シューマン(a.k.a.)の交響曲

シューマンのオーケストレーションがまずいので交響曲は面白くない、というのはもちろん無意味な俗説で、非常に内容の濃い、充実した曲が書かれています。改めていうまでもないですね。

交響曲一覧

シューマンは20代に集中してピアノの傑作を作曲し、30代になって歌曲、室内楽、そして交響曲に取り組みます。

#調作品番号作曲時期楽章FlObClFgHrTpTb備考
1Bop.3818414: sf-s-f-f2222423
2Cop.611845/464: sf-f-s-f2222223
3Esop.9718505: f-*-s-*-f2222423
4dop.1201841 (51改訂)4: sf-s-f-ssfff2222423

楽章のテンポ構造をfast, slow, menuettoで表示

一方、資料研究が進むにつれ、シューマンはずっと以前から交響的作品の構想を持っていたことも明らかになってきました。《ハムレット交響曲》などのスケッチが、ピアノ曲の遙か以前から書き留められているのです。1829年のヴィークあての書簡では「交響曲を頭の中で書きました。書きとめていたら、たくさんできていたのに…。」と書き記しています。

1932/33年にはツヴィッカウと呼ばれる初期の未完成作品が書かれました。39年に試みられたニ短調のピアノ協奏曲は、やはり1楽章のみで挫折してしまいますが、これについてシューマンは「交響曲と協奏曲の中間的なものです」と語ったとされ、交響曲への意志が高まりつつあったことを示しています。また「交響曲の年」である1941年には、第2楽章までのスケッチで未完に終わったハ短調の交響曲も手がけられています。

シューマンの交響曲の楽譜や異版のCDなどに関して少し述べた当サイト音楽雑記帖のシューマン交響曲のCDと楽譜も参照。

参照文献

※入力ミスなどによる誤りが含まれる可能性があります。年月(日)はISO-8601スタイルで、1806-10は1806年10月を、1806/10は1806~1810年を示します。