ヘンデル「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」
97年6月にヘンデル「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」が発売されました。7月16日には国内盤も発売。
Why ?
この録音は従来のEMIではなくVirgin Classics (veritas) からのリリース。ついにノリントン移籍かと驚きましたが、VirginはEMIの系列会社にあたるそうですし、クレジットを見るとプロデューサーは最近のノリントンの録音をずっと手がけてきたサイモン・ウッズになっているので、単なるレーベルの移動だけのようです(Virginからは、以前のベートーベンやベルリオーズの録音も少し再発されています)。 また、97年のはじめに解散とされていたロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる演奏ですが、これは録音が1996年1月であることを考えると、それほど不思議なことではありません。
ノリントンはこのところ ブラームス、 ワーグナー、 ブルックナー、 スメタナ といった具合に、オリジナル楽器による演奏分野の前人未到の拡大を続けてきたので、突然のバロック回帰は意外な感じです。しかも「水上の音楽」などはガーディナー、ピノック、アーノンクールをはじめ、既にたくさんのオリジナル楽器による演奏が出そろっているのに、敢えてこれに新譜を加えるというのは、どのような狙いがあるのでしょうか。
演奏は思いのほか端正で上品です。今回は演奏ノートもないので、いくつかのCDの演奏と比較することでノリントンの意図を少し探ってみることにしましょう。
「水上の音楽」組曲の構成
まずこの演奏で目を惹くのが、「水上の音楽」の組曲の構成です。この曲は、1962年の新全集によって(1)ヘ長調、(2)ニ長調、(3)ト長調の3組曲から成るものとされ、今ではこの楽譜の使用が一般的ですが、3つの組曲という考えにはいろいろ異説もあるようです。また演奏効果の点からも終わり方が地味なので、ガーディナーなどは(2)と(3)を入れ替えたりしています。ノリントンの場合は、(2)(3)を独立の組曲として扱わず、曲順も異なるものを採用しました。
この曲が3つの別々の組曲から成っているという説は、今日では広く受け入れられていますが、疑問があります。完全な組曲の最も初期の資料は1720年代初期の鍵盤楽器用の手稿譜で、そこに記された曲順は、最初の出版された総譜である1788年のサミュエル・アーノルド版と同じものです。この版では(この録音と同じように)、ト長調とニ長調の楽章は「3組曲」版よりも満足のいく順序になるように組み合わされています。特に、調性の示すところに従ってト長調を最後に演奏するのに比べるとずっと効果的です。
(アンソニー・ヒックスによるライナーノート)
アーノンクール盤もノリントンと同様の組み合わせで演奏しています(こちらはジョン・クリストファー・スミス Jr.の筆写総譜とジョン・ウォルシュの出版したパート譜を典拠に、全曲を一まとまりの組曲として扱っている)。しかし、色々理由は挙げられていますが、楽譜を引っ張り出してみると、いずれも旧全集のクリザンダー版(1886)と同じ曲順なのですね。また、CDのジャケットで確認したところ、ピノック盤もノリントンと同様になっています。
ガーディナーは(1)(3)(2)の順序で演奏するだけでなく、異稿とされている2つの楽章を(1)の前後に配していますが、ノリントン盤にはこの異稿は含まれていません。「水上の音楽」については未だに分からないことが多いとされています。ノリントンがどのような研究に基づいて演奏したのか、ぜひどこかに発表してもらいたいものです。
オーケストラ
メンバー表を見ると、ノリントン盤のオーケストラの編成は
Vn1 Vn2 Va Vc Cb Fl Ob Fg Cfg Hr Tp Tim Per Cem 8 8 5 4 3 3 6 2 1 4 4 1 2 2
となっています。それぞれの曲がどのような編成で演奏されたかは明記されていませんが、音を聞く限りでは「水上の音楽」はHr, Tpともに楽譜通り2本で、他の楽器ももう少し小さな編成のように感じられます。「王宮の花火の音楽」になると、音が輝かしく、響きも豊かになっているので、ほぼこのメンバー表の編成になっているのでしょう。
「水上の音楽」については「王の御座船の近くには、50人ばかりの音楽家を乗せた船が随行し」というような手記が残されていること、「王宮の花火の音楽」も100人の音楽家によってリハーサルされたという記録があることから、両曲とも記載のフル編成による演奏でもおかしくはありませんが、このCDの場合は異なる編成にしたと見た方が妥当なように思われます。
手持ちのCDで他に編成が記載されているのは「水上」ではアーノンクール盤(NH)とマギーガン盤(NM)、「王宮」ではリヒター盤(KR)がありますが、
Vn1 Vn2 Va Vc Cb Fl Ob Fg Cfg Hr Tp Tim Per Cem NH 10 * 2 2 1 3 2 1 - 2 2 1 - 1 NM 10 * 2 2 1 2 2 3 - 2 2 1 - 2 KR 10 8 6 5 3 - 6 2 1 3 3 1 - 1 *Vnは1、2を合わせて記載されている
のようになっています。ノリントンの「水上」もNHとNMに近い編成なのではないでしょうか。KRは(オーボエを倍管にしている点を除き)他の曲でもこの程度の規模で演奏しているようです。
演奏スタイル
楽章ごとの演奏時間で、テンポやスタイルを比較してみます。繰り返しや経過句の扱いがそれぞれ微妙に異なるので、単純に時間が短ければテンポが速いということにはなりませんが、大まかな傾向はつかむことができるでしょう。
水上の音楽
手元にあるいくつかのオリジナル楽器による「水上の音楽」のCDから、演奏時間を表にしてみました。楽章によって多様な解釈があってひとことでは言えませんが、ノリントン盤は第1組曲の前半が比較的ゆっくりしたテンポであることが分かります。これが、「思いのほか端正で上品」という第一印象を受けた要因でしょう。テンポが速くておやっと思うのは、第1組曲の終楽章です。第2組曲のホーンパイプは他の演奏に比べて時間が短くなっていますが、これは繰り返しの関係。
ノリントン盤の最後のメヌエットが長いのも、同じく繰り返しの違いからです。ここでは繰り返しの1回目にTp、2回目にHr、3回目にTpとHrの両方に旋律を吹かせており、ヘ長調のHr協奏曲的な性格とニ長調のTp協奏曲的な性格を合わせ持つこの組曲を、最後にうまくまとめています。
Norrington | Harnon- court | Gardiner | McGegan | Linde | |
Suite in F | |||||
---|---|---|---|---|---|
Overture | 3:17 | 3:12 | 3:11 | 2:58 | 3:23 |
Adagio e staccato | 2:19 | 2:03 | 1:58 | 1:42 | 2:08 |
Allegro-Andante | 7:25 | 6:39 | 7:17 | 6:48 | 7:18 |
Menuet | 2:35 | 2:05 | 2:28 | 3:22 | 3:19 |
Air | 3:32 | 2:36 | 2:49 | 2:41 | 2:29 |
Minuet | 2:43 | 1:07 | 2:10 | 2:13 | 2:44 |
Bourree | 1:34 | 0:58 | 2:04 | 2:11 | |
Hornpipe | 1:36 | 1:12 | 2:19 | 2:20 | 2:35 |
Finale | 2:43 | 4:24 | 3:25 | 4:13 | 3:05 |
Suite in D | |||||
Overture | 2:05 | 2:00 | 1:59 | 1:55 | 2:07 |
Alla Hornpipe | 3:12 | 3:46 | 3:59 | 3:39 | 4:01 |
Menuet* | 2:58 | 2:40 | 2:36 | 2:26 | 2:43 |
Rigaudon 1 & 2* | 2:37 | 2:39 | 3:12 | 2:33 | 2:38 |
Lentement | 2:15 | 2:00 | 1:33 | 1:29 | 1:26 |
Bourree | 1:19 | 0:32 | 1:10 | 1:16 | 1:24 |
Menuet 1 & 2* | 3:46 | 1:57 | 3:11 | 2:56 | 3:02 |
Country Dance 1 & 2* | 1:28 | 1:29 | 1:04 | 1:29 | 1:39 |
Menuet | 3:04 | 0:56 | 0:52 | 0:53 | 1:09 |
(*印は、新全集でト長調の第3組曲とされている楽章)
王宮の花火の音楽
こちらは手持ちのCDは4枚ですが、リヒターの1973年の録音があるので、オリジナル楽器演奏との違いが際立ちます。この曲は「序曲」冒頭のアダージォのファンファーレを比べると性格がよく現れるのですが、リヒター盤は荘厳で堂々とした音楽になっている(しかも繰り返しあり)のに比べ、ノリントン盤は颯爽としています。ガーディナーは「序曲」全体ではノリントンより短くなっていますが、ここのテンポはむしろ重々しい感じです。リンデ盤の序曲は繰り返しが多いため9分以上かかっていますが、この中では一番軽快で舞曲を意識した演奏です。ガーディナーとリンデ盤は、ひょっとするとかなり小さな編成かもしれません。
ノリントン盤の「王宮」の演奏では金管が輝かしく「吠え」ていて、ああやはりLCPの演奏だと再認識したりもしました。典雅というよりむしろ豪快といった感じのところもあるので、好みが分かれるかもしれませんが、私は好きです。もちろん。
Norrington | Gardiner | Linde | Richter | |
Overture | 7:51 | 7:29 | 9:12 | 11:06 |
Bourree | 1:39 | 1:03 | 2:17 | 1:21 |
La Paix | 2:50 | 3:17 | 2:45 | 3:55 |
La Rejouissance | 2:08 | 2:06 | 2:45 | 2:57 |
Menuet 1 & 2 | 3:27 | 2:04 | 3:15 | 3:09 |
June 25, 1997
日本盤のライナーノートから
7月に発売された日本盤のライナーノートは高橋昭氏によるものですが、ノリントンとLCPのことを適切に紹介しているので、一部引用してみましょう。
オリジナル楽器による歴史的演奏は既にかなりの実績を積んでおり、初期のリーダーから現在の新進まで、数世代の演奏家、演奏団体がそれぞれに様式を追究してきた。その中でノリントンとロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏には一貫した特徴がある。一つは彼らがオリジナル楽器を用いながら、楽器特有の音色や響きを殊更に強調しないことで、それが演奏に自然な流れをもたらしている。一方でノリントンの解釈は徹底して楽譜に忠実で、その最も良い例はベートーヴェンの交響曲に見られたメトロノーム記号の再現である。弦と管、打楽器のバランスのとり方にもそれが言える。その結果として彼らの演奏は思いがけないほど新鮮で、モダン楽器の演奏からは味わえない魅力をもっている。
《水上の音楽》と《王宮の花火の音楽》にもこのことは当てはまる。聴き馴れたバロックの名曲がきわめて自然な流れと新鮮な響きで再現されるが、ノリントンの解釈はバロック音楽の演奏習慣を適確に捉えている。テンポの設定、付点リズムのアクセントなどはその例である。
まさにその通り。ノリントンはオリジナル楽器を使ってできるだけ史料に忠実な演奏を試みますが、それが単なる学問的興味なのではなく、現代の耳にとても新鮮で説得力を持って響くというところが素晴らしいわけです。