初期交響曲
モーツァルトの作品の変遷と旅とは密接な関係があります。初期のモーツァルトの交響曲は、父レオポルドとの旅行のたびに新しい技術とスタイルを吸収し、発展していきます。
西方への大旅行:1763/66
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | Es | K.16 | 1764 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
F | K.A.223/19a | 1765 | 3: f-s-f | 2 | 2 | |||||||
4 | D | K.19 | 1765 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
5 | B | K.22 | 1765-12 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
Old Lambach | G | K.A.221/45a | 1766-03? | 3: f-s-f | 2 | 2 |
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レオポルドは1763年6月に一家を連れて「西方への大旅行」に出発。ミュンヘン、フランクフルトからパリへと向かい、1764年4月にはロンドンにまで足を伸ばした。ここで父が病に伏せった間に、ヴォルフガングは最初の交響曲を書き上げる。J.C.バッハの音楽との出会いなどにより、イタリア風の急緩急3楽章の作品が生まれた。K.22と「旧ランバッハ」の2曲は(一説にはK.19も)、帰り道のハーグで書かれている。なお、K6に含まれるK.16aは、1982年に筆写譜が「発見」され“オーデンセ交響曲”として脚光を浴びたが、今では偽作とする見方が有力。
(2004年にイシュルで発見されたニ長調の交響曲は、モーツァルトの真作ならばこの時期の作品ではないかと推定されている)。
ウィーン:1767/69
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
43* | F | K.76/42a | 1767秋 | 4: f-s-m-f | 2 | 1 | 2 | 偽作? | ||||
6 | F | K.43 | 1767-12 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | |||||
7 | D | K.45 | 1768-01-16 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | Y | ||||
55* | B | K.A.214/45b | 1768初以前 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | ||||||
8 | D | K.48 | 1768-12-13 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | Y | ||||
9 | C | K.73 | 1769/72 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | 2 | Y | K3では75a |
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大旅行から1766年11月26日にザルツブルクに戻った一家は、翌年9月、今度はウィーンに旅立つ。当時のウィーンの様式に合わせ、メヌエット=トリオを加えた4楽章構成の曲が書かれた。1769年1月にウィーンから帰郷すると、しばらくはザルツブルク宮廷音楽家としての仕事にいそしむ。K.73の自筆譜には1769年という日付があり、この時期に書かれたものということになる。ただし筆跡は本人以外のもので必ずしも信用できず、1771年説、1772年説などがある。
K.76は唯一の資料であった筆写パート譜が失われたため、真偽がつけられずにいる。作曲時期についても、西方への大旅行の総決算として1766年に書かれたという説や、ケッヘル初版のようにイタリア旅行時期(従って76番)という説もある。K645bも、いったん真作とされながら最近では疑いがもたれており、作曲時期もウィーン旅行以前とする説が示されている。
第1回イタリア旅行:1769/71
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
44* | D | K.81/73l | 1770-04-25 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 偽作? | |||||
47* | D | K.97/73m | 1770-04? | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | Y | ||||
45* | D | K.95/73n | 1770-04? | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | Y | ||||
11 | D | K.84/73q | 1770-02/07 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
10 | G | K.74 | 1770-04? | 3: f-s-f | 2 | 2 |
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1769年12月にはシンフォニー(≒交響曲)発祥の地でもあるイタリアに出発。1771年3月28日に戻るまで1年4カ月の間にいくつの交響曲が書かれたのかは定かでないが、1770年4月25日の手紙では「1曲を書き終えてさらに1曲を作曲中」と記され、8月4日の手紙では「僕はもうイタリアの交響曲(itallienische Sinfonien)を4曲作曲しました」と、短期間にまとまった作品が書かれたことが分かる。K3、K6では、ここに挙げた5曲を第1回イタリア旅行時のものとした。
K.81は完成度が高いことなどからウォルフガング作とされてきたが、最近ではレオポルドの作とする説が有力。K.84も自筆譜がなく、様式研究などからいちおう真作と位置づけられている。K97,95は真作の可能性が高いとされるが、一次資料が失われており、しかもウィーン風のメヌエットを含む4楽章構成であることから、疑問がないわけではない。
第2回イタリア旅行:1771
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
42* | F | K.75 | 1771初夏? | 4: f-m-s-f | 2 | 2 | 偽作? | |||||
12 | G | K.110/75b | 1771-07 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | 2 | ||||
46* | C | K.96/111b | 1771-10/11 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | Y | ||||
13 | F | K.112 | 1771-11-02 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 |
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ザルツブルクに戻ってわずか5カ月後の1771年8月には、モーツァルトは再びイタリアに出かける。K6では、この間イタリアに向けた準備のため書かれた曲としてK.75、K6.75b(K.110)の2つが挙げられているが、前者は偽作の疑いが強い(ホグウッド、ピノックはK3でいったん真作とされながらK6では削除されたK.Anh.216も録音している)。同じくK6では、12月15日にイタリアから戻るまでにミラノにおいてさらにK6.111b(K.96)、K.112の2曲が作られたとされるが、K6.111bは1774年ないし75年のクリスマスに向けて作曲されたという説もある。
ザルツブルク交響曲
イタリアから戻った直後に、ザルツブルクの大司教シュラッテンバッハが亡くなり、モーツァルトの環境も大きく変化しはじめます。交響曲の作風も、それまでとは違った展開を見せます。
ザルツブルク:1772
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
14 | A | K.114 | 1771-12-30 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | |||||
15 | G | K.124 | 1772-02-21 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | ||||||
16 | C | K.128 | 1772-05 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
17 | G | K.129 | 1772-05 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
18 | F | K.130 | 1772-05 | 4: f-s-m-f | 2 | 4 | ||||||
19 | Es | K.132 | 1772-07 | 4: f-s-m-f | 2 | 4 | ||||||
20 | D | K.133 | 1772-07 | 4: f-s-m-f | 1 | 2 | 2 | 2 | ||||
21 | A | K.134 | 1772-08 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 |
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1772年10月に3度目のイタリア旅行に旅立つまでの1年弱の間に作曲された交響曲は、現在のところ8曲が確認されている。K.128~134の6曲は5月、7月、8月にまとめて書かれていることから、セットとしての出版が意図されていた可能性も。多くの研究が、K.130をそれまでの交響曲とは一線を画すものとし、モーツァルトの"first great symphony"と位置づけている。
なお新全集では、劇的セレナータ『シピオーネの夢』K.126の序曲を元に1772年ごろに作曲されたニ長調の作品(K.126+161+163)も交響曲に含めている。
ザルツブルク:1773/74
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
26 | Es | K.184/161a | 1773-03-30 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | |||
27 | G | K.199/161b | 1773-04-10/16 | 3: f-s-f | 2 | 2 | ||||||
22 | C | K.162 | 1773-04-19/29 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | |||||
23 | D | K.181/162b | 1773-05-19 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | |||||
24 | B | K.182/173dA | 1773-10-03 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | |||||
25 | g | K.183/173dB | 1773-10-05 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 4 | |||||
29 | A | K.201/186a | 1774-04-06 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | ||||||
30 | D | K.202/186b | 1774-05-05 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | |||||
28 | C | K.200/189k | 1774-11-17? | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | Y |
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3度目のイタリア旅行から1773年3月に戻ると、5月までに4曲を作曲。7~9月のウィーン旅行から戻って翌年秋までにさらに5曲が書かれた。これら9曲はレオポルドによって自筆譜が綴じ合わされ、ひとまとまりとして伝承されてきているが、曲の性質としては、3楽章による最初の5曲(K.184、199、162、181、182)と4楽章構成の4曲(K.183、201、202、200)では、はっきりと違いが見られる。作曲日付は何者かの手によって消し潰されたものを解読しているため、確実ではなく、K.200については1773年11月作説も出されている。なお旧全集の番号は、この合本の順序に従ったもの。
この先モーツァルトはしばらくオリジナルな交響曲の作曲から遠ざかるが、他の作品を転用したものやセレナードを抜粋した交響曲はいくつかある。新全集には、『偽りの女庭師』K.196の序曲にフィナーレを加えたK.196+121/207a、『牧人の王』K.208の序曲、アリアにフィナーレを加えたK.208+102/213cが交響曲として加えられている。
なお、K.183としばしば結びつけられる「シュトルム・ウント・ドランク」は、この時期ゲーテの『ウェルテル』(1774)とクリンガーの『シュトルム・ウント・ドランク』(1776)の出版を契機として始められたドイツ文学の革命運動。ハイドンの「シュトルム・ウント・ドランク」期は、1766頃から1773頃とされる。
後期交響曲
ザルツブルクでの集中した作曲以降、しばらく交響曲から遠ざかっていたモーツァルトは、1778年のパリ交響曲以降ふたたびこの分野に取り組み、オーケストラを熟知した練達の作品を生みだしていきます。
パリからザルツブルクへ:1778/80
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
31 | D | K.297/300a | 1778-06 (1778-06/07改訂) | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | Y | |
32 | G | K.318 | 1779-04-26 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | 4 | 2 | Y | ||
33 | B | K.319 | 1779-07-09 | 4: f-s-m-f | 2 | 2 | 2 | |||||
34 | C | K.338 | 1780-08-29 | 3: f-s-f | 2 | 2 | 2 | 2 | Y |
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1777年9月に出発したマンハイム・パリ旅行で優れたオーケストラに接したことなどから、K.297の完全二管編成のような管楽器の充実、K.318に見られるバス声部の独立した動きなど、より高度で新しい響きを持つ交響曲に取り組んでいく。
ウィーン:1782/88
# | 調 | 作品番号 | 作曲時期 | 楽章 | Fl | Ob | Cl | Fg | Hr | Tp | Pk | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
35 | D | K.385 | 1782-07 (1783-03改訂) | 4: f-s-m-f | (2) | 2 | (2) | 2 | 2 | 2 | Y | Fl,Clは第2版 |
36 | C | K.425 | 1783-10/11 | 4: sf-s-m-f | 2 | 2 | 2 | 2 | Y | |||
38 | D | K.504 | 1786-12-06 | 3: sf-s-f | 2 | 2 | 2 | 2 | Y | |||
39 | Es | K.543 | 1788-06-26 | 4: sf-s-m-f | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | Y | ||
40 | g | K.550 | 1788-07-25 (1789-02?改訂) | 4: f-s-m-f | 1 | 2 | (2) | 2 | 2 | Clは第2版 | ||
41 | C | K.551 | 1788-08-10 | 4: f-s-m-f | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | Y |
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ザルツブルクと決別してウィーンに移り住んだモーツァルトは、祝典的機会音楽という従来の交響曲の枠を超え、独自の充実した傑作を書く。ハイドンが「パリ交響曲」を作曲した時期とも重なり、古典派交響曲が円熟の時を迎えていた。
異なる切り口でみた交響曲
- 調性別に見た交響曲
- ハ長調 | ニ長調 | 変ホ長調 | ヘ長調 | ト長調 | イ長調 | 変ロ長調 | 短調
- 年代別の交響曲
- 年代別交響曲疑似グラフ
- 交響曲の規模
- 演奏時間の疑似グラフ
参照文献
- 吉成順「モーツァルトの交響曲」, 海老沢敏/吉田泰輔監修『モーツァルト事典』所収, 1991-11-07, 東京書籍, ISBN:4-487-73202-6
- 渡辺裕「モーツァルト交響曲 作品解説」, 海老沢敏ほか著『モーツァルト全集 第1巻』所収, 1990-12-10, 小学館, ISBN:4-09-611001-9
- 渡辺千栄子、川端真由美、高野紀子、安田和信ほか「交響曲(作品解説)」, 音楽之友社編『作曲家別名曲解説ライブラリー13. モーツァルト I』, 1993-11-10, 音楽之友社, ISBN:4-276-01053-5
- 西川尚生, 『作曲家◎人と作品 モーツァルト』, 2005-10-10, 音楽之友社, ISBN:4-276-22174-9
- K.バルト(小塩節訳)『モーツァルト』, 1984-12-05(原著1956), 新教出版社, ISBN:4-400-62337-8
- 国安洋『モーツァルトの美学』, 1987-12-01, 春秋社, ISBN:4-393-93106-8
- H.C.ロビンズ・ランドン(笠原潔訳)「モーツァルトとロマン的危機―《小ト短調交響曲》K.183(173dB)の知られざる先駆者たち」, 海老沢敏編『モーツァルト探求』所収, 1992-11-10(原文1956), 中央公論社, ISBN:4-12-002166-1
- アルフレート・ホイス(磯山雅訳)「ジモーツァルトの作品におけるデモーニッシュな要素」,同上書所収, (原文1906)
- ヨハン・ネーポムク・ダーフィット(高野紀子訳)「ジュピター交響曲―その主題および旋律的連繋に関する研究」, 同上書所収, (原文1953)
- 『ユリイカ臨時増刊 総特集 モーツァルト』, 1991-08-25, 青土社
- Neal Zaslaw, "Mozart's Symphonies - Context, Performance Practice, Reception", 1989 (Paperback 2001), Oxford University Press, ISBN:0-19-816286-3
- Neal Zaslaw ed., "The Complete Mozart - A Guide to the Musical Works by Wolfgang Amadeus Mozart", with William Cowdery, New York/London, 1990, W.W.Norton, ISBN:0-393-02886-0
- Neal Zaslaw, "Mozart and the Symphony", 1997, A booklet accompanying the Mozart Complete Symphonies by Hogwood
- Neal Zaslaw, "Der neue Köchel", Mozart Society of America Newsletter Volume 1 Number 1, 1997-01-27
- Tim Carter, "Mozart: Early Symphonies, Salzburg Symphonies, The Late Symphonies", 1993/94, A booklet accompanying the Mozart Complete Symphonies by Pinnock