神話の楽園。ホメロスのオデュッセイア第四書563行には「エリューションの野」として登場する。シラーは、『素朴文学と有情文学について』という文学論で「もはやいかにしてもアルカディアの地にもどることのできない人間を理想郷(エリュージウム)にまでみちびくような牧歌をおのれの課題とするがよろしい」と述べるなど、彼の中では人間の到達すべき、前方にある楽園という位置づけ。なおTochter aus Elysiumというフレーズは、第九においては何度も使われることから重要な意味を持たせる解釈がある一方、小塩節によればシラーの考え出したアレゴリーでイメージ的に捉えればよいという。
  • feuertrunkenはdrunk/intoxicated with fireと訳しているものが多い(ほかにはfire-inspiredなど)。邦訳は「火のように酔う」とするものもあるが、前段のGötterfunkenを受けて「火に酔いしれて」とするほうがよいと思う。丸山桂介は「炎に焼かれて」と訳し、むしろ後段のケルブに結びつけているのだが。
  • Himmlischeは「タリーア」第2号に添えられたケルナーによる楽譜ではGottlicheとなっており(本文ではHimmlische)、出版前の原案段階ではこちらだったのかも知れない

249小節

Deine Zauber...

原文英訳逐語訳
Deine Zauber binden wieder, Your magic re-unites あなたの魔法の力は再び結びつける
Was die Mode streng geteilt, what custom sternly separated; 世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを
Alle Menschen werden Brüder, all men shall be brothers 全てのひとは兄弟になるのだ
Wo dein sanfter Flügel weilt. wherever your gentle wings tarry. あなたのその柔らかな翼が憩うところで
  • Zauberは不思議な魔法の力。Zauberflöteなら魔笛だ。
  • Modeはシラーが書いた時とベートーベンが曲をつけた時で背景も異なってきているが、専制君主制とか革命の混乱とか、いろいろな社会的、人間的な関係。
  • strengは厳しい。シラーの初版(1786)ではSchwerd(剣/武力が)。またショット社から出た最初の出版譜では後半823小節目で歌われる箇所がfrech(無礼な)となっており、ワーグナーはその「変更」に積極的な意味を見出したりもしたようだが、単に文字が読みにくく写譜でミスが生じただけと言われる
    Schott版823小節目:frech---geteilt D
  • Brüderにはアクセントがつけられている。Alle Menschen werden Brüderは、初版(1786)ではBettler werden Fürstenbrüder(乞食が王侯の兄弟となる)。(werde と記していた誤りを南 剛さんのご指摘で訂正しました)。
  • werden = become, to be
  • weilt < weilenは「とどまっている、滞在する」。英訳ではrestとなっていたり、意訳してunder the sway of thy gentle wingなど。

257小節から、合唱が後半(Deine Zauber...)を繰り返す。

歓喜の主題が、前3楽章に比べてほとんど民謡調ともいえる素朴なもの(柴田南雄に言わせれば「日本の小学校教科書にも安心して載せられるような」)であるのは、“誰もが歌えて大衆がともに人類愛を讃えられるように作曲した”と捉えられてきた。一方で、このあとでも懐古的な(アナクロな)音楽的要素が何度も出てくることを含め、ベートーベンはあえて両義的な価値を持ち込むことで普遍性を獲得したとする説もある(Cookなど)。もっとも、音域や和声パートの跳躍などは、とても“誰もが歌え”るものとは言い難いのだが。

2v. Wem große Wurf gelungen

主題の変奏1。シラーの原詩の第2節前半を採用。Alt, Ten, Barのトリオで始まり、5小節目からSopが加わる。

269小節

Wem große...

原文英訳逐語訳
Wem der große Wurf gelungen, He who has the great luck 大きな幸いを得たひと、(すなわち)
Eines Freundes Freund zu sein, of being a friend to a friend, ひとりの友の友となり
Wer ein holdes Weib errungen, whosoever has won a dear wife, 優しい妻を得たひとは
Mische seinen Jubel ein! let him mingle his joy with ours その喜びを共にしよう!
  • Wurfは投げて届くこと、(幸運な)大当たり。gelungen < gelingen は成功する。
  • Eines Freundes Freund zu seinは「真実の友を得る」とか「永遠の友を得る」と訳すことが多い。Weibはwifeだが女性一般も指す。
  • mische < mischenはmix。
  • 1805/06年の歌劇「レオノーレ」(1814年「フィデリオ」)のフィナーレでは、フロレスタンを救った勇敢な妻レオノーレを讃えて "Wer ein solches Weib errungen, Stimm'in unsern Jubel ein!" と繰り返し歌われる。いうまでもなく、シラーのこの詩を下敷きにしたものだ。

277小節

Ja, wer auch nur eine Seele...

原文英訳逐語訳
Ja, wer auch nur eine Seele Yes and he too who has one spirit そうだ、たとえたったひとつの魂であっても
Sein nennt auf dem Erdenrund! on the face of the earth to call his own! 自分のものと呼べるものが世界の中にあるのならば!
Und wer's nie gekonnt, der stehle And he who cannot do so, let him steal そしてそれができないものは、そっと出ていくがいい
Weinend sich aus diesem Bund! weeping from this assembly. 涙しながらこの集まりの外へ!
  • auch nur eine Seele = even only one Sole
  • nennt < nennen = nameで、sein nenntはname [it] his own「自分のものと呼ぶ」
  • Erdeは地球、世界。Das Lied von der Erdeなら「大地の歌」。auf dem Erdenrundというとin the world aroundというところ。
  • ベートーベンはnie gekonnt(できない)に向かってクレッシェンドして最高音を与え、その上sfまでつけている。
  • stehlenはstealで、忍び足で歩く。weinenは泣く。schreienのように大声で泣くのではなく、涙を流すという感じ。音楽はここでディミヌエンドして、そっと出ていく様を示す。
  • Bundはbandに通じる集まり、連盟で、Deutsche Bundといえばドイツ連邦。第1節のbindenと派生関係にある。Erdenrundとは韻を踏むと同時に「輪」のイメージを共有する。

b.285から合唱が後半(Ja, ...)を繰り返す。やはりnieにsfがあり、Weinendではpまでディミヌエンドする。ベートーベンは、友や妻を得て喜びを分かち合う人々よりも、それができずに集まりからそっと去っていく人々に眼差しを注いでいるようにもみえ、それほど単純な賛歌ではないことを予感させる。

赤のクレヨンで289小節目にsf、次の小節に大きくdimin D
ベートーベン自筆譜のファクシミリで"Sein nennt auf dem Erdenrund! Und wer's nie gekonnt, der stehle"の部分。赤のクレヨンでnieの sf とそのあとの dimin. を強調しているのが目立つ

3v. Freude trinken alle Wesen

主題の変奏2。シラーの原詩の第3節前半を採用。Ten, Barのデュオで始まり、5小節目からAltが、9小節目からSopが加わる。

296小節

Freude trinken alle Wesen...

原文英訳逐語訳
Freude trinken alle Wesen All creation drinks joy 喜びを飲む、全ての生きとし生けるものは
An den Brüsten der Natur; from the breasts of nature; 自然の乳房から;
Alle Guten, alle Bösen all the good and all the bad 全ての善きもの、全ての悪しきものも
Folgen ihrer Rosenspur. follows in her rosy path. そのばらの道を追い求めてゆく
  • Wesenは実在するもの、生きるもの。本質。たぶんSeinよりも具体的な存在。
  • folgenは、単に「道を進む」よりfollow in one's stepsのような、その道に従っていくという感じ
  • バラの道というと美しさに溢れた自然の小径という感じもするが、実はバラには刺があり、Spurは傷跡でもあることを踏まえると、「これはイエスの聖瘡を指していて、この部分全体が信仰によって神に至ることを歌っている」という深読み(丸山)もできなくはない。また東京芸大の檜山氏は「飲んだ喜びの残り香」として“ばらと香るその跡にしたがう”という解釈を示している

304小節

Küsse gab sie uns und Reben...

原文英訳逐語訳
Küsse gab sie uns und Reben, Kisses she gave to us and wine, 喜びは私たちにキスと葡萄酒とを与えた、そして
einen Freund, geprüfut im Tod; and a friend tried in death; 死の試練をのりこえた友を;
Wollust ward dem Wurm gegeben, even to a worm ecstasy is granted, 快楽は虫けらに与えられ
und der Cherub steht vor Gott! even the cherubs stand before God. そしてケルブが立っているのだ、神の前には
  • geprüfut < prüfen = prove。geprüfut im Todは「生死を共にする」という意味に捉えて、生涯の友と訳すこともある
  • Wollustは現代の意味では官能的快楽だが、古義としては歓喜。wardはwerdenの過去形の文語表現。gegeben < geben = give。ここは(1)「快楽は虫けらにくれてやり」と、俗世の楽しみを超越して神の世界に至るように訳す立場と、(2)「快楽は虫けらにも与えられ」と平等を歌うという捉え方の両方が見られる。
  • Cherubは智天使ケルブで、一般には複数形のケルビムで知られる。現代では可愛らしい赤子のイメージでとらえられることもあるが、本来は神の戦車を駆ったり怪物のような姿で描かれる存在。しかもベートーベンはGottではなくCherubにfを与えている。

後半(Küsse gab sie...)を合唱が繰り返す。Cherubは今度はsfだ(管弦楽はここでff)。さらに、321小節からund der以下をスタカートをつけて強調して歌ったあと、vor Gottを長い音価で3回繰り返し(Gottがff)、最後のGottをフェルマータでのばしてAllegro assaiのセクションを終える(新ブライトコプフ版では、オーケストラはpまでディミヌエンドし、合唱のみffで残る)。

赤のクレヨンで401小節目にf D
der Cherub steht vor Gott付近の自筆譜ファクシミリ

ベートーベンのCherub

この部分は、さらりと読めば自然礼賛があって最後にめでたく神を称える、という単純な賛歌だが、シラーの微妙な言葉の使い方とベートーベンの音楽を合わせてみると、なかなか解釈が難しい。死の試練を経た友とはどういうことか。快楽は誰のものか。ケルブがなぜ神の前に立つのか。そしてそのケルブがなぜ強調されるのか。

疑問のひとつの焦点は、ケルブが炎の剣を手にした半人半獣のかなり怖ろしいイメージの天使だというところにある。もちろんこれを単なる天使一般の象徴と見て、《翼がある→歓喜》と素直に考えてもよい(あとでセラフやエンジェルも登場するので、シラーは「天使」をいろんな表現で言い換えているだけかも知れない)。しかし、その前の「快楽は虫けらにも」と対比して考えると、“天上の世界は、強面の守護天使が立っている、単純な喜びではなく畏怖をともなうもの”と捉えることもできる

前段の、「自然(歓喜)はキスと葡萄酒と、死の試練を経た友人を与えた」は、純粋に与えられるもの(キスと葡萄酒)と、簡単には手に入らないもの(死の試練を経た友人)という対比の関係があると言える。これと同様に、セミコロンでつながれる、つまり言い換えとしての後半は、「誰にでも与えられる快楽と、畏怖すべき神の世界」という対比が提示されていると見てもよいだろう。これを受けて、シラーの原詩ではこのあとにIhr stürzt nieder(ひざまづくのか?)という表現が続くのだ。

ベートーベンがCherubにfsfをつけて強調しているのは、ここを「自然の恵みを受け、地上での幸せは(虫けらも含め万人に)与えられるが、天上の神の前には門を守る天使ケルブが立っており、神の喜びを感じながらもそう簡単にはたどり着けない」と捉えているからではないか。このあとでvor Gottが繰り返されるのは、神にたどり着けない、だが何とかしてそこに行きたいという強い願望の表現ともいえるだろう。

神を讃えようと叫んでも足場はくずれ落ちる(弦とFgの激しい下降音型=1楽章再現部直前との類似に注意。ロマン=ロランは、ここを「弦のユニソンの走句が、彼らをひたす光耀にひれ伏す民衆を表現するかのように、四オクターヴの斜面でなだれ伏す」と読解している)。最後はElysiumを表すニ長調ではなく、この曲のもうひとつの重要な調、変ロ長調のドミナント(F)を鳴り響かせ、地上からGottと呼びかけるのだ。舞台は転換し、天上への道を求めて、次のマーチからの旅が始まる。

Allegro assai vivace alla Marcia

4c. Froh, wie seine Sonnen fliegen

シラーの原詩の第4節後半を採用。変ロ長調(マッテゾンの調性格論では“気晴らしに富んだ荘麗な調”だ)のトルコ風のマーチで、管打楽器による主題提示のあと、テノールがソロで歌う。ある種滑稽な感じがするため、昔から難癖を付けられることが多かった部分だが、天上の幻想(そう、この前の部分をFantasiaとみる分析は古くからある)からいったん地上の現実世界に戻るのだから、当然なのだ。

(CookはRey Longyeraの説を引きながらjuxtaposition of ultraserious and slapsitikと称している。なお、この部分のテンポは諸説紛々)

375小節

Froh, wie seine Sonnen fliegen...

原文英訳逐語訳
Froh, wie seine Sonnen fliegen, Just as gladly as His suns fly 朗らかに、創造主の恒星たちが飛び回るように
Durch des Himmels prächt'gen Plan, through the mighty path of heaven, 壮大な天空を駆け抜けて
  • frohは朗らかな、元気な、嬉しい。Frei aber Frohといえばブラームスの「自由に、しかし楽しく」。Freude, Freundeと並んでFrで始まる重要な語句で、テノールのソロでも念を押すように2回繰り返されて始まる。
  • seine Sonnenは、複数形でしかも「彼の」だから、造物主が宇宙にちりばめたたくさんの太陽ということになるだろう。これも、ソロで2回繰り返されて強調される。この1行は、次に進む前にもう一度繰り返される。
  • Planは地図あるいは広場で、Himmels Planなら天の全体という感じ。prächtig = splendid, glorious

391小節

Laufet, Brüder, eure Bahn...

原文英訳逐語訳
Laufet, Brüder, eure Bahn, so, brothers, run your course 進め、兄弟よ、おまえたちの行く道を
Freudig, wie ein Held zum Siegen. joyfully, like a hero off to victory. 喜びに満ちて、勝利に向かう英雄のように
  • laufet < laufen = run。Laufet, wie sine Sonnen fliegen.., wie ein Held..と前後にかかるから、「兄弟よ、恒星のように、英雄のように道を進んでいけ」ということ。原詩ではWandelt(ゆったり歩いていけ)となっている版もある。

トルコ風の音楽にのって英雄が歌われる。この関係を丸山桂介は「十八世紀的古典の時代精神に生きたベートーヴェンにとっても等しく、小アジア、トルコはすなわちホメロスの英雄叙事詩の舞台であった。…言葉の上でも直接的にホメロスの英雄世界をしのばせて再び、エリューシオンを思い出させる」と述べている。トルコの「後宮」が楽園の「理想郷」につながるというわけだ。

411小節

最後にLaufet...を繰り返すところで男声合唱が加わり、マーチの前半を閉じる。野原で昼寝をしながら天に昇る夢を見ていた若者が、目が覚めて歌を歌いながら歩きだすという感じじゃないだろうか。結びの部分でfreudig, Held, Sigenがsfで強調される。

543小節

管弦楽による激しいフガート(b.431-525)のあとニ長調に戻り、最初の主題(1v)(Freude, schöner Götterfunken...)が全合唱で歌われる(ここまでをソナタ形式と見れば、再現部だ。他の分析としては協奏曲形式、楽章内に4つのミクロ楽章など)。今度は、Elysium、fuertrunken、Heiligtum、Brüderにsf、そしてAlle Menschenがffだ。

あまり深読みしても仕方ないが、このフガートは現実世界のさまざまな出来事、あるいはちょっとした険しい山道;それを越えて友人たちのところに戻り、(夢で見た)天上の理想世界についてともに歌う;というようなプログラムを描くこともできるだろう。

Andante - Adagio

1c. Seid umschlungen, Millionen

シラーの原詩の第1節後半を採用。Andante maestosoとなって、低弦とトロンボーンに導かれ、男声合唱がユニゾンで聖歌風に歌い出す。9小節目から女声合唱も加わり、ト長調であることがはっきりする。ここからAdagioの終わりまでは、ずっと合唱だけによって歌われる。

595小節

Seid umschlungen, Millionen!...

原文英訳逐語訳
Seid umschlungen, Millionen! O you millions, let me embrace you. 抱きしめられなさい、何百万の人々よ!
Diesen Kuß der ganzen Welt! Let this kiss be for the whole world. このキスを全世界に!
  • Seid umschlungenはBe embracedで、受け身の主語は単数だから、直訳すると「互いに抱き合え」ではなく「(私に)抱きしめられなさい」。前田昭雄のいうように、このフレーズは必ず合唱で歌われる(ここは確かに原詩でも合唱)ので、“その唱和は事実上「われらは互いに抱擁する」という圧倒的なコールを成立させる”という考え方もできる。詩として直接的に「我々が抱き合う」という表現を使うと、当時の検閲に引っかかる恐れがあったかもしれない。
  • Millionenとganzenが広い跳躍で最高音を与えられた上にffで念押しされ、たくさんの、全ての、みんながということを強調している。ゆっくりしたテンポのユニゾンで、さらにスタカートを加え、語句をはっきり響かせたいという意図が伺える(なおベーレンライター版では、Millionenの li に、トロンボーンと同じスタカートが校訂者によって[]付きで加えられているが、無い方がいいんじゃないかと思う。新ブライトコプフ版では、無い)。

女声が加わっての繰り返しでは、伴奏が豊かになるとともにDiesenとderにsf、ganzenにffが付けられており、男声のみのモノローグとニュアンスが違っている。この地上での同胞愛がテーマと考えられることが多いが、むしろ天上の世界を目指すために兄弟たちに呼びかけるのだろう。

611小節

再び男声合唱のユニゾンとなって転調し、9小節目から女声合唱が加わってヘ長調が確定する。

Brüder! überm Sternenzelt...

原文英訳逐語訳
Brüder! überm Sternenzelt Brothers, above the tent of stars 兄弟たちよ、星の輝く天幕の彼方に
Muß ein lieber Vater wohnen. a loving Father cannot but dwell. 愛に満ちた父がいるに違いない
  • Stern = star; Zelt = tent。Sternenzeltはシラーの原詩では何度も繰り返して登場し、天上の世界を象徴する語句。星の光と神々の閃光も通じるところがあるだろう。シラーもベートーベンもカントの影響を受けているが、ベートーベンの1820年2月の会話帳には、『実践理性批判』第2部の「結び」から言葉を引いて「Das moralische Gesetz in uns, der Sternenhimmel über uns--Kant!!!(われらがうちの道徳律とわれらが上の星の輝ける天空 -- カント!!!)」と記されている
  • MußとVaterがいずれもsfで強調され、さらにwohnenにはスタカートがついて念押しをする。女声が加わっての繰り返しでは、Mußのみがsfとなっている。

ここで主題は天上の「父」に向けられる。夢で見た理想世界は、天上の父のところにあるに違いない、と。

b.619-626でMußが何度も強調されるのは、逆に、父=神は本当は存在しないという事実を直視したくない、両義的な意味だという説もある)

3c. Ihr stürzt nieder, Millionen

シラーの原詩の第3節後半を採用。ト短調のAdagio ma non troppo ma divitoとなってFl,Cl,Fg,Va,Vcという中音域のオーケストラで静かに主題を示したあと、合唱が歌い出す。何かを感じて、敬虔になる美しい瞬間だ。

631小節

Ihr stürzt nieder, Millionen?...

原文英訳逐語訳
Ihr stürzt nieder, Millionen? Do you prostrate yourselves, millions? あなたたちはひざまづくのか、何百万の人々よ?
Ahnest du den Schöpfer, Welt? Do you sense your Creator, world? おまえは、創造主を感じるか、世界よ?
  • stürzen = 落ちる、急降下する。ここで音楽も五度急降下する。niederは下へ。
  • ahnen = 予感する、感じる。Schöpfer = 創造主 < schöpfen = すくい取る。ここは単数のduになっている。人々ではなくて、「世界」にむかって「おまえを(無からすくい取った)創造主を感じるか」と問いかけていると捉えてみたい。

地上の楽しみだけでなく、天上の喜びに至るには、どうすればよいのか。ひれ伏すのか、感じ取るのか。問いかけが続く。

638小節

Such ihn überm Sternenzelt!...

原文英訳逐語訳
Such ihn überm Sternenzelt! Seek Him above the tent of stars! 彼を星の輝く天幕の彼方に探せ!
Über Sternen muß er wohnen. Above the stars He cannot but dwell. 星の彼方に彼はいるに違いない
  • überm = über + dem

ppからクレシェンドしてffに至り、最後のwohnenでsfが与えられ、問いかけが次第に確信に変わっていくという感じになる。調性も、ハ長調、ニ長調、変ホ長調と次々に変化する。

650小節

減七の不確定な和音が拡がったあと、最後にニ長調の短属九となり、Über Sternen muß er wohnen.をppで繰り返してアダージオを閉じる。確信と言うよりは、むしろ楽園(ニ長調)への憧れを響かせて(ここを、b.619の部分と同様、言葉とは裏腹に神は存在しない=Deus absconditus=ことを表す、両義的な表現と考える説もある)。

二重フーガからコーダまで

Freude, Schöner(1v), Sein umschlungen(1c), Ihr stürzt nieder(3c)

前段まででベートーベンが採用したシラーの詩は全て提示される。これ以降繰り返されるのは、理想郷の喜びを歌った1v.と、地上の兄弟たちに呼びかける1c.、そして天上の父を求める3c.。確信した理想に向かって、ともに進むという感じだろうか。

655小節

ニ長調のAllegro energico e sempre ben marcatoでは、1v.の前半と1c.をテーマとした二重フーガが展開される。神々の喜びと兄弟たちへの呼びかけが拮抗する。

Freude, Schöner/Sein umschlungen...

葛藤から抜け出す光を示すように、Freude!という言葉が、管弦楽のsfを伴って、繰り返し打ち付けられる。後半(b.699、b.716-720)では(der) ganzen Weltにsfが与えられて強調される。

730小節

いったんpに落ち着くところから3c.が歌われ、天上への道を探る。

Ihr stürzt nieder, Millionen...

とぎれとぎれに、ためらいがちに進む中でwelt、-zeltという音に長い音価(とb.753ではアクセント)が与えられる。fまでクレシェンドしていって、b.745のBrüderに至り、sfで強調する。まだ地上の世界にいるのだ。調性はBrüderでイ長調になったかと思わせながら、曖昧な状態が続く。

b.758では、それまで宙づり状態だった和声を<>を付けてぐっと転換し、ト長調の属七に持っていくため、'ein'の音が印象的に響く。ようやく'ein Vater'に出会えたというかのように。

767小節

Allegro ma non tantoでは、ト長調に収まったと思ったのもつかの間、4小節目ですぐニ長調に転調し、ソロによって「楽園の娘」(Tochter aus Elysium)が連呼される。

Tochter, Tochter aus Elysium...

b.777でイ長調になって「楽園の娘」を繰り返す。

ここは最初のTen+BasのソロはTochter, Tochter aus Elysium!だが、続くSop+AltのソロはFreude, Tochter aus Elysium!となる。そして、b.777からSop+Alt→Ten+Basの順で反復される時はいずれもTochter, Tochter...となっていて、変則的だ。一方、新旧ブライトコプフ版では、最初(b.767~)はTen+BasもFreude, Tochter aus Elysium!になっている(2回目はベーレンライターと同じく両方ともTochter, Tochter...)。さらに、演奏の慣例としては全てFreude, Tochter aus Elysium!と歌っていたというから、話は大変ややこしい。ベーレンライター版に基づいて歌った演奏を聴いて「歌詞を間違えた!」と思う人が出てくるのも仕方ないことか。

b.783からは再びニ長調で1v.の後半(Deine Zauber ...)となり、b.795から合唱も加わる。b.806でAlle Menschenが4回畳みかけられるところは耳に残り、第九が人類愛賛歌だという印象を与えやすい部分だ。

poco adagioは、音楽的にもほとんどモーツァルト時代に逆行するようで唐突だが、“天上が垣間見えたものの、まだ地上の楽しみにも浸っていたい”と逡巡する様子と捉えると、位置づけを理解しやすい。ここではwerden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weiltが歌われる。MenschenとBrüderにアクセントが置かれ、まだ心が地上界に残っているということを示す。

Tempo Iに戻って、b.818から再びDeine Zauber以降の繰り返し。2回目のpoco adagioでは、ソロによってalle Menschen..が歌われる。今度は調性もロ長調に変わってしまい、しかも和声はずっと解決しない。天上にはすんなりとは辿り着けず、地上の魅力も捨てがたいのだ。

855小節

Prestoでは、もういちどニ長調に戻って、合唱によって1c.が歌いあげられる。Weltあるいはganzenに長い音価やffが与えられて強調され、今度は世界を出発点に天上に向かって最後のチャレンジ(ノリントン、ラトルがWeltをことさらに強調させているのは面白い)。

Seid umschlungen, Millionen...

全合奏が絶叫する中、クライマックス(b.904)で1v.の冒頭がユニゾンで戻ってきて、ついに、神々(Götter)が最高音でffになる。天上の世界の扉が開かれたのだ。

Freude, Freude, schöner Götterfunken!

Maestosoでは、ニ長調のまま、Elysiumが“ああ、ようやく楽園に来たんだ”と呟くかのごとくpでそっと歌われたあと、天上の光が降り注ぐような弦楽器の32分音符の中、Freude, schöner を確認し、合唱がユニゾンでGötterfunken!と声を合わせる。もう一度Götterfunken!と歌いきったあと(最後のfun-ken!は曲の冒頭と同じユニゾンの五度下降だ)、管弦楽がPrestissimoでなだれ込み、(天に向かって)上昇音型を奏したあと、A-Dの五度下降によって曲を締め括る。

4楽章917小節目から。Freude, schonerがfで、Gotterのffが強調される D
Maestoso付近の自筆譜ファクシミリ

構成と強調ポイントのまとめ

第4楽章の歌唱部分で、どの歌詞がどう配置され、どの語句が強調されているのかを調性とともに一覧表にまとめたもの。ベートーベンは強調する語句をセクションごとにはっきり使い分けており、作曲者が描いていたプログラムが浮かび上がってくる。

第4楽章の歌の構造
小節 詩の節 詩の冒頭 調 強調語句
241 1v Freude, schöner... D Brüder
269 2v Wem große Wurf... D nie
296 3v Freude trinken... D Cherub
321 3v und der Cherub... D-A-B(V) Gott
375 4c Froh, wie seine... B freudig, Held, Siegen
431 - (instr./fugato) B-F..h-D -
543 1v Freude, schöner... D Elysium, feuertrunken, Heiligtum, Alle Menschen, Brüder
595 1c Seid umschlungen... (G) Millionen, Diesen, ganzen
611 1c Brüder! überm... (F) Muß, Vater
631 3c Ihr stürzt nieder... g-D(V) Welt, wohnen
655 1v+1c Freude, Schöner.. + Seid umschlungen.. D(fugue) Freude, ganzen Welt, (Seid)
730 3c Ihr stürzt nieder... A-G Brüder
767 1v Tochter aus Elysium... G-D-A  
783 1v Deine Zauber... D Alle Menschen
810 1v Alle Menschen werden... D Menschen, Brüder
818 1v Deine Zauber... D Alle Menschen
832 1v Alle Menschen werden... H Menschen, Brüder, Flügel
855 1c Seid umschlungen... D Welt, ganzen, (Diesen)
904 1v Freude, schöner... D Götterfunken, schöner;

※分類の1v, 3cなどはそれぞれ原詩の第1節verse(前半)、第3節chor(後半)を示す。また調性のB(V)などはその調のドミナント(この場合はFの和音)を示す。(G)は最初調性がはっきりせず、途中でト長調に確定することを示す。

ベートーベンの場合、ベーレンライター版スコアの注釈に、連続して記述されるfは繰り返される強調を示し、事実上これらはsfの省略記述とみなすことができる、とあるように、記号の違いはあまりこだわる必要はなく、いずれも同様の強調と捉えていいだろう。

シラーのAn die Freude全文と試訳

An die Freudeは、Friedrich Schiller (1759-1805) が1785年10月末に作詩し、1786年2月、自らが編集する文芸誌『タリーア』(Thalia)第2号の巻頭に発表した頌詩。最初は9節あったが、その後フランス革命やナポレオン独裁などの時代の流れを経て(1793年にはシラーの『群盗』がウィーンで上演禁止になったという)、1803年のシラー自選詩集第2部の出版に際して第9節が削除され、第1節の語句2箇所ほかが改められた。ベートーベンは初版に出会っていたはずだが、第九を作曲したのはこの改訂版(より正確には、その後出版された1812/18年版を用いているそうだ)。

『タリーア第2号』の最初のページ

〔補足〕「シラーはこの詩をAn die Freiheit(自由に寄す)と題して出版したかったが、検閲などを恐れてAn die Freudeとした」という俗説は、1838年に出版されたグリーペンケル(Wolfgang Griepenkerl)の小説Das Musikfest oder die Beethovenerにさかのぼるようだが、シラーがFreiheitを考えていたという歴史的な根拠はない。ベルリンの壁崩壊時のバーンスタインの演奏のように、第九受容史のイデオロギー/政治的側面として、繰り返し登場するテーマではある。

『タリーア第2号』に掲載されたこの詩には、ケルナー作曲の楽譜(次の譜例)も添えられていたとされ、最初から歌うことが想定されていたようだ。

[楽譜]ハ長調2/4拍子

この詩にはベートーベン以前にも、ライヒャルト(J.F.Reichardt, 1752-1814)やツムシュテーク(J.L.Zumsteeg, 1760-1802)など40に及ぶ作曲例があるという。さらに、シューベルトが1815年に軽快な有節形式のリートとして曲を付けている(D.189:下譜例)ほか、チャイコフスキーがペテルブルク音楽院の卒業作品として1865年にカンタータを作曲したり、マスカーニが10代の頃に曲をつけたという例もある。

[楽譜]Freude schöner...

以下にほぼ初版の形の詩を示し、変更箇所などは最後に注としてまとめる(改訂版で変更される箇所は、スタイルシートが適用される環境ではイタリック体で、それ以外では通常のリンクとして表示)。試訳は基本的に逐語訳とし、こなれた日本語よりも原文の行との対応を優先した。

原文

1.

Freude, Schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken,
Himmlische, dein Heiligtum.
Deine Zauber binden wieder,
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.
Seid umschlungen Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder - überm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

2.

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
Was den großen Ring bewohnet,
Huldige der Sympathie!
Zu den Sternen leitet sie,
Wo der Unbekannte thronet.

3.

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur,
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.
Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
Und der Cherub steht vor Gott.
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahndest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn überm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

4.

Freude heißt die starke Feder
In der ewigen Natur.
Freude, Freude treibt die Räder
In der großen Weltenuhr.
Blumen lockt sie aus Keimen,
Sonnen aus dem Firmament,
Sphären rollt sie in den Räumen,
Die des Sehers Rohr nicht kennt.
Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächit'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig wie ein Held zum siegen!

5.

Aus der Wahrheit Feuerspiegel
Lächelt sie den Forscher an.
Zu der Tugend steilem Hügel
Leitet sie des Dulders Bahn.
Auf des Glaubens Sonnenberge
Sieht man ihre Fahnen wehn,
Durch den Riß gesprengter Särge
Sie im Chor der Engel stehn.
Duldet mutig, Millionen!
Duldet für die beßre Welt!
Droben überm Sternenzelt
Wird ein großer Gott belohnen.

6.

Göttern kann man nitcht vergelten,
Schön ist's, ihnen gleich zu sein.
Gram und Armut soll sich melden,
Mit den Frohen sich erfreuen.
Groll und Rache sei vergessen,
Unserm Todfeind sei verziehn,
Keine Träne soll ihn pressen,
Keine Reue nage ihn.
Unser Schuldbuch sei vernichtet!
Ausgesöhnt die ganze Welt!
Brüder - überm Sternenzelt
Richtet Gott, wie wir gerichtet.

7.

Freude sprudelt in Pokalen,
In der Traube goldnem Blut
Trinken Sanftmut Kannibalen,
Die Verzweiflung Heldenmut.
Brüder, fliegt von euren Sitzen,
Wenn der volle Römer kreist,
Laßt den Schaum zum Himmel spritzen:
Dieses Glas dem guten Geist!
Den der Sterne Wirbel loben,
Den des Seraphs Hymne preist,
Dieses Glas dem guten Geist
Überm Sternenzelt dort oben!

8.

Festen Mut in schweren Leiden,
Hülfe, wo die Unschuld weint,
Ewigkeit geschwornen Eiden,
Wahrheit gegen Freund und Feind,
Männerstolz vor Königthronen,
Brüder, gält' es Gut und Blut,
Dem Verdienste seine Kronen,
Untergang der Lügenbrut!
Schließt den heil'gen Zirkel dichter,
Schwört bei diesem goldnen Wein,
Dem Gelübde treu zu sein,
Schwört es bei dem Sternenrichter!

9.*

Rettung von Tyrannenketten,
Großmut auch dem Bösewicht,
Hoffnung auf den Sterbebetten,
Gnade auf dem Hochgericht!
Auch die Toten sollen leben!
Brüder trinkt und stimmet ein,
Allen Sündern soll vergeben,
Und die Hölle nicht mehr sein.
Eine heitre Abschiedsstunde!
Süßen Schlaf im Leichentuch!
Brüder - einen sanften Spruch
Aus des Totenrichters Munde!

試訳

1.

喜びよ、美しい神々の閃光よ
楽園の世界の娘よ
私たちは足を踏み入れる、炎に酔いしれつつ
天なるものよ、あなたの聖所へと
あなたの魔法の力は再び結びつける
世の中の時流の剣が分け隔てていたものを;
乞食が王侯の兄弟になるのだ
あなたのその柔らかな翼が憩うところで
抱きしめられなさい、何百万の人々よ!
このキスを全世界に!
兄弟たちよ、星の輝く天幕の彼方に
愛に満ちた父がいるに違いない

2.

大きな幸いを得たひと、(すなわち)
ひとりの友の友となり
優しい妻を得たひとは
その喜びを共にしよう!
そうだ、たとえたったひとつの魂であっても
自分のものと呼べるものが世界の中にあるのならば!
そしてそれができないものは、そっと出ていくがいい
涙しながらこの集まりの外へ!
この大きな環に住むものは
共感を尊びはぐぐめ!
それは我々を星の世界に導く
あの未知なるものが君臨しているところへ

3.

喜びを飲む、全ての生きとし生けるものは
自然の乳房から
全ての善きもの、全ての悪しきものも
そのばらの道を追い求めてゆく
喜びは私たちにキスと葡萄酒とを与えた、そして
死の試練をのりこえた友を;
快楽は虫けらに与えられ
そしてケルブが立っているのだ、神の前には
あなたたちはひざまづくのか、何百万の人々よ?
おまえは、創造主を感じるか、世界よ?
彼を星の輝く天幕の彼方に探せ!
星の彼方に彼はいるに違いない

4.

喜びは力強いバネだ
久遠の自然の中において
喜びよ、喜びこそが歯車を回す
その巨大な宇宙時計において
それは花々をつぼみから誘い出し
恒星たちを天空から(誘い出し)
天球を空間で回転させる
予言者のとおめがねが知らぬところ
朗らかに、創造主の恒星たちが飛び回るように
壮大な天空を駆け抜けて
進め、兄弟よ、おまえたちの行く道を
喜びに満ちて、勝利に向かう英雄のように!

5.

真理の炎の鏡の中から
それは探求するものにほほえみかける
美徳のけわしい丘に
それは耐え忍ぶものの道を導く
信仰の輝ける山々の頂には
その旗が風にひるがえるのが見え
砕かれた柩の裂け目からは
それが天使の合唱の中に立っているのが(見える)
堪え忍べ、勇気を持って、何百万の人々よ!
堪え忍べ、よりよい世界のために!
星の輝く天幕のかなたの天国で
おおいなる神が報いてくれるだろう

6.

人が神々に報いることはできない
しかし神々に倣うのはすばらしいことだ
悲嘆にくれるものも貧しいものも出てこい
朗らかなものと一緒に喜べ
怒りも復讐も忘れてしまえ
不倶戴天の敵も許すのだ
に涙を強要するな
悔恨が彼を苦しめるようにと願うな
貸し借りの帳簿は破り捨ててしまえ!
世界全てが和解しよう!
兄弟よ - 星の輝く天幕のかなたでは
神が裁く、我々がどう裁いたかを

7.

喜びは杯に湧きかえる
ぶどうの黄金の血のうちに
残忍なものは優しい心を飲みこみ
絶望は勇気を(飲みこむ)
兄弟よ、おまえたちの席から飛び立て
なみなみと満たされた大杯が座を巡ったら
その泡を天にほとばしらせよう:
このグラスを善き精霊に!
星の渦が褒め称えているもの
セラフィムの聖歌が賛美するもの
このグラスをその善き精霊に
星の輝く天幕のかなたにまで!

8.

重い苦悩には不屈の勇気を
無実のものが泣いているところには救いを
固い誓いには永遠を
友にも敵にも真実を
王座の前では男子の誇りを
兄弟よ、たとえ財産と生命をかけてでも
功績には栄冠を
偽りのやからには没落を!
神聖なる環をより固く閉じよ
この黄金のワインにかけて誓え
誓約に忠実であることを
これをあの星空の審判者にかけて誓え!

9.*

暴君の鎖からの救出を
悪人にもまた寛大さを
死の床で希望を
処刑台で慈悲を!
死者もまた生きるのだ!
兄弟よ、飲み、そして調子を合わせよ
全ての罪人は赦され
そして地獄はもはやどこにもない
朗らかな別れの時!
棺衣にくるまれた甘美な眠り!
兄弟よ - やさしい判決を
死のときの審判者の口から!

  • 第1節6行目は改訂版ではWas die Mode streng geteilt:7行目Alle Menschen werden Brüder,
  • 第1節コーラス1行目のumschlungenのあとに改訂版ではカンマ(,)
  • 第2節5行目のeineは改訂版ではEineと大文字に
  • 第3節コーラス2行目のAhndestは、1812年に 出版された版ではAhnestで、ベートーベンもこれを用いている
  • 第4節コーラス3行目の冒頭は、初版はLaufetで、いったんWandeltに改められたが、再度Laufetとなった模様。また、最後のsiegenは改訂版ではSiegenと大文字に
  • 第8節2行目の最初がHülfeと接続法なのはよく分からず、Hilfeを採用するテキストもある。が、初版の写真版ではHülfeのように見えるので、こちらにしておく
  • 第9節コーラス1行目の最後の単語をAbschiedsrundeとしているテキストもあるが、「別れの輪」というのはどうも意味不明
  • コーラスの部分はそれぞれ最後の2行が繰り返して歌われた

「歓喜によせて」の内容構成とベートーベンの選択

「歓喜によせて」はそれなりに長く抽象的なので、ぼんやり読んでいるとどこで何が歌われているのかよく分からないままになりやすい。そこで、詩(Verse)と合唱(Chor)から成る各節を、次のような形で表にまとめてみる。

  • 概ね詩はひとつのテーマを歌っているので、いくつかのキーワードを拾う形で内容を示す
  • 合唱部分は“ある地上の行為が何らかの天上の概念に結びつく”という形なので、“行為 → 天上的なもの”という形で示す
  • 題のとおりFreudeが繰り返し現れるので、各節にこの言葉が使われているか(○)あるいは似た概念/響きの言葉があるかを見る
  • ほとんど全ての節に星(Sternen)に関連する言葉が現れるのも特徴的なので、この言葉も表に加える

以下のうち、ベートーベンが第九に用いたのは1v, 1c, 2v, 3v, 3c, 4cの6箇所。

An die Freudeの内容とキーワードの構成
Verse部 Chor部 Freude
1 神々の閃光と楽園の理想郷 抱きしめる → 慈愛に満ちた父 Sternenzelt
2 友そして心のつながり 共感 → 君臨する未知のもの Freund Sternen
3 自然から与えられる喜びと畏怖 ひれ伏す → 創造主 Sternenzelt, Sternen
4 久遠の自然から宇宙に至る喜び 走れ(さまよえ) → 創造主の恒星 Sonnen
5 真理、美徳から信仰へ 堪え忍べ → 偉大な神 (Sie) Sternenzelt
6 許しあう 許しと和解 → 神の裁き Frohen, erfreuen Sternenzelt
7 優しさと勇気で杯をかわす 星と天使の賛歌 → 精霊 Sternenzelt
8 正義と誇り 誓い → 星空の審判者 Freund Sternenrichter
9 死と苦悩からの解放 甘美な死 → 死の時の審判者 - -

改訂版で削除された第9節だけは、革命の先取りとも言えそうな気分を歌っていて異質だが、それ以外の8節は、いずれも“いろいろな切り口で《喜び》を歌い、何らかの行為によって天上(星の彼方)の世界につながる”という構成と見ることができる。窮状を救ってくれたケルナーらの友情に感激し、理想主義的な情熱に燃えて書かれた抒情詩ではあるが、必ずしも人類愛だけを歌いあげているわけではない。

ベートーベンは、最初にこの詩に出会った時は全節に曲を付けるつもりだったと言われる。しかし第九を作曲する際には、この中から「理想郷、友、自然」というテーマを選び、これらを通じて天上の世界を夢見るという形を取った。さらに彼の場合は、特に第1節を重視し、シラーが用いたアレゴリーの「神々の閃光」「楽園」を最終的な天上の世界と重ね合わせ、独自のプログラムを組み立てて作曲している。

参考資料

第九、特に第4楽章についての分析。概ね参考になった順:

シラーの詩など関連情報:

特にケルブについては「ケルブあるいはケルビム」の文献リストを参照。