3月に引き続いてお世話になるディマンシュの演奏会は、てっきりサン=サーンスの交響曲3番がメインだと思っていたら、実はレスピーギの「教会のステンドグラス」だという事が判明したので、この曲について先週末から緊急学習。
これは1925年の作曲(原曲のピアノ曲は1919年)で、「噴水」(1914/16年)「松」(1925年)と「祭」(1928年)の間に挟まれた時期の作品だ。曲はグレゴリオ聖歌の旋法に基づいた、レスピーギ得意の古いローマの雰囲気を持つ4つの楽章から構成されている。もとになったピアノ曲「グレゴリオ旋法による3つの前奏曲」は、楽章ごとの標題を持っていないが、管弦楽版は4曲目を追加すると共に各楽章にタイトルと聖書に関連した短いテキストを添えた。このテキストを手がかりに、それぞれの曲の表現するものを多少なりとも理解しておこうというのが本日の目論見である。
- 1. エジプトへの逃避 (La fuga in Egitto)
-
第1曲は、5/4拍子の第3旋法(フリギア旋法)による物憂い感じの、ちょっと中東風の香りもする音楽。スコアには、マタイ福音書2:14(に基づく匿名の文?)の一節が示されている。
...la piccola carovana andava per il deserto, nella notte vivida di stelle, portando il Tesoro del mondo. (小さな商隊が、砂漠を通って進んで行く。空には星を戴き、この世の宝を手に持って。)
もっとも、マタイ2:14は確かにヘロデ王の迫害を逃れてイエス親子がエジプトに逃避する場面だが、この《引用》のような文ではない。各曲の標題は、レスピーギが知人の文学者グアスタラ(Claudio Guastalla)に相談してつけたもので、Chandos盤のライナーノートに簡単な解説がある。それによると、グアスタラは第1曲を聴いて「馬車が星の輝く空の下を走っていく」という印象を受け、そこから福音書の「エジプト逃避」を連想し、詠み人知らずのような感じで標題テキストをつくったとされている。
- 2. 大天使ミカエル (San Michele Arcangelo)
-
第2曲ミカエルは、激しいAllegro impetuosoの曲(ピアノ版ではTempestoso)。旋法で言えばたぶん第1旋法(ドリア旋法)に相当する。「天使の軍団の最高指揮官」ミカエルを標題に持つように、戦いをイメージさせる音楽だ。スコアに示されているのは、ヨハネ黙示録12:7-8による《聖グレゴリウスの説教》(Riccordiのスコアはなぜかマタイとしているが明らかに誤り):
E si fece un gran combattimento in cielo: Michele e i suoi Angeli pugnavano col dragone, e pugnavano il dragone e i suoi angeli. Ma questi non prevalsero, né più vi fu luogo per essi nel cielo. (さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。)
これは天使の第7のラッパが鳴っていよいよ最後の審判というところで、サタン=龍が現れ、それを天使の軍団が天から追い払うという場面。まさに空中戦という感じのめまぐるしい音響が飛び交う。最後にはfff でドラが1発うち鳴らされ、サタンが地上に転落する様を描いているが、ピアノ曲にはないもので、この辺りの違いも面白い。
- 3. 聖クララの朝の祈り (Il Mattutino di Santa Chiara)
-
第3曲は5/4拍子のLento。弦楽器やチェレスタによる単調だけれども癖のあるリズムの繰り返し(Iさんによれば光明真言を唱えるお経のような)が独特の雰囲気を持つ、霧がかかったような神秘的な感じの繊細な曲だ。主題は第1旋法(最初、Flの1番を旋律と見てフリギア旋法?とか混乱したが、強弱記号やあとで出てくる旋律を考えると、譜例=Flの2、3番、Fgの方が主旋律らしい)。レスピーギとグアスタラは、これに『聖フランチェスコの小さな花』の一節をあてた:
Ma Gesù Cristo suo sposo, non colendola lasciare così sconsolata, sì la fece miracolosamente portare dagli angeli alla ciesa di San Francesco, et essere a tutto l'uficio del Matutino... (けれど、彼女の花むこであられるイエス・キリストは、聖女をこのようになぐさめを欠いた状態に放っておくことをお望みにならなかった。奇跡によって、聖フランチェスコの教会へとお運びになり、朝課〔と、深夜のミサ〕のおつとめのすべてに出席できるようにさせ…)
これは、聖フランチェスコの弟子で清貧の聖女として知られるクララ(キアラ)が、重い病気にかかってキリスト降誕祭にも病床で悲しんでいたところ、イエスが奇跡を起こして教会でのつとめに参加できたという話で、邦訳(ISBN:4-7642-1803-8)の第35章に収められている(Riccordiのスコアではなぜか34章としている)。曲の後半で用いられている鐘の音が、グアスタラに「聖なるつとめを行っている修道女たちがツバメがさえずり合うように集っている」様子を思い起こさせたということで、神秘的かつ清らかなこのエピソードが選ばれたわけだ。
(ちなみに、『聖フランチェスコの小さな花』には、小鳥に説教する聖フランチェスコとか、魚に説教する聖アントニウスといった、美術や音楽でお馴染みのエピソードも出てくる)
- 4. 偉大なる聖グレゴリウス (San Gregorio Magno)
-
最後は管弦楽版で追加された曲。Lentoの導入部では、低音が静かに奏でる3つの音にいろいろな楽器が反響してゆき、第8旋法(ヒポミクソリディア)風のコラール旋律が幻想的なシンコペーションの伴奏を伴って弱音器付きHrで歌われる(Chandos盤のライナーノートでは、天使のミサのグローリアに基づくとされている)。Moderatoになってまた低音から、今度は動きのある(最初は第1旋法風の?)旋律がはじめられ、高揚していって大きなクライマックスを築く。オルガンの独奏によるコラールを挟んで、冒頭のLentoが変形された形で戻り、金管がグローリアを絶叫しつつ壮麗な音楽を構築して曲を結ぶ。
グレゴリオ聖歌にちなんだ曲でゴージャスにフィナーレを飾るには、教皇グレゴリウスに登場してもらうしかないだろうということで、ここでは次の一節が示される:
Ecce il Pontefice Massimo! ... Benedite il Signore... intonate l'inno a Dio. Alleluia! (見よ、偉大な法王を…主を祝福せよ…神に賛美歌を捧げよ、アレルヤ!)
スコアに示された出典は聖人共通典礼文第33によるローマ典礼聖歌集(グラドゥアーレ)となっている。怪しい気もするが、短時間では調べがつかないので、まぁそういうことにしておこう。
「教会のステンドグラス」は演奏時間約27分という短い曲だが、レスピーギらしいエキゾチックな香りと華麗なオーケストレーションで、なかなか楽しめる作品。1曲目、3曲目はピアノの原曲(参考CD:Respighi: Piano Music)の方がより繊細でいいかなという感じもあるものの、隠れた名曲のひとつといっていいだろう。